『悪意をパッケージした笑い』ー「このテープ」と「奥様ッソ!」、およびフェイクドキュメンタリーとSCPというコミュニティに関する文章

この文章は

 このタイトルに惹きつけられてクリックした人は、2022年末に三夜連続で放送された『このテープ持ってないですか?』や2021年末に四夜連続で放送された『Aマッソのがんばれ奥様ッソ!』について考察や感想を読みたいのだと思います。
 ただ、この記事はそれらの番組の感想ではなく、より俯瞰してこれらの作品群が持つ共通の意識について考えてみたいと思います。すでに答えは題名で言い切っているのですが、それでも私の妄想にお付き合いいただけるのであれば最後までお読みいただけると嬉しいです。

「このテープ」、「奥様ッソ!」

 先の文章でも書いた通り、「このテープ」とはBSテレ東にて2022年12月27日から29日に三夜連続で放送された『テレビ放送開始69年 このテープもってないですか?』という番組であり、「奥様ッソ!」とは同局にて2021年12月27日から30日に四夜連続で放送された『Aマッソのがんばれ奥様ッソ! 』という番組の事です。
 両方とも大森時生さんというプロデューサーの手によって制作されており、どちらも放送時にはその演出手法によりネットのある界隈で話題になりました。

「このテープ」、「奥様ッソ!」の企画者、大森時生さん

 記事執筆現在、テレビ東京に勤めている方です。人となりを他人である私が説明することはできませんので、twitterのアカウントを貼っておきます。各自、ツイートを読みながら想像してください。

 @tokio____omori ー大森時生

 なぜプロデューサーを紹介したかというと、彼が制作した番組は他にもあり『RaikenNipponHair』とその発展形である『島崎和歌子の悩みにカンパイ』を含めて、感想を書きたかったからです。この二つの番組も発表当時ネットで話題になりました。

『RaikenNipponHair』、『島崎和歌子の悩みにカンパイ』

 『RaikenNipponHair』は「テレビ東京若手映像グランプリ2022」というネット上にて行われたコンテストです。概要は

30歳以下のテレビ東京制作局・報道局・スポーツ局・ビジネス開発局員が
「予算ひとり100万円」「15分以内」「ジャンル自由」
というルールで映像を作り誰が一番面白いか決める

『テレビ東京若手映像グランプリ2022』ページより

 というもので、実は私はこのコンテストから大森時生さんというプロデューサーを知り、その後で『このテープ持ってないですか?』や『Aマッソのがんばれ奥様ッソ!』という番組を見たのです。
 ですから、彼について私は意味が分かると怖い系の番組を作る人という先入観は持っていませんし、もう少し広い制作意識を持っている方なのだろうなという印象を持っています。

ネタバレ注意

 おそらく出来ているとは思いますので、そろそろ私の感想を書こうと思うのですが、ここにきて皆様へ注意していただくことがあります。
 それは大森時生さんが制作した4つの映像作品についてのネタバレ、および、それらに関連していると思われるいくつかの別作品のネタバレをを含んでいるということです。それに触れなければこれらの共通する意識について説明が出来ないのは、私の説明能力が足りないからです。
 ネタバレを見たくないという方は、このページを閉じてください。きっと大森時生さんがテレビ東京で制作している限りは、新しい作品が発表されたときにこれらの作品も見ることが出来るようになると思います。それを見た後で、私の記事を覚えていたら戻ってきて読み進めてください。

『Aマッソのがんばれ奥様ッソ!』の内容

 日本全国、多忙を極める奥様の元に芸能界の”おせっかい奥様”を派遣!
家事や育児を手伝いながら家族との温かい触れ合いを感じる奥様応援バラエティ!

「Aマッソのがんばれ奥様ッソ!」

今年、コンビ揃って結婚していたことが報じられたAマッソのBSテレ東での初冠番組「Aマッソのがんばれ奥様ッソ」が12月27日(月)深夜11時30分から4日連続で放送!
芸能界のおせっかい奥様が日頃大変な思いをしている奥様たちのお悩み解決に大奮闘!
笑いあり、涙ありのハートウォーミングバラエティです!お楽しみに!

『Aマッソのがんばれ奥様ッソ!』公式ページより

 この文章だけを見れば、土日のお昼ごろか週の半ばの夜7時か8時ぐらいに放送していそうな、よくあるバラエティ番組だと感じられるでしょう。
 実際にこの番組はAマッソの二人がセットスタジオの中にいて、毎回ゲストとして選ばれた奥様でもある女性芸能人が、悩みを抱えた奥様がいる一般家庭にお邪魔して悩みを解決するというロケVTRを見るという形式になっています。
 その女性芸能人の奇行をAマッソがツッコミを入れ、一般家庭の人々の言動からにじみ出る気持ちに共感し、そしてAマッソの二人のエピソードトークも入れているという、本当によくあるバラエティ番組としてだらだらと見ていられる番組です。
 ちょっとした女性芸能人が教える家庭の知恵みたいなものもあるので、見ていて何となく生活に取り入れてみようかなとも思えてしまう。本当によくあるテレビ局がゴールデンタイムの視聴層に合わせて作りそうなバラエティ番組です。

