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ベルトコンベアー・顔をひろう(うそのある生活 27日目)

4月10日  ぼんやりとした晴れ

娘がいよいよ小学生になる。入学式は勝手に4月1日だと思いこんでいたけれど、実際はそれより10日もあとだった。考えてみれば、入学式が終わってから春休みが明けるまで何日も休みというのは不合理だし、そういえば自分が小学生のころだって、たしかに入学式は始業式のあとにあった。

小学生になるのにいろいろと入り用になった。ランドセルはずいぶん前に届いていたけれど、学校から入学案内の冊子が届くと、文具や体操着の他にもコップや箸をしまう袋など、用意が数えきれない。「連絡袋(透明なもの)」といった見たことのない、正体の想像がつかないものもあったし、ほかの細々したものだってどれも指定が細かい。下敷きはソフト(柔らかいもの)で決まった大きさのものでなければならないし、上履きを入れる巾着袋には、紐のほかに手提げ用の取手をつけることになっている。

はじめはどこで指定にぴったりのものが売っているのかわからなかった。娘の友達の親に聞いてみたりしたが、同じくよくわからないようで、ネットで検索してもやっぱり要領を得ない。それでも4月1日は近づいてくるので、とりあえず給食着やコップや箸を入れるため5、6枚も必要になる各種袋は妻の母に作ってもらうことにして、日曜には娘を連れて、家の近くの何屋かわからない商店に体操着を買いに行った。

そこでもゼッケンや名札の話など、次々説明をされた。とにかくややこしく、届いた冊子を開きながら確認し、メモを書きこんでいく。やっと一通り揃えて会計をすますと、お店の人から3月26日以降になにかを受け取りにくるよう言われる。それは体操着を買うとサービスで付いてくるもののようだったが、その自動化された説明は足早に目の前を通り過ぎていってしまう。ついに店を出ても、それがなになのかはわからなかった。

へとへとになって、せめて綺麗な傘でも買いに行こうと娘に言った。入学には新しい傘を持ってぇ、とふたりで歌いながら近くのショッピングモールへ向かう。売り場では娘が鮮やかな紫とピンクの傘を選んだ。それを持ってレジに向かうと、エスカレーターの横に入学準備コーナーがあって、そこには柔らかい下敷きも取手付きの巾着袋も6Bの鉛筆も、入学に必要なものは全部が揃っていた。

思えばあたりまえのことで、娘の通う小学校は児童が1,000人を超えるような大きな学校だから、こうして売り場をつくればきちんと商売になる。痒い所に手が届く、というか、売り場での説明も丁寧で、小学校からの案内には書かれていないこともよくわかるようになっている。あの「連絡袋(透明なもの)」もすぐに見つかり、それはファスナー付きクリアケースのことだった。連絡袋とそのままに書かれた値札のついた棚に並ぶ様々な色のクリアケースのなかから、娘と相談して、きれいな空色のファスナーがついたものを買った。

どたばたとしたなかで、けれど入学式用の娘の服を兄から借りられたのは助かった。どうせ一度しか着ないものなので、どのくらいの値段のものがいいか悩ましい。かといって、近くのショピングモールの生地の薄いものを着せるというのもどうだろうか。

もう三年生になる姪の着たものが残っていれば、と聞いてみると、きちんととっておいたようで兄がすぐに送ってくれた。よくよく聞くと、もとは姉の娘が入学式で着たもので、だから娘が着ると兄弟の娘が3人とも同じ服を着て入学式を迎えることになる。娘も従兄弟のお姉さんたちと同じ服で入学式に出ることをよろこんで、入学式の前から、土日になるとそれを着て出かけたいというので、一度はそれを着せて近くの公園に行き、ほとんど散った桜の木の下で写真を撮った。

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春の月曜に、家族そろって入学式に向かう。時間を見込むのが甘かったせいか、受付の開始時間を過ぎてから家を出ることになってしまった。家からそう遠くないが、急ぎ足で小学校に向かう。

途中、細い歩道を通るとき、前には、同じく入学式に参加するらしい男の子とお母さんが歩いていた。めがねをかけた男の子は、何か洋服のタグのようなものをかじりながら歩いていたが、歩みがゆっくりなので、こちらが急ぎ足で歩いていると、男の子に追いついてしまった。歩道が狭いので追い越すことはできず、それて娘がつい、前に行きたいなぁ、とつぶやくと、その男の子がすぐに振り返り、後ろ足に娘をけ蹴るようにした。ぴんと伸びた彼の足の先が、かろうじて娘の胸のあたりをかすった。

