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異邦の日々は続く

「ゆりさんってご自愛が得意ですよね!」と褒められたことがある。そしてわたしは、その言葉になぜかムッとした。自分で自分のご機嫌をとる、ということへの懐疑心が決定的になったのは、この瞬間だと思う。

かつては巷のご自愛ブームに則り、形だけお香を焚いたりしたこともあった。セレクトショップで適当に買った金木犀のお香は、むわっとする甘ったるい匂いを残した。全然好みの香りじゃなかった。あのときの自分は、自分を愛するということが何たるか、本質的にわかっていなかったんじゃないだろうか。

自分をごまかすようなご自愛をしているとき、わたしってわたしを愛せてない、と思う。むしろ「お香焚いたらちゃんと元気になるだろ?」と自分をみくびっているような感じがして、どうにもいやだ。そんなに単純な人間じゃないんですけど。何よりわたしがわたしの100%全てを満たせる訳がないだろうばーかばーかと思っている。今は、お香は滅多に焚かなくなった。たまに白檀のものだけは使う。同じ煙の出るものなら、お灸の方がはるかに自分に合っているということも分かった。

けれどそうした「形だけご自愛」をやめてから、ちゃんと心から自分を愛せるようになったかと言われると、ちょっと答えに詰まる。言い訳をするようだけれど、自分を愛するって終わりがない。

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二年前くらいに島と東京の間で二拠点生活を始めた頃のわたしは、ついに本来のわたしになれた、と思った。各々のペースというものがある人たちに囲まれて、昔の無邪気で豊かな喜怒哀楽があって、怒ったり笑ったりできる自分に戻ってこれた、と思った。ここがゴール地点で、もうこれ以上より良い自分を求めて彷徨うようなことはしなくていいはずだった。

ところが二拠点生活も板についてきた今、もやもやしている。それは仕事のことだったりパートナーシップのことだったり、いろんなものを取り囲むもやもやなんだけれど、そのもやもやの源泉は、どこか同じところにあるような気がする。

わたしは形だけご自愛をやめたその先で、半永久的に自分のことを愛する取り組みをしている途中なのかもしれない。そしてそれは、ちょっと島に暮らしただけでは完結しなかった。対処療法をやめたことで満足してしまっていたけれど、根本的な体質改善が次に待ち受けており、今も続いているような。きっとそれは、途方もない時間と労力がかかる。ああ面倒臭い。やりたくない。もうこれ以上ドラスティックなのはたくさんだ。

一方で、この感じを知ってしまったらもう戻れない、とも思う。お香を焚いてそれなりにリラックスした気になって、アルカイックスマイルを顔面に貼り付けることを止めたわたしは、間違いなく自分の尊厳の一部を取り戻すことができた。形だけご自愛で昇華することのなくなった恨みつらみを誰にも見せないような日記に書き殴っているとき、きっとものすごく目つきの悪い顔をしているけれど、前よりはいい、ずっといい。

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昔から「なんとかなりたい」とずっと思っている。いいことがあったときも、悪いことが襲いかかってきたときも、等しく思っている。それは多分ちょっと普通じゃなくて「なんとかなりたい」と思っているときのわたしはすごく異邦人だなと感じる。ご自愛という手段があるのにあえてそれを放棄して、よくわからないままに何の解決にもならない文章を書いたりするわたし。

もしかしたら、もやもやがなくなるということはなくて、強いて言えばこの異邦人としてのわたしを生きやすくしてやる、ということが、今後のわたしに課されているのかも、と思う。この生き方だと、はぐれものな感じで時折猛烈にさみしくなるかもしれない。けれどそのさみしさを甘ったるいお香でかき消したりしない自分のことは、半永久的に愛せるような予感がしている。


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