そこにある悪意『Aマッソのがんばれ奥様ッソ!』の場合

 もちろん、ここで取り上げているからには、何かしらの裏のテーマがあります。一般家庭として出てくる人々はもちろん嘘の家族であり、俳優であるのは間違いありません。
 なぜなら、この番組出てくる二つの家族とも家族内の殺人事件で死者と逮捕者が出るというオチにも似た架空のニュース映像がTVerやネットdeテレ東で特別編として用意されているからです。つまりそもそもフィクションとしてロケVTRが作られているのです。よって、これはただのバラエティ番組ではないという事もようやく理解できます。
 しかし、そのオチの映像を見なくても視聴者がちゃんと気付けるように、ロケVTRではその一般家庭の負の感情に歪んだ顔や置かれているネガティブな言葉が書かれたメモや携帯電話などの小道具、血の様なものが広がっているシーン、或いはちょっとした叫び声や怒り声をそのまま流しています。普通だったら、番組を気軽に楽しむためにそれらの部分はモザイクやカットによる編集をされて無かったことにされるはずです。
 見ている人が不快にならないようにするのが本来のバラエティ番組であるのに、あえてそういう部分をクローズことで違和感を与えることで自分が見ている世界が揺らぐような感覚になります。
 そして番組の最後に出てくる真っ黒の背景に白い字で書かれる無音のテロップシーンによる番組の終わり方でその世界が揺らいだまま、年末の深夜に取り残される後味の悪さに変化するのを楽しめるのが、この番組の持つ魅力の一つだと私は思います。

 一般家庭という気になる対象

 『Aマッソのがんばれ奥様ッソ!』に登場する二つの家族の話をします。当然その家族の裏の設定まで書いてしまうので、詳細な設定が気になる人は読むのを止めてください。
 『Aマッソのがんばれ奥様ッソ!』の全4回放送の内、1回目と2回目を連れ子持ち同士で再婚した大家族、3回目と4回目を山奥の集落に引っ越しした子持ち家族という内容になっています。
 連れ子同士で再婚した家族では、夫と妻の連れ後の娘が不倫関係にあることが分かり、妻といつ別れるのかという揉め事にまで発展していることが演出や編集によって察せられます。
 山奥の集落に引っ越した家族は、実はその集落が新興宗教の共同生活場と大麻の栽培場であり、その教祖の男と家族の娘が儀式と称して淫らな事を要求されるということが、やはり編集に察せられるようになっています。
 どちらも男女の年齢差による性的な行為の嫌悪感を想起させるような内容になっていますが、見ている人の後味を悪くする方法の一つとして、この嫌な関係性があり、そしてその行きついた先が殺人事件となるわけです。
 さらに、この一般家庭という対象自体、身近だけれどよく分からない存在であるというのが、この番組を裏の設定含めて惹きつける要素になっています。

凶悪な事件は一般家庭で起きる

 オチが殺人事件と逮捕ですので、ネット上の特別編ではニュース映像風の内容で公開されています。この短い映像が、すんなりと視聴者に受け入れられてしまうのも、現実の事実としてニュース番組の構造は一般人の犯罪と被害、政治家と芸能人のゴシップで作られているという認識があるからだろうと私は思います。
  凶悪な事件、ゴシップなど、ニュース番組で報道されることは様々ですが、それが放送されるのはそれを知りたいと思い、内容を理解し、自分の感情や意見に落とし込みたいという人が大多数であるからでしょう。
 報道をどのような感情に落とし込むかは個々人によって違うと思いますが、「今日は報道することが無いので、ニュース番組はありません」という日が私が生きていて一度も無かったのは、それだけ世の中には多くの出来事があるということなのだろうと私は思います。
 そのように繰り返し何かしらの事件が起きて、そしてそれらの加害者も被害者も、大抵は隣に住んでいてもおかしくない一般人であるという構図を、毎日見ている状態というのは頭の中で先入観、偏見が生まれやすい状態とも言えます。
 『Aマッソのがんばれ奥様ッソ!』の構成の様に、普通にロケとして取材していた一般家庭が、実はある事件の関係者だったという新しい事実も、制作者側がそのように意識的に演出せず、突然、今までの伏線なしで報道されたとしても、私たち視聴者はすんなり受け入れてしまうでしょう。
 それだけ一般人の犯罪というのは、ニュース番組では普遍的な素材でもあるのです。

『放送禁止』シリーズ

 こうやって書いてみると一部の深夜放送好きの人には、過去に深夜で放送されたある番組を思い出す方もいるでしょう。フジテレビ系列で2000年前半に放送されていたフェイクドキュメンタリーシリーズ『放送禁止』です。

 放送禁止 (フジテレビ系列のテレビ番組)ーwikipedia

 この『放送禁止』という番組は、ある理由により放送できなくなった取材映像をあえて編集して放送したドキュメンタリー番組という形で放送されました。
 よく考えれば放送禁止なのに放送してしまうという不思議な番組なのですが、見ていくにしたがって実は放送禁止となった問題とされている理由とは違う、取材対象者が抱えている裏側の設定が写り込んでおり、視聴者はそれに気づかされてしまうという構造になっています。
 ここでもわざとらしい編集やカメラのクローズアップによって、視聴者の違和感を与えているのですが、この番組ではあくまでも放送できなかったという前提が一種のホラー映像的印象を与えているので、あらかじめ怖いと思って見ていたら、別の怖い真実をうっかり見てしまうという二重の怖さを生ませたという、当時としては画期的な番組だったと私は思います。
 現にこの番組はシリーズとして続編が放送され、映画化、企画・脚本・監督である長江俊和さんの手による禁止シリーズという小説に結実することになります。こちらも私は新作を待っています。

