見出し画像

島に帰る

上五島から福岡に帰ってきた。ここから、成田行きの飛行機に乗る。
島に帰るとだいたいいつもそうなるのだが、人知の及ばないものから厳かに諭されたような、そんな気持ちでいっぱいになっている。

いつ滞在しても、島で過ごす最初の二、三日は、心の大部分を不安が占める。普段、ハードワークな動き方にあまりに慣れすぎているので、スマホやパソコンを手放して、海にちゃぷんと足をつけたり友人と連れ立って港町のスナックに行ったりする、そんな時間の使い方におどおどしてしまうのだ。

けれどだんだん身体と心が慣れてきたら、東京ではしばらく感じなかったタイプの安心感が満ちてくる。slackの通知も最早ここではわたしのことを邪魔できない。このあたりでようやく、最初の数日間の不安は好転反応のようなものだったのだと気づく。

わたしは安心したい。
島に向かうことも、そこで新しい人と話すことも、冒険のように見えて、全ては安心のためのものだ。周囲の人がひっくり返るようなリスクを取りに行ってるようなときも、ぴかぴかな新しいことに取り組むときも、それが母なる大地や自分の人生の指針と骨太につながっている感覚を持てさえすれば、わたしはいつだって穏やかでいられる。

そして、島は毎回、豊かな自然や大切な人たちを通して、はぐれものみたいになっていた自分の心に、大切な物事とつながるための網の目を張ってくれる。

だからなのか、島から戻ってきたあとは大胆な決断をすることが多い。何かを手放すこともあれば、新たに始めることもある。どっちにしてもわたしはいつもより凛々しい顔をしていて、その背後ではいつだって、海に潜ったときの、自分が丸ごとなにかに守られているようなあの感覚がある。

都会は都会で素晴らしい。けれどどうにも安心感に餓えているようなとき、わたしにそれとの繋がりを取り戻させてくれるのは、紛れもなく上五島という場所だ。

島を出るとき、住人のみんなは「東京に住んでていいから、また帰っておいでね」と言う。東京から島に新しい空気を持ってくることが有り難いらしい。

その言葉に甘えさせてもらう反面、たくさんのお土産を持っていったり、島の若者の上京の相談話に乗ったりする以外に、自分にできることは何なのだろうと考える。もっともっと、みんなのためになれたならいいのに、わたしは島をただのヒーリングスポットとして使ってやいないだろうか、と思うことがあり、それがとても悔しい。住人になれないことが、申し訳なくてもどかしい。

なのでせめて、島のおっちゃんたちや同世代の友人たちに笑って話せるくらいには、東京でのわたしも格好良くありたい。海に足をつけているときみたいに慈愛に満ちた笑顔や、肩の力の抜けた振る舞いはできないかもしれないけれど、そこにいるわたしとはまた違う人格として、やりたいことを全部やる。

そして、もしも誰かに「あなたのアナザースカイは?」と聞かれたなら、きっと上五島と答えるんだと思う。


―――――――――――――――――――――――


コーチングのクライアントさんを募集しています。
詳細についてはこちらのnoteをご確認ください▼


読んでくださりありがとうございます!いただいたサポートは、わたしの心や言葉を形作るものたちのために、ありがたく使わせていただきます。 スキを押すと、イチオシの喫茶店情報が出てくるかも。