ナンカヨウカイ「折る」③
逃げるように事務所を飛び出した、その1時間後。
俺はプールサイドにぼんやりと座っていた。
今回の仕事は、ここ『花咲プールアイランド』の監視員だ。
プールといえば「長方形の水たまり」という俺の認識は、いつの間にか古臭いものへと変わっていたようだった。
ドーナツ形のプールではぐるぐると水がめぐっているし、海みたいに波が立っているプールもある。おまけにジェットコースターよろしく、信じられない高さからうねうねと続く滑り台まである。
そして一番驚いたのは、それらがすべて屋内にあることだった。
『真夏の強い日差しを遮ることができる』のがこのプールのウリなんだとか。
「だったら水遊びなんかしてないで、家で寝てりゃいいのになー」
「ちょっと、まひるっち! ふてくされてないで、真面目に仕事してよね」
「べつにふてくされてませんー」
「嘘じゃん! もー、これでクーラー直るんだから、気を取り直してしっかり見張っててよ」
「分かってますぅ」
それにしても妙だ。ワタルをからかっている間も、俺はずっと違和感を覚えていた。
「おい、今って世間は夏休みだよな」
「そうだよー。小学生から大学生まで、絶賛夏休み中」
「その割にココ、ずいぶん人が少なくねえか?」
「ホントだ、確かにそうだね。この時期は毎年人でいっぱいのはずなんだけど」
ワタルも首をかしげている。
「……なあ、所長から聞いてる依頼って、タダの監視員のバイトなのか?」
「うん。それ以外は何も聞いてないよ」
「やっぱり変だよな。そもそも、何で俺がつき合わされなきゃなんないわけ?」
「はいはい、文句言ってないで仕事仕事!」
「仕事ったって……俺、泳げねーんだけど」
「えっ?!」
「えっ、じゃねーよ」
「いやいやいや、マジで?」
「俺は猫だぞ! 泳げるわけねーだろ!」
ワタルはすっと顔を背けた。が、しっかり肩が笑っている。
この野郎ォ!
「まあまあ、心配しなさんな。このワタルくんがいる限り、水辺の平和は約束されたようなものだよ」
「おー、よろしくな。俺はここに座っててやるから、お前はしっかり働けよ」
「おっけぃ! まかせといて」
俺の適当なおだてに簡単に乗せられて、奴は意気揚々と歩き出した。
アホは扱いやすいから楽でいい。俺は大きく伸びをしながら、弾んでいるワタルの背中を見送った。
家族連れが3組と、カップルが6組。あとが学生のグループがいるくらい。貸し切り状態だけあって、来場者もみんなのんびり過ごしているようだ。
俺は、海辺みたいに波の立つプールのそばで、監視台に座ってボケーっとしていた。
なんでも、プールは夜まで営業しているらしい。
やれやれ、あと何時間くらい座ってれば終わるだろうか。
俺がうーんと伸びをした、その時だった。
―――クァォン!
突然、大きな音が聞こえた。
ぬるい空気の中で、パンと張ったような響き。
ラッパの音? なんかそんな感じだ。
でも、一体どこから?
客も皆、きょろきょろしている。俺もあたりを見渡した。
「きゃあああ!」
突然、派手な水着の女が叫んだ。見開かれたその目は、俺の目線から少し外れている。
俺は女の視線を追って、後ろを振り返った。
「は? ちょっと待……」
バカでかい水の塊が、もう俺の目の前まで迫っていた。
音か衝撃かわからないものが俺を押さえつけ、押し流していく。
俺は水にまかれ、上か下かわからない方向にめちゃくちゃに振り回される。体を動かそうにも、水の塊が全身を押しつぶして動けないし、もう息がもたない……!
――クゥァン!
目の前で、またあの音がした。
俺は苦しまぎれに手を伸ばす。その指先が、水とは違う何かに触れた。
(なんだ、これ)
けれど次の瞬間、ものすごい水圧が俺の胸にぶつかってきた。思わず肺の空気を吐き出してしまう。息が吸えず、俺はがぼがぼと水を飲み込むしかなかった。
(もう、だめか)
最後の抵抗とばかりに、俺は指先に触れたものにツメを立て、鷲掴みにした。
――水圧が消えた。
けれど俺の意識も、そこで途切れてしまったのだった。
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