ドキュメンタリーとトークバラエティ

 ただ『放送禁止』シリーズと絶対的に違う部分があり、そこに新しい悪意が生まれていると感じるのは、『Aマッソのがんばれ奥様ッソ!』はあくまでもバラエティ番組の形を採っているという事なのです。
 怖いフェイクドキュメンタリーを見せるのであれば、『放送禁止』のテレビ東京版を作ればよかったと思います。つまり、ロケVTRだけをそのまま深夜に流していても、今のネットなら考察する達の間で十分話題になっていたと思います。
 なぜわざわざバラエティ番組にこだわったのかについては制作者本人に聞くしかないのですが、私はこの番組が面白い番組として放送させたいという意識があるからだろうと妄想します。
 確かにAマッソさんのエピソードトークも面白かったし、芸人であればツッコミどころ満載の不自然な描写や会話などを完全に無視するという不気味さも面白かった。そして何よりもVTRを見ながら二人が笑っているというワイプの映像と声が大事なのだろうなと思います。
 どう考えたって変な一般家庭のVTRなのに、その違和感を笑わずにバラエティ番組の形として女性芸能人の行動に対して笑っているというかたち。それによって、ホラー要素の演出や効果がバラエティ的な面白い演出による笑いにねじ伏せられてしまうというのが、単にホラー映像を作ろうとしないという手間のかかった製作者の悪意を感じさせるのです。

『RaikenNipponHair』の内容

 『RaikenNipponHair』とは、インターネット上に不正にアップロードされた『Raiken Nippon Hair 20101112 QUIZ in Nerawari』という海外のテレビ映像の事です。
 映像にはネラワリ語を話す人々が映っており、どうやら日本の芸能人に関するクイズ番組であることが見ていると推察されます。現地のCMもカットされずに流れているので、この番組を不正にアップロードされたネラワリ語話者はこの番組やCMに思い入れがあったか、単に他のネラワリ語話者からの視聴による広告収入を得たかったのかもしれません。

人工言語ネラワリ語

 そもそも『Raiken Nippon Hair 20101112 QUIZ in Nerawari』を見た人はネラワリ語は実在しない言語だとはすでに分かっており、実は日本語に翻訳することが出来る言語であると知られています。twitterではネラワリ語に関する言語体系や情報を探すことができます。また有志の人の手によって大方日本語に翻訳されたものも見ることができます。

 Raiken Nippon Hair 文字内容全訳 ーA.I.さん migdalより

 この言語を制作した方は坂本小見山さんという方で、youtubeで日本語や人工言語に関する動画を制作されている方です。この『Raiken Nippon Hair 20101112 QUIZ in Nerawari』、『島崎和歌子の悩みにカンパイ』で使われることになったネラワリ語についての解説動画も公開されています。

 【ネラワリ語】「Raiken Nippon Hair」観てね!【制作雑感】
 ネラワリ語制作秘話【初期デザイン/没案/番組名】
 ー どちらも坂本小見山〈Sakamoto Omizan〉 youtube chより

 私はもともとワタナベタウン語の動画から坂本小見山さんを知ることになり、そして氏の別の告知動画から『Raiken Nippon Hair 20101112 QUIZ in Nerawari』という動画を知り、そしてプロデューサーの大森時生さんを知ることになります。
 そしてこのネットでの繋がり方は、大森時生さんの創作に対するスタイルの一つなのだろうと妄想するのですが、それについては後述します。
 ここで初めてネラワリ語というものが世に生まれて、架空の国のバラエティとしてのクイズ番組に起用されることになります。しかし、その使われ方には単にバラエティのクイズ番組を作りたいとは別の意図があるよう私には思われます。

そこにある悪意『Raiken Nippon Hair 20101112 QUIZ in Nerawari』の場合

 先の文章で説明したように、実際はネラワリ語もこの地球上には存在しませんし、このクイズ番組も放送されていません。不正アップロードされたわけではなく、そのようなまわりくどい形に制作されているのです。
 しかし、日本語ではない言語による番組は、残念ながら多くの不正アップロードによって簡単にネット上で見られてしまう現状であるのに、なぜ、この簡単に見られてしまうような海外風の番組が、ここまで面白いと思って見てしまうのでしょうか。そこに、私は制作者の悪意を感じてしまうのです。 先のリンクにある翻訳された番組の内容を読むかぎりでは、この番組で問われている問題は、少し古めの芸能人の事やそれにまつわる雑学やゴシップに関することです。しかも、一般人や世間に迷惑をかけて炎上した事件や誰でも知っているような雑学というよりも、知っている人は知っているようなものばかりです。
 もともと映像作品の題名に20101112とあるので、単純に考えれば2010年頃の芸能に関するカルト的な話をネタにしているのだろうとは思います。ただ、そこに2020年前後に起きた芸人の局部露出に関するゴシップも含まれているので、そう考えると映像作品の時代背景と辻褄が合いません。しかし、それはあえてそう作っているのでしょう。
 10年前の少々話題になったゴシップに関するネタを流し続けていても、架空言語の分からなさに加えて、出てくる芸能人の知っているか知らないか微妙なところではあるので、芸能界に関する知識が少ない視聴者にとってはよくわからない印象を視聴者に与えたまま終わる可能性もあります。
 だからこそ、最近ネットでちゃんと話題になって、しかも下ネタである事件を取り上げることで、最後にこの映像作品制作者側からの大きな意識を感じて、ようやくブラックな笑いというオチとして視聴者は視聴を終わらせることが出来ることができます。
 つまり、架空言語というツールは、不正アップロードを含めネット上でのテレビ番組の扱われ方を客観的に見せる一方で、実は番組で使われているネタが芸能人のゴシップ、というブラックな笑いであることを全面には押し出さない、ひねりを入れた手法なのだと思います。私はこれも製作者の悪意の一つなのだろうと考えます。

