hachiroeto@社会福祉士

自治体職員、社会福祉士。読んだ本などから拾ってきた、福祉に関する「ことば」をご紹介しま…

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自治体職員、社会福祉士。読んだ本などから拾ってきた、福祉に関する「ことば」をご紹介します。

最近の記事

【コトダマ019】「私たちがらいを病んでいたとしても・・・」

最初に言っておきますと、「らい」という言い方は、今はしません。「ハンセン病」と言います。ただ、この本が刊行された1966年には、まだ「らい」という呼び方も残っていました。 もっとも、アメリカでは1952年に「leprosy」が「Hansen's desease」へと呼称変更され、日本でも患者団体は1959年の時点で「ハンセン氏病」に改称しています。ただ、国(当時の厚生省)や専門学会は「らい」の名を使い続け、それは1996年の「らい予防法廃止」まで続きます。著者が「らい」の名

    • 【コトダマ018】「なんでも知っているというようにふるまうよりは・・・」

      昨日に引き続き「わかる(知る)」ことをめぐるフレーズをご紹介します。 どんな人でも、目の前にいる人がどういう人か、何を考えているかわからないと、落ち着かない気分になります。だから、その人を「理解した」つもりになって、安心を得ようとする。その時に「活用」されるのが、その人のもっている属性、つまり「性別」や「年齢」や「人種」や「障害」や「疾病」といった要素です。 「わかろう」とすることは、人間の本能と言っていいかもしれません。でも、「わかる」ことで失われるものがあることには、

      • 【コトダマ017】「相手に対して、あぁ分かるなぁと・・・」

        はい。これは説明不要ですね。典型的な落とし穴のひとつです。 特に危ないのは、ソーシャルワーカーが「相手のことが分かってあげられてる自分」に酔っちゃってるときですね。で、クライエントをほったらかして勝手に盛り上がってしまっている。クライエントはそこに水を差したくなくて、「なんか違うんだけどな・・・・・・」と思いながら、それを口に出せないでいる。まあ、状況としては、最悪ですね。 面接はクライエントのためのものであるはずなのに、これじゃソーシャルワーカーのための、ソーシャルワー

        • 【コトダマ016】「人は皆弱き者である・・・」

          「同情」というのは今でいえば「共感」でしょうか。でも、言いたいことはわかりますよね。 『ヨブ記』や内村鑑三のことについて書き始めたらキリがないのでやめときますが、まあとにかく『ヨブ記』は福祉関係者必読ですよ。私たちが相手をしている人たちが「現代のヨブ」であることに気づかされると思います。私たちソーシャルワーカーは、ヨブの友人たちのようにはなっていないでしょうか。 とはいえ、ヨブ記はなにしろ「旧約聖書」ですから、決して読みやすくはありません。その本質を語りつくした名著がこの

        【コトダマ019】「私たちがらいを病んでいたとしても・・・」

          【コトダマ015】「仕事っていうのは、別に・・・」

          まあ、就労支援の現場などでは、今や「当たり前」の発想ですね。最近は高校でも(早ければ小学生ぐらいから)適性診断などをやって、「自分がどんな仕事に向いているか」を早い段階で自覚させようとするようです。 私が学生だった頃はそんなものはなく、誰かに相談しても「やりたいことを探せ」とか「好きなことを仕事に」なんて言われたものでした。今でも自己啓発本やネット上のインフルエンサーからは、そういう言葉をよく耳にします。そういうのを真に受けて迷走し、ドツボにはまっている人もたくさん見てきま

          【コトダマ015】「仕事っていうのは、別に・・・」

          【コトダマ014】「助けてもらった経験を・・・」

          平日はなるべく毎日アップしようと思ってたんですが、昨日はいろいろバタバタしていて手が回らず。毎日noteを更新されている方々は、本当にスゴイと思います。 さて、気を取り直して本日は、新鮮な採れたてのコトダマをお届けします。福祉関係者必読の雑誌『月間福祉』(全社協)の最新号です。特集テーマの「身寄りのない人を地域で支える」もとても充実していたのですが、個人的にもっとも目を引いたのが上のフレーズ。フランスの家族政策を紹介する文章の中に出てきました。 あくまで家庭や子どもに関わ

          【コトダマ014】「助けてもらった経験を・・・」

          【コトダマ013】「私は、いわゆる”社会復帰”には・・・」

          昨日の「コトダマ」で、中井久夫の「世に棲む患者」という言葉について触れましたので、今日はそれ自体がタイトルになった中井久夫の著作から引用してみました。 著者が相手にしていた精神障害のある人たちも、いざ「自立」「地域生活」となると、まず問題になるのが「住む場所」と「働く場所」です。ひきこもりの支援でも同じような傾向があるかもしれません(「住む場所」はそれほど問題にはならないかもしれませんが)。 もちろん「就労」は大事です。でも、それより大事なことがもっとあるんじゃないですか

          【コトダマ013】「私は、いわゆる”社会復帰”には・・・」

          【コトダマ012】「わたしたちみんなが環境に・・・」

          わたしたちのクライエントの中には、どうしても「環境に順応」できない人がいます。そのため引きこもりになったり、不登校になったり、うつ症状になったり、あるいは暴れてしまって刑務所に入ったりする。 ソーシャルワーカーの仕事は、そういう人を「環境に順応させる」ことなのでしょうか。もちろん、そういう対応が必要なこともあるでしょう。でも、多くの場合、必要なのは「環境に順応できないという事実を受け入れ、折り合いをつける」作業だと思うんですよね。精神科医の中井久夫は、彼らを「世に棲む患者」

