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ナンカヨウカイ「折る」①

 やれやれ、今日も暑くなりそうだ。

 ショッピングモールの屋上。立ち入り禁止なので、当然誰も入ってこない。俺は柵に体を預けて、早朝の町を見下ろしていた。
 夜明けからさほど経っていないため、空気はまだ涼しい。俺はぼんやりと眼下に見える交差点を眺めていた。そこに誰もいなくても、信号は律儀に青に変わるのだ。

 バサ、と羽音がした。カラスが一羽、舞い降りて来る。

「おはようございます、赤虎の旦那」
「よう、クロノスケ」
「今日もまた、暑くなるんですかね。あっしら黒い連中は、ことさらお天道様に嫌われてるもんで、そろそろ本当に焦げちまいそうですよ」

 クロノスケはそうぼやくと、ぷるぷるっと身震いしてみせた。
 言葉とは裏腹に、その翼はコゲるどころか深い闇色に輝いていて、虹そっくりの艶まで浮かんでいる。
 あんな毛並みになれるなら、俺は太陽に嫌われたっていいんだけど……なんて、ないものねだりだろうか。俺の髪は、レンガみたいな赤茶色だ。

「ところで、旦那がこんな時間にココにいらっしゃるってことは、今日はお仕事でござんすか?」
「そ。所長から呼び出し」

 俺は、ハア、とため息をひとつついてから、仕方なく体を起こした。

 町を見下ろすと、アスファルトの上をガキどもが駆けていく。
 もうすぐラジオ体操が始まる時間なんだろう。これももう、見慣れた光景だ。

「さて、俺もそろそろ行くとしようかね」

 俺はぼやきながらも柵に飛び乗る。クロノスケが、カア、と一声鳴いた。

「行ってらっしゃいまし。お気をつけて」
「おう、またな」

 俺は柵の外へと飛び降りた。

 景色はあっという間に遠ざかる。
 耳元で風がごうごうと鳴る。落ちる。落ちていく。加速する体。アスファルトが迫る。地面に激突する、その直前。

 ――トプン
 足先に落ちていた自分の影へと、俺の体は吸い込まれた。

 子供たちは驚いた様子もなく、そのまま通り過ぎていく。
 ま、当然か。俺の姿が見えてないんだもんな。

 俺は再び、ずるりと影から這い出す。
 その時にはもう、俺は人の姿をしていない。どこからどう見ても、ただの野良猫だ。

 レンガ色の虎猫へと姿を変えた俺は、一度ぶるっと身震いをしてから歩きだした。遅刻なんかしたら、どんな目に合うかわからない。
 俺はビルの隙間に体をすべりこませた。


 さて。
 事務所に着く前に、簡単に自己紹介をしておこう。

 俺の名は緋山まひる。
 クロノスケからは「赤虎」なんて呼ばれている。正真正銘の化け猫だ。

 正体は、身の丈4メートルほどの赤毛の虎猫。
 ふだんはどちらかというと小柄な、ハタチ前後の男の姿をしている。
 言っておくが、これでも300年ぐらい生きてるんだからな。

 そんで、俺が今向かっているのが、便利屋『ナンカヨウカイ』。
 迷い犬の捜索から買い物代行、荷物運びなど、依頼は多岐にわたる。

 くだらない名前から想像がつくと思うが、ここの社員はほぼ全員妖怪だ。
 ひとりだけ人間がいるけど――まあそいつも妖怪みたいなモンだ。

 え? なんで妖怪が働いてるのかって?
 俺だって、できたら働きたくねーけどさ。

 でもさ、『これは絶対に勝てねえな』ってくらいチカラに差があるヤツに
「俺様に喰われるか、社員として働くか選ばせてやる。どっちがいい?」
 って聞かれたら、オマエどうするよ?

 ……働くしかないだろ?

 そんでもって、俺の職場がここ。
 この路地裏の、薄っぺらい雑居ビルの4階。

 ――あ、窓が開いてる。まだクーラー直ってねえのかな。

 俺は猫の姿のまま、狭いビル壁をポンポーンとジャンプして、開けっ放しの窓まで上っていった。

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