『島崎和歌子の悩みにカンパイ』の内容

 そうして『Raiken Nippon Hair 20101112 QUIZ in Nerawari』が「テレビ東京若手映像グランプリ2022」で優勝したことを受け、2022年4月27日にテレビ東京の深夜帯に特別編が放送されることとなります。
 しかし、放送されたのはコンテストで優勝した『Raiken Nippon Hair 20101112 QUIZ in Nerawari』の特別版ではなく、全く別の日本語でのトークバラエティ番組でした。それがこの『島崎和歌子の悩みにカンパイ』です。こちらの番組は、執筆現在youtubeのテレビ東京公式 TV TOKYO chで全編視聴することができます。ぜひどのような内容になってしまったのかご覧ください。

 【公式】島崎和歌子の悩みにカンパイ OA版 《テレビ東京若手映像グランプリ2022優勝作品特番》ーテレビ東京公式 TV TOKYO -youtube

そこにある悪意『島崎和歌子の悩みにカンパイ』の場合

 映像作品をご覧いただいた方なら分かるように、やはりただのトークバラエティ番組ではありませんでした。島崎和歌子さんと三四郎の小宮さんがホストとなりゲストの悩みをお酒を飲みながら聞いていくという内容だったのですが、途中で電波の乱れの様なノイズが入り、別の言語の海外らしき番組が入り込んでしまうという仕掛けになっていました。
 そこで使われている言語が先の『Raiken Nippon Hair 20101112 QUIZ in Nerawari』で用いられたネラワリ語だったのです。そのように考えると、これはまさしく『Raiken Nippon Hair 20101112 QUIZ in Nerawari』の特別編とも言えるでしょう。もっと純粋に「ネラワリ語」という言語の続編とも言えるかもしれません。コンテストで受けていたのは確かに架空言語という設定ではあったので、それの発展形を考えるのは自然な事なのかもしれません。
 ネラワリ語の言語の続編であり、番組の続編ではないので、番組の形は自由に作ることが出来ます。しかし『Raiken Nippon Hair 20101112 QUIZ in Nerawari』は単独の映像作品であり、ネット上の不正アップロードという形態を借りているので、ネット上で見ても違和感はさほど感じずに見ることができました。
 しかし、本来のテレビ番組として同じことをすると直前の日本語のCMが明けたら突然、良く分からない言葉を話す人々の番組が始まるという、視聴者へのテレビやテレビ局自体に対する違和感の方が強くなってしまうのかもしれません。この番組は別にこの世界自体を不安にさせるのではなく、視聴者の作るテレビのイメージを不安定にさせたいだけなのです。
 よって、この前の番組の雰囲気やCM、テレビ東京の雰囲気を引き継いだまま途中で変化させる方が、違和感のない不自然さを引き出していけるという意図があったのだと私は思います。

悪意をネタにしたネラワリ語の番組

 映像をジャックされた番組の内容は、ネラワリ語圏の有名な実業家が札束を持参し、どうやらある芸能人に関する何かを持ってきた一般人に対してお金を投資するという内容みたいです。これは日本テレビ系列で2001年から2004年まで放映されていた『¥マネーの虎』のネラワリ語版の様です。

 ¥マネーの虎 ーwikipedia

 これは単にパロディやパクリというよりも、wikipediaにも書かれているように、この形態のフォーマットが各国に流出していく中で、様々な要素を追加したり削除したり先で行きついたのがネラワリ語版の『¥マネーの虎』なのだろうと思います。あまりにも変化しすぎて悪意の塊になってしまったのですが。
 ネラワリ語版『¥マネーの虎』で投資案件として出てくるものは、やはり芸能人に関する少し話題になったゴシップや雑学、元にした小道具です。それらの芸能人ネタは『Raiken Nippon Hair 20101112 QUIZ in Nerawari』の2010年代よりも幅が広くはなっています。
 そもそも『¥マネーの虎』が2001年なので、最初の出資希望者の出した小道具が松居一代のお掃除道具「マツイ棒」であっても日本の時間軸では違和感はありません。
 それらの小道具に対して『¥マネーの虎』に登場する実業家たちが喜怒哀楽の様々な感情で応えていくという形なのですが、ここら辺もリアリティーショーの生々しい部分だけを見せるという、悪意の部分だけを抽出しているような気がします。
 本来の『¥マネーの虎』の持つ人間の生々しさに、『Raiken Nippon Hair 20101112 QUIZ in Nerawari』の持っていた芸能人のゴシップのブラックな笑い、そこにネラワリ語という簡単には理解できない言語のツールをぶつけることで、そのような知識のある視聴者に対して直接浸透するような包み込まれたブラックな笑いを生み出しているのだろうと私は思います。
 制作者の悪意の形が見える映像作品として『Raiken Nippon Hair 20101112 QUIZ in Nerawari』『島崎和歌子の悩みにカンパイ』を含めてもいいのではないかと思います。

【公式】島崎和歌子の悩みにカンパイ 修正版が存在する意味

 この『島崎和歌子の悩みにカンパイ 』なのですが、実は現実にテレビ東京で放映されたOA版とは別に、本来の番組として放送されるはずだった本来の『島崎和歌子の悩みにカンパイ』もテレビ東京の公式youtubeチャンネルに、修正版と名付けられてアップロードされています。先のOA版と同様に、こちらの修正版を合わせて視聴することお勧めします。