          【コトダマ012】「わたしたちみんなが環境に・・・」

          【コトダマ011】「毎日やっている習慣を・・・」

          なんかビジネス書みたいな文章ですが、たまにはいいでしょう。まあ、この本も広い意味での「ビジネス書」(というより「仕事書」?)ですからね。 調理場とケアの現場。だいぶ違うようですが、ある種の「戦場」であるという点では共通しています。戦場というとぶっそうですが、まあ、実際に現場にいる方はわかりますよね。 引用した言葉は、ある意味当たり前のことですが、なかなか厳しい一言でもあります。現場という「戦場」では、理屈や能書きには意味がない。やったことだけが残り、続けたことだけが認めら

          【コトダマ011】「毎日やっている習慣を・・・」

          【コトダマ010】「私たちは訓練を受け・・・」

          著者は心理療法家ですが、この言葉は援助職全般に言えることではないかと思います。 ただ、どう捉えてよいか、ちょっと難しいですね。 「そんなに肩肘張らなくても、『ただつながっている』だけで十分なんだよ」という意味にも取れますし、 「小手先の『専門性』にばかりとらわれて、クライエントとつながっているという基本的な事実を忘れてはならない」という警鐘とも読めます。 個人的には、このくだりを読んだとき、ちょっとホッとしたのを覚えています。 「何もできていないように思えても、つながっ

          【コトダマ010】「私たちは訓練を受け・・・」

          【コトダマ009】「世の中に分かりやすい本など・・・」

          昨日に引き続き「わかる」ことについてのフレーズです。ただし、方向性は昨日とまったく逆ですが。 「本」についての言葉ですが、当然このことは「人」についても言えますね。わかりやすい人なんていない。ただ、その人の枠内で「わかりやすく」理解しているだけなんです。 もちろん支援に携わる人なら、クライエントのことをなるべく理解したいと思っていることでしょう。その気持ちは、とても大事です(このことについては、昨日のコトダマでご紹介しましたね)。でも、同時に、その人を完全に「わかる」こと

          【コトダマ009】「世の中に分かりやすい本など・・・」

          【コトダマ008】「あなたが私を知ろうとしてくれたことが・・・」

          支援にあたっていて、その人のことを理解しようと思い、どんなに努力しても、どうしても、その人の行動や考え方が理解できないことがあります。 そんな時は、弟子のフェルンが「人の気持ちがイマイチよくわかっていない」フリーレンに言った冒頭の言葉を思い出してほしいと思います。 自分のことを理解しようとしてくれる、それだけで、人はどんなに嬉しいことか。 そして「理解しようとしている」ことは、必ずや相手に伝わっています。 まあ、だいたい、自分のことだって、みんなたいしてわかっちゃいないん

          【コトダマ008】「あなたが私を知ろうとしてくれたことが・・・」

          【コトダマ007】「一人の人格をケアするとは・・・」

          まあ、あえて補足することもないでしょう。ケアをめぐる本の中でも名著とされる一冊から、もっとも大事な言葉をご紹介します。当たり前のこと? でも、当たり前のことをやり続けるのが、実はいちばん難しいんですよね。

          【コトダマ007】「一人の人格をケアするとは・・・」

          【コトダマ006】「脱獄の成功要因は四つ・・・」

          麻薬中毒の母に育てられ、父親代わりの男は麻薬の売人。兄オーガストはある時からいっさい言葉を発しなくなり、時々宙に指を動かして文字を綴るだけ。唯一の友人であり人生の先輩は、スリムという元脱獄囚の老人。そんなとんでもない環境で育ち、ジャーナリストを目指して成長する少年イーライが主人公の小説から、上の一節をご紹介します。 とはいえ、まずはこの小説がとてもいいので、強くおススメしたいと思います。きれいごとなど一切ないリアルの底辺社会でのたうち回りつつ、自分の手で何かを掴んでいくイー

          【コトダマ006】「脱獄の成功要因は四つ・・・」

          【コトダマ005】「美徳そのものもみだりに用いれば・・・」

          まあ、当たり前と言えば当たり前のことですね。 健康に良いと言われてるからといって、同じモノばっかり食べてたらかえって身体に悪いし、たまにはお酒を飲んだり、甘味料たっぷりの甘いモノを食べることも、人間には必要ですから。 でも、こと「支援」となると、どうしてもクライエントの周りから「悪いこと(悪徳)」を全部なくして、「良いこと(美徳)」ばかりで埋め尽くそうとしてしまうんですよね。 タバコやお酒、ギャンブルを遠ざけて、健康的な食事や運動を「提供」し、それが「適切な支援」と呼ばれて

          【コトダマ005】「美徳そのものもみだりに用いれば・・・」

          【コトダマ004】「ケアが他者への気づかいであるかぎり・・・」

          伊藤亜紗さんの文章ですが、これ、深く頷けるものがあります。 やはり支援者としては、支援や相談をスタートするときは、あまり予定外のことが起きてほしくないと思ってしまいます。 でもあまりにも「予定通り」でモノゴトが進むと、それはそれで不安になる。何か見落としているのではないか、ご本人の意向と違う方向に無理やり進めてしまってるんじゃないか、と思ってしまうんです。 実際、こちらが「思い通り」のケアが提供できたと思っている時に限って、後からとんでもないトラブルやハレーションが起きたり

          【コトダマ004】「ケアが他者への気づかいであるかぎり・・・」