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短い短いエッセイを書きたいと思います。


先週で、一年間noteで書き続けた毎日の日記の更新を終えました。

日記という形で更新を続けていく中で、毎日ひとつは自分の心の変化や日常のきらめきを拾おうとアンテナを張るようになり、そのことはわたしの暮らしに潤いを与えてくれました。

わたしには変なまじめさ(頑固さ)があって、「今日は3つ書きたい瞬間があった!」と思う日も、「今日は書かなくていいや、忘れっこないのだから」と思う日も決まってひとつつずつ書き続けていましたが、次第に「これ、3つ拾えた日は3つとも書いたらいいし、今日という日はわたしの胸の中だけにしまっておこうと思う日はしまっておけばいいよな」と思うようになりました。

瞬間を取りこぼさないために、逆にこっそりしまっておきたい日をしまっておくために、これからは「毎日ひとつ」にはこだわらず、書き残したいと思うその瞬間を、書きたいときに、書きたいだけ書いていこうと思います。日記、というより短い短いエッセイを書くつもりで。ときには過去と今を行ったり来たりしながら、いくつかたまったタイミングで不定期で投稿していきます。

あんまり変わってないじゃん、って思われるかもしれないけど、エッセイと呼べる内容にはなっていないかもしれないけれど、そんな感じでやってみます。

せっかくなので、さっそくいくつか。



普通のハッピーターンに満足したい

自分の頭のなかで作りだしたストレスをばりばりと噛み砕くように、ハッピーターンを食べる。味が薄い、気がする。いつだったか、出来心でハッピーパウダー250%のハッピーターンに手を出した日から、普通のハッピーターンではちょっと物足りないと感じる舌になってしまった。15歳のときディズニーランドに初めて足を踏み入れて、それまでわたしにとっての夢の国だった地元の小さな遊園地が急にしぼんでしまったように感じたことを思い出す。ハッピーパウダー250%を知っても普通のハッピーターンに満足できる人間、ディズニーランドを知っても地元の遊園地を満喫できる人間が、人生をたのしめる人なんじゃないかなと思う。

誰にも奪われないもの

ちょっと働き方を見直してみたいと思って動いたら、過去の自分がなかなか頼りになる。会社のためにがむしゃらに頑張っても会社は助けてくれるかはわからないけれど、頑張った途中で得たスキルは、確実に自分を助けてくれる。不妊治療をこじらせて、心身疲れ果ててキャリアを中断することになったとき、何かをごっそり奪われたような感覚があったが、経験とスキルは誰にも何にも奪われないのだと思った。入社式を終えたばかりであろうスーツ姿の社会人の人たちを見て、自分の十数年を振り返らずにはいられない春である。


パネルクイズ アタック25 Nextに出たいという夢

道行く人たちに、『パネルクイズ アタック25』に出たいと思ったことがありますか?とマイクを向けて聞いてみたい。何を隠そうわたしは出たい。もしかすると3~4割くらいの人は「一度は出てみたいと思ったことがある」と答えるのではないか。『新婚さんいらっしゃい!』よりは多いだろう。最近なんかはその熱が高まってきて、アタック25のBGMを検索するなどしてしまった。特に最後の旅行獲得をかけた問題で正解したときのあの音楽。あれを自分が流せられたら最高だろうなあ、人生をまるごと賞賛してもらった気分になりそう。確実に人生の走馬灯の1ページになると思う。だけどわたしにはひとりで出る度胸も実力もない。これは、普段『クイズノック』のYoutubeをしつこく見ている夫と共に夫婦大会を狙うしかないだろう。夫に「アタック25 Nextが出場者を募集しているのだけど…」と言いかけたところで、「好きにしたらいいけど俺は巻き込まないで」と返され、道は閉ざされる。


決まった場所で花見をする

近所に桜の名所を見つけた春から、桜はもう、とりあえずここさえ見られれば幸せだと思っている。おそらく100年以上を毎年新鮮な顔をして咲き続ける桜も、毎年飽きずに美しいと思えるわたしも、どちらも同じくらい好き。


おわり

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