 【公式】島崎和歌子の悩みにカンパイ 修正版 《テレビ東京若手映像グランプリ2022優勝作品特番》 ーテレビ東京公式 TV TOKYO -youtube

 どうでしょう。どちらもご覧になった方なら、おそらくこのように思う人もいるはずです。「修正版の方が面白いじゃないですか」と。
 実は私もそう思ってしまう性質の人間で、この修正版も確かに芸能人の外ロケのトークバラエティ番組として完成度が高いので、普通にテレビで放送されていれば、私もだらだらと楽しんで見られると思います。
 トークバラエティ番組とは一体何なのでしょう。なんで私たちは芸能人の話をだらだらと聞いているのでしょう。芸能人の話が面白いからなのか、人の声が無いと寂しく感じてしまうのか、それはテレビが生まれる以前、ラジオの頃から、小説家のエッセイの頃から、常に考えられている事であり、いろいろな考え方があると分かってはいますが、私なりの言葉で書いてみたいと思います。

トークバラエティ番組とゴシップの違い

 トークバラエティ番組は、芸能人が自ら提供するゴシップの形であり、視聴者にとって笑える話に変化させて時間を埋める、テレビ局と一体となって作られている番組だと思っています。
 旬な芸能人を出し、視聴者の興味の引く内容を出しつつ、時折、食べ物を出したり、かわいい動物を出したりして、多方面から歓心をさそい、しかし、その番組で出てきた発言の真意や意図までは深くまで考える必要がない。視聴者の思考がただアイドリング出来る時間としてトークバラエティ番組はあるのだろうと私は思います。
 なので、芸能人ゴシップの一形態としてトークバラエティ番組が存在しているので、これも一つの悪意の形とも言えるのではないでしょうか。時折、その発言が世の中とマッチせず炎上したりすることがありますが、ゴシップ自体がとして悪意の形として存在する以上仕方のない事だと思います。
 芸能人自らの判断で番組で出すか、ゴシップ雑誌が芸能人の判断を越えて出すかの違いで、視聴者にとってはどちらも芸能人から出た話であることには違いはないと私は思います。
 しかし、週刊誌に乗ってしまうゴシップに対する視聴者の感情は、ファンであればあまり良いものとして受け入れられてはいません。ファンでなければ確かに面白く感じるのですが、ファンじゃない人の情報を積極的に見るということはしないと思います。
 あくまでもトークバラエティで自らの軽いゴシップを晒すほうがファンにも、ファンでない人にも受け入れられている風潮を感じます。自らも視聴者の側でしかないような人なのだというイメージの落とし方です。

テレビ番組の構造としての強度と再生回数

 もちろん、この修正版がyoutubeにアップロードされた意図については私は妄想する以外にないのですが、OA版では断片として修正版での気になるシーンが入り込んでいたので、その修正版の内容も気になる人はいると思われます。
 ですから、この制作者側のアフターサービスとして『Aマッソのがんばれ奥様ッソ!』の特別編と同じように、番組全体の構造を把握できるようにしているのだろうと私は思います。
 それによって私たちはその違いを分かりやすく楽しめるようになったのですが、それにはまた別の映像作品に対する側面を見せることになりました。それはOA版と修正版がyoutubeに上げられたことによって、再生回数といいねの数が視聴者にも分かってしまったことです。
 OA版が元々テレビ局の番組として放送されているため、未公開だった修正版の方が再生回数が多くなっているのは確かに自然なことではあるのですが、しかし番組を考察をする人達のリピーターの視聴者層よりも、島崎和歌子さんと三四郎さん、ゲストたちの会話のトークバラエティ番組を見たいという視聴者層の方が多かった、そして評価が高かったというのは事実だろうと思われます。
 これだけでひねりがあるバラエティ番組よりも普通のバラエティ番組の方が良いという結論には私はするつもりはありませんし、どちらも別の面白さがあるのでいろいろな番組が存在する方が楽しいと私は思います。
 しかし、現に視聴回数として表れている以上、普通のトークバラエティ番組に出てくる芸能人や、そこで提供されるちょうどいい加減のゴシップ的な話によって埋められる、ただただぼんやり眺めていられる番組構成というのは、テレビが長年の視聴率の獲得のために試行錯誤して生み出されていった強度のあるフォーマットだったのだろうと改めて私は思いました。

『テレビ放送開始69年 このテープもってないですか?』の内容

 テレビ放送が始まってから69年経ち、多くの番組が放送されましたがテレビ放送初期は生放送だったため多くの放送が記録されないまま消えていきました。また、生放送からテープ放送へ切り替わっていった際もテープ自体の価格が高かった為、新しい番組を撮影する際、古いテープを再利用していたため、古い記録映像はほとんど残されていないというのがテレビ局の現状です。特に古いバラエティ番組は残されていることが珍しいらしいです。
 そこで、この『テレビ放送開始69年 このテープもってないですか?』ではそのようなテレビ局にはすでに残っていない、それらの古いバラエティ番組を視聴者から募集して、その映像をいとうせいこうさんと井桁弘恵さんが見るという企画になっています。
 今回は、たまたま視聴者によって偶然、ある深夜の生放送バラエティ番組「坂谷一郎のミッドナイトパラダイス」を録画したビデオテープが三本、つまり三回放送分届いたので、現実時間で一夜ずつ、そのビデオテープを見ていくという内容になっています。
 「坂谷一郎のミッドナイトパラダイス」は、MCの坂谷一郎さんとレギュラー出演者含め、今ではコンプライアンスで問題とされるような表現や発言をしているという点で、いとうせいこうさんや井桁弘恵さんも過去の記録として懐かしんだり驚いたりしながら見ることになります。
 しかし、その中の一コーナーである「見て!聞いて!坂谷さん」が始まってから、様子がおかしくなります。この「見て!聞いて!坂谷さん」は、視聴者が坂谷さんに伝えたいことや悩み事を、当時普及し始めた家庭用ビデオカメラで撮影して番組に送ってもらい、それを見て、スタジオに居る人たちがあれやこれやという内容です。
 最初の方は、視聴者の何気ない日常を撮影したようなものなのですが、途中から映像に何かが入り込むようになり、それを見てしまった坂谷一郎さん初め、スタジオの出演者が次第におかしくなってしまうというのが、回を重ねるごとに、つまり、現実時間でも第一夜、第二夜、第三夜と進んでいくたびに、視聴者にも「坂谷一郎のミッドナイトパラダイス」にただ事ではないことが起きていると分かるようになっていきます。
 それだけではなく、つまりその過去の映像を見るという『テレビ放送開始69年 このテープもってないですか?』という番組もまた、その視聴者から送られてきた家庭用ビデオカメラで撮影された映像を見てしまっているので、いとうせいこうさんや井桁弘恵さんも第一夜、第二夜、第三夜と進んでいくたびにおかしくなっていくという仕掛けになっています。
 最後は、完全におかしくなってしまった出演者たちを残して、『テレビ放送開始69年 このテープもってないですか?』は終了してしまいます。そして、この番組では、ネット上で見られる解決編の様なものは無く、あの番組で何が起きていたのかを視聴者で想像するしかありません。

