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あごだし、それはわたしの一部

今日は、あごだしうどんスープの話をしようと思う。

大事なことなので、もう一度言う。

今から、あごだしうどんスープの話を、します。

あごだしうどんスープとは何ぞや

あごだしうどんスープは、九州などの特定の地域でのみ愛用される、スープの素。
そしてあごだしの「あご」は、トビウオのことだ。

うどんスープという名前ではあるけれど、写真のような感じで、麺とは別に売られていることも多い。

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何故、単品で売られているのか。
うどん以外のものに使っても、旨いのである。味噌汁とか、野菜炒めとか。

細かい粉末状になっていて、お湯に溶かすとさらりと溶ける。10グラムごとに小分けになっているのも嬉しい。

何より、荒々しい海の風味とともに、ほのかに感じる甘さ。
他の具材を邪魔しない、やわらかな香り。
それでいて汁物や煮物を一気に引き立てる、深い味わい。
もはや、調味料のさしすせそに横入りさせたいくらいだ。

関東にはなかった、あごだし

かく言う自分(福岡育ち)も、あごだしで育った。
重湯にあごだし混ぜられててもおかしくないし、血液にあごだし含まれてます、と言われても「そっかあ」で終わると思う。しらんけど。

当然、そんなわたしの一家も、揃ってあごだしクラスタだ。福岡から茨城に引っ越した後も、あごだしを福岡から取り寄せていた。

当時幼かったわたしは、あごだしは全国区の食い物だと信じて疑わなかったため「なんでわざわざおうちに届けてもらうんだろう」と思っていたものだ。

小学生高学年になり、ある程度自分の意思でスーパーに出向くようになったわたしは、愕然とする。

「あごだしが……無いだと……!?!?????」

水のようにぐびぐび飲んでいた、あごだし。
空気のように、当然あるものと思っていた、あごだし。
それが存在しない世界線があったなんて。

この一件から、わたしはあごだしの尊さ、有り難さを噛みしめるようになる。
そして、自分が東京で一人暮らしを始めた後も、ちまちまと九州からあごだしを取り寄せていたのだった。

好きなものを手に取れる世界 is プライスレス

月日は流れ、現在。
わたしは今、東京と長崎で、二拠点生活をしている。

五島のスーパー・エレナだと、50袋・1000円前後で、あごだしうどんスープが買える。もう遠く離れた地から、あごだしを取り寄せる必要はないのだ。

お金を出して、時間をかければ、大抵のものが遠くから届く時代になった。けれど、好きなものを自分の手にとって買う、あの感覚がどうにも大事な気がするのだ。

たかがあごだし。されどあごだし。
関東では手に入らないその調味料は、わたしの胃袋をぐっと掴んで、離さない。

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