そこにある悪意『テレビ放送開始69年 このテープもってないですか?』の場合

 もちろんこの『テレビ放送開始69年 このテープもってないですか?』として事前に家庭用ビデオテープを募集したという事実はありませんし、送られてきたという「坂谷一郎のミッドナイトパラダイス」も現実には存在しません。このことは最後のテロップでも表示されています。つまりは、どちらも、架空の設定によってつくられたバラエティ番組なのです。
 ここでの『テレビ放送開始69年 このテープもってないですか?』で用いられている構造は、今までの映像作品たちの現時点での到達点とも言えるものと私は考えます。
 まず視聴者から送られてきた家庭用ビデオテープを元にしたVTRを見ながら、別のスタジオでいとうせこうさんと井桁弘恵さんをワイプに置いているという形は、『Aマッソのがんばれ奥様ッソ!』の再現にも見えます。これは単純に今のバラエティ番組の形として使いやすいフォーマットとして当然の様式なのかもしれません。
 そして、もう一つの構造は作品内作品であるという事になるでしょうか。ここでいう作品内作品は「坂谷一郎のミッドナイトパラダイス」というテレビ局が放送する番組の中での「見て!聞いて!坂谷さん」で視聴者から送られてくる家庭用ビデオカメラで撮影された、悪く言えば素人の映像が挟まれてくる、実際は現実世界とは違う何かからの伝染性映像というものです。
 これは、既に『島崎和歌子の悩みにカンパイ』の映像が突然ジャックされて、別の番組に切り替わってしまうという方法で行われているので、この制作者を追いかけている人なら、この突然に起きる異常現象を見て何か、以前の雰囲気と似ている印象を持った方もいるかもしれません。
 このようにして、制作者側は今までの映像作品における、面白いとされる要素をうまく組み合わせて、『テレビ放送開始69年 このテープもってないですか?』を作り上げたのだろうと思います。
 視聴者の反応を見ているのかどうかは分かりませんが、前作よりもさらに磨いて面白いものを作ろうとしているのは分かりますし、私も十分に楽しめました。ただやはり、そこには人を後味の悪い笑いに引き込むような悪意を残しているとも私は感じます。

80年代の深夜バラエティ番組のイメージ

 「坂谷一郎のミッドナイトパラダイス」の元になった番組イメージとしては、80年代から90年代前半で放送されていた「11PM」「オールナイトフジ」や「トゥナイト」などの深夜帯生放送であると思われます。予想でしか書けないのは、私はその頃はまだ子供だったからで実際の放送を見ていないからです。
 そう考えると「坂谷一郎のミッドナイトパラダイス」を、その当時の深夜帯生放送番組のパロディだと認識できるリアルタイムの視聴者は50歳代という事になります。『テレビ放送開始69年 このテープもってないですか?』に出演していた、いとうせいこうさんがその世代であり、おそらくその以下の世代は実際のパロディを楽しむというよりも、ただそういう時代があったという雰囲気を楽しんでいたのではないでしょうか。
 おそらく『テレビ放送開始69年 このテープもってないですか?』の視聴者層の大半が、その当時の雰囲気をイメージしたパロディとして見ているのであり、制作者側もそのイメージのずれは理解はしていると私は思います。
 なので実際には、生放送深夜帯番組が放送されていた時よりも内容や過激な演出は薄くしつつ、かつ現在から見れば嫌に感じてしまう雰囲気の例としてのセクハラ的発言だけを残した分かりやすい形にしているのでしょう。
 そもそも「坂谷一郎のミッドナイトパラダイス」という番組自体が、いかにして家庭用ビデオカメラという映像を見せるかという合理的な説明のための土台として作られた番組です。
 かつそれが家庭用ビデオテープに記録されていたという設定に変化させることで、現代のバラエティ番組における貴重な資料映像として我々に見せるための合理的な説明にもなります。
 後味の悪い演出と映像処理を見せるために、ここまで段階的に視覚的に説明しなければならないのかとは思いますが、我々視聴者からすれば、後味の悪い映像を見て嫌な笑いを見たいだけなので、この「坂谷一郎のミッドナイトパラダイス」が持つ苦笑いするような雰囲気を持つ番組と、当時放送されていた番組との正確性はいちいち気にしなくてもいいのかもしれません。

VHSの持つ怖い要素

 私は家庭用ビデオテープ、VHSをお気に入りのテレビ番組を録画するために利用していた人間だから、その画質を怖いとか恐ろしいとか感じたことはVHSを使わなくなった今でも持っていません。
 しかし、いま考えればVHSの粗い映像はホラー要素にもなりえるという認識を視聴者や後の製作者達へ与えたのは、鈴木光司さんの小説「リング」だったのだろうと私は思います。

 リング (鈴木光司の小説)ーwikipedia

 この「リング」という小説は、見ると七日後に死ぬという呪いのビデオを見てしまった者たちによる、その呪いの解明と解呪を求める苦闘を描いた内容です。この呪いを解読する手掛かりは、この呪いの元凶であるビデオテープの映像しかありません。
 映画化されたときに使われたホラー手法によって、「リング」という作品はビデオテープという小道具よりも、その呪いの元凶となった女性、山村貞子の方が有名になりました。現在でも「リング」という作品の精神的続編や山村貞子を主とした「リング」系統の作品が作られています。

呪いのテープという存在

 ただ、初期の「リング」では呪いのビデオテープ自体には怖い要素は描かれていません。何かしらの映像の断片が集まって出来ているだけで、最後に文字によってとつぜん七日後の死を宣告されてしまうというものです。
 視聴者側としては、つまらない映像を延々と見させられた挙句、呪いで殺されるなんて、まさに理不尽以外の何物でもないのですが、実はそれらの断片的映像があるつながりを持っていることが分かるというのが、この「リング」の面白さでもあります。
 血や暴力といった直接的な怖い要素を描くことなく、少し気味の悪いと思えるような断片的な映像を重ねることで、視聴者にそれらの断片は何なのかと考えさせる新しい恐怖感というのが、この呪いのテープという小道具によって一気に広まっていったと私は思います。
 この気味の悪い映像の断片、呪いのテープ方式は、現在ではネット上でもいろいろな人々によって製作されるようになりました。気軽にそれらの映像の断片を見ながら、制作者が用意したであろう別の事実を見つけようとする楽しみも根付いていっています。私はそれらの映像を見るのが怖いので、まだ楽しめてはいません。

『テレビ放送開始69年 このテープもってないですか?』の構成、梨さん

 『テレビ放送開始69年 このテープもってないですか?』のエンディングテロップの構成者として、「梨」という文字が書かれているのをご存知でしょうか。梨というのは、おそらくペンネームだと思われますが、様々な怪異作品をネット上で公開されている方のようです。
 Twitterのアカウントを載せておきますので、各自、人となりをツイートから想像してください。

 @pear0001subー梨.psd

 この方が『テレビ放送開始69年 このテープもってないですか?』の構成に関わっているという事である界隈では盛り上がったみたいですが、それはこの方が書かれた作品に、まさしくビデオテープを元にした怪異譚があります。
 それが「しんに」という作品なのですが、これは一人の怪談収集が趣味の人が体験した、ある出来事について書かれているルポルタージュ的物語となっています。最初に閲覧注意と書いてありますので、その意向に従いこちらも閲覧には十分注意してくださいと、私も書いておきます。

 「しんに」ーSCP財団

 怖い話や怖い画像は見たくないという方のために、簡単にこの話の仕掛けをここで書いてしまいますが、これは最後まで読むと呪われるというもので、読者は表からではその言葉には気が付きません。
 ある表示方法をすることによりその呪いを見ることが出来るというものになっていますが、これも、ある種の考察を喚起させる恐怖であると思います。自ら探すことでより怖さを感じられるという仕掛けです。あとは、表の方でもある画像を加工して現実のものとは思えないものを見させられるという恐怖もあるので、見たくない人は見ない方がいいです。

SCP財団

 さて、この「しんに」という作品は単独でも十分怖い作品なのですが、この作品は、ある作品を元にしたものとなっています。その作品は「SCP-511-JP」という作品です。こちらも梨さんが手がけており、こちらの作品ではあるビデオテープに関する調査資料的文章となっています。

「SCP-511-JP」ーSCP財団

 さきの「しんに」とは全く違うテイストのホラー作品ですが、この調査資料の様な文章になっているのは、このSCP財団というサイトの性質が大きな要因となっているからです。
 SCP財団とは、ひどく乱暴に簡単に言ってしまえば有志の人々の手によってつくられている世界規模の創作怪異譚サイトです。このSCP財団というのは人類に対する脅威に関する物体や超常現象を、一般人に被害、影響を及ぼさないように隔離、監視、および収集するという架空の秘密組織です。
 収集された怪異現象をそれぞれ数字によって管理し、それらに関する内容を調査資料としてまとめているので、各怪異現象に関する内容も資料として機能するようにできるだけ統一されています。
 それらの怪異現象は考案者によってつくられたものなので、本来であれば文体も考案者によって個性が出てしまうのですが、資料として文体を統一することで、SCP財団という設定を保ったまま、多くの創作者が参入することができるようになっています。
 これは読者にとっても大多数で作られているという文体による違和感を感じにくく、かつ、多種多様な恐怖に関する知見を得ることが出来るので、このSCP財団を読者として興味を持った人が、次は作り手に回るというサイクルも生まれています。

恐怖のパッケージと悪意の生産サイクル

 私にはまだ理解できない感覚ではあるのですが、このように怖いものを怖いとして評価し、楽しむ文化というのが存在します。心霊写真、怪談、特殊造形、ホラー映像など、一見すると顔をしかめてしまうようなものを作り、他人が見られるように公開して、その出来や反応を求めてしまう。
 これは別に怖い物だけではなく、世の中に存在する表現や文化は全て、他者の作品の模倣と発展から出来ています。私が好きなジャンルに置き換えれば、それらの創作物を楽しむという行為は、確かに理解できることではあります。
 ただ、その創作物にも言えるのですが、それらには必ず作り手と受け手の表現の共通認識が存在します。恐怖であれば、この世に存在しない人の顔が写ったり、人の体が物理的、精神的に形を保てていなかったり、この世には存在しないであろう造形物、死や暴力や呪い、人の不幸な状況といった負の感情を想起させるような描写を人は想像します。
 怖い話として評価されるのは一体何かというと、純粋に怖いという点であると私は思います。評価する人それぞれに基準はありますが、怖い話で怖くなかったと高評価を与える人は怖い話好き界隈ではあまり見かけないでしょう。
 そのような怖さの基準を持っている人たちが、またその基準によって新しい怖い作品を創作して、また捜索し発見するので、作り手と受け手の基準が高まっていくにつれて、より質の高い怖いものが生まれていくというサイクルが出来上がっていきます。
 そのサイクル自体にどのような意思が含まれているのかは、私には分からないところではありますが、人を楽しませたい、面白がらせたいという部分では、他の文化と変わりがないところだろうと思います。ただ、どうしても私には、わざわざ他人を怖がらせるという創作行為に、何かしらの悪意が存在するような気がしてならないのです。
 それが現実の物であろうと創作物であろうと、お互いが安全な場所で体験していることを客観的に意識できて、怖いものから暗い笑いへと変えられるものがあるとしてもです。

悪意が生み出す笑い

 もう一度、改めて私がこの映像作品群を見て、考えた悪意の形についておさらいしてみたいと思います。

 一般人の犯罪であれば、より視聴者の心証が悪い事件であればあるほど、そこに対する嫌な笑いも生まれやすくなる。年齢、性別、立場など関係性の上下関係が際立つものであればあるほど、さらに暗い笑いを生み出しやすい。

 芸能人のゴシップであれば、それが一時的に話題になり、そしてしょうもないものであればあるほど、芸能人のイメージが下がって暗い笑いを生み出しやすくなる。しかし、実のところ視聴者の多くは自分と同じ人間であるというイメージの落とし方を望んでいる。

 怖い創作物であれば、人を怖がらせるためにあえて不快な作り方をする。表現方法が増えれば増えるほど、怖がらせる手法も多くなる。しかし、その不快さ自体を受け手は望んでおり、その作品の質が良ければ良いほど、面白かったという暗い笑いを生み出しやすい。

 そして、それらの作品を受けた人達の中の一部が、次の世代の製作者となり、さらに新しい受け手という存在を作り続けていくという、創作というサイクル。フィクションをフィクションとして楽しんで、そして自らもフィクションとして相手に楽しませようとする公ではあるけれどその実、密やかな暗い笑いが潜んでいる。

 私がこの映像作品群を見て、なぜこのような後味の悪い作品がコンスタントに作られて、それを飽きもせず面白いと思ってしまうのだろうか、と疑問に思ったところからこの文章を書き始めたのですが、思いの他、長くなってしまいました。
 悪意という風に書いてしまったので、この映像作品群が好きな人には不快に思われたと思いますが、私自身がどうしてこれらの映像作品が好きなのかと思うと、やはり人が何かしらの攻撃性を受けている、受けていたという事実を知って面白いと思ってしまうからです。
 しかし、これらの作品群を総称する「悪意」という言葉は、私がひらめいたものではなく、TBSプロデューサー藤井健太郎さんが以前に出していた『悪意とこだわりの演出術』という本から発想を得ています。

 悪意とこだわりの演出術ー藤井健太郎 双葉社公式サイト

 つまり、これらの映像作品をを悪意という補助線で引けば、後味の悪い作品とは何かというものが、少しは見えてくるかもしれない何とか無理やり悪意という言葉に引っ張って作っただけの文章だったのです。
 ちなみに、『悪意とこだわりの演出術』で使われている悪意と私が使っている悪意は同じものとして使ってはいないことを留意してください。藤井健太郎さんが使っている悪意が気になる方はぜひ、『悪意とこだわりの演出術』を読んでみてください。
 この文章を読んで納得された人も、されなかった方も何かしらのリアクションを頂けたら嬉しいです。

最後に、これからのエンタメ番組とネット発クリエイターとの共作

 『テレビ放送開始69年 このテープもってないですか?』と「しんに」や「SCP-511-JP」では、ビデオテープという小道具の共通点しかないように思われますが、そこに収録された映像を見ることによって何かが伝染して、次第におかしくなってしまうというホラー要素の仕組みは、これら作品の精神的な部分で繋がっていると私は思います。
 どのようにして、梨さんがこの番組の構成として参加することになったかは、現在の私には分かりません。その精神的な部分と、梨さんの得意とする怪異譚の部分に、この制作者は何か惹かれるものがあったのかもしれません。
 これは『Raiken Nippon Hair 20101112 QUIZ in Nerawari』で、ネラワリ語を創作、監修している坂本小見山さんの起用とも通じるところで、制作者は面白い番組を作るために、専門機関に属しながら研究、論文を発表をする人では無く、趣味として研究し創作するネット上のクリエイターと一緒に内容を磨き上げてくことを採用しているのだろうと私は思います。
 そちらの方がレスポンスがはやい、情報の正確性ではなく創作の面白さに重点を置けるなどなど、考えられる利点はありそうですが、私自身が製作者ではないのでそこもよくわかりません。
 次回の大森時生さんの映像作品がどのようなものになるかは分かりませんが、次回作もおそらくネット上のクリエイターを起用して、面白い作品を生み出すのだろうと私は予測します。
 それが来年の年末になるのか、それとも突然、連続ものとして1クール放送するのかは分かりませんが、その時が来るまで私は楽しみに待ちたいと思います。

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