男の子のお母さんは慌てて男の子を抱くようにして押さえると、何度もあやまりながら、娘の服についた泥をハンカチで落としてくれた。大丈夫ですよ、と言って、また学校に向かったけれど、お母さんはその男の子の両肩を持って、目を見て何かを話していた。娘はちいさな声で、びっくりしたぁ、と言った。

入学式は体育館で行われた。娘の横に座る保護者は1人ということで、僕は妻と娘から遠く離れて、体育館の壁際に座った。娘のことは全然見えない。とにかく新入生が多く、200人近くいるらしい。児童が多いので伴って保護者も多いし、先生だって多くなり、先生の紹介のときには、校長先生が「先生は併せて82名です」と言った。壁際には、ほんとんどお父さんばかりが座っていた。

式がたんたんと進んでいった。さまざまな挨拶や説明や紹介があるけれど、僕の弱い視力ではそれはよく見えない。それはほかのお父さんたちも同じなのか、みんなどこかに表情を置いてきてしまったような、ぼんやりとした顔で式を眺めている。そういえば、ここまで来る途中、路上にはたしかにお父さんたちの顔が落ちていた。ばかっと取れた仮面のようなお父さんたちの顔は、ペラペラと軽く、春の風に吹かれて道の端のフエンスぎわに集まって重なっていた。それを通りかかった2歳くらいの女の子がひろって、笑ってるね、と言ったが、それを見たお母さんは、ひろわないの、と注意していた。

式ではじっとしているのが苦手な子どももいるようだった。ある子は式が始まる前に、席から立ち上がり、近くの赤い三角コーンをなんどもゆすっていた。そのたびお母さんが席に連れ戻していたが、また三角コーンのところに戻ってしまう。そのうちいよいよ我慢ができなくなったようで、式がはじまる直前に、がたがたといよいよ大きく三角コーンを揺らすと、そのまま走って体育館から出て行ってしまった。

式がはじまってからも、あちこちからぐずる声が聞こえていた。そのひとつが、だんだん大きくなっていく。見ると、それは来る途中に会ったあの男の子で、お母さんがなだめているけれど、なかなか落ちつかない。

式では、だれかが挨拶をするたびに校長先生が「一年生のみなさん、立ってください」と言った。男の子はそれを聞くたび、一年生のみなさんって言わないでぇ、と声をあげて、抱きかかえられたお母さんの膝の上でのけぞっている。その声を聞いていて、大学生のころのことを思い出した。

大学生時代はとにかく無為に過ごした。無為に過ごして、なにもしていないのに、寝て起きるとたしかに次の日になっている。だからいつも、朝が来るというのは残酷なことだ、と思っていた。僕はまだなにもしなかった昨日のまま変わらないのに、ベルトコンベアーに載せられているみたいに、有無なく次の日になった世界に運ばれていく。こうしてあっという間に明日を積み重ねて、このまま自分の知らない今から遠い未来までいってしまうはずなのに、なぜみんなは平気な顔をしているのだろう。そんなことを友人に話すと、それは次の日になってもまたその次の日があるって知ってるから、と言った。

もしかしてあの男の子も、ベルトコンベアーに載せられたみたいにして、気がつくと入学式の今日まで運ばれてきてしまったのかもしれない。自分でなろうとしたわけでも、なりたいと言ったわけでもないのに、もう戻れない。せめて、一年生と呼ばないでくれ、と叫ぶけれど、一年生になったのだからもうそうやって叫んだりしてもいけない。

男の子は式の間じゅう声をあげていた。そうして、そのたびにお母さんは彼の背中をさすりながら、大丈夫、大丈夫だよ、と囁くように何度も伝えていた。

思えば僕はむかし多動児だった。じっとしていられず授業中も出歩いていて、小学三年生の通信簿にはやっと、最近座っていられるようになりました、と書かれたけれど、それは程度の話で、そのあともやはり何度も出歩いては叱られた。

迷惑な子だったろうが、本人だって混乱してくるしい。周りが迷惑だと思う何倍だって、くるしくてわからなくて困っている。そうして、親になれば、親だっておなじくらくるしいだろうと思う。そういえば、あのお母さんには、大丈夫、と言ってくれるだれかはいるのだろうか、でもそんなことは余計なお世話だ。

入学式は昼過ぎに終わった。家族3人で家に帰ると、道端には、もうほとんどお父さんたちの顔は落ちていなかった。この後仕事に戻るという人も多かったから、きっと拾ってまたつけて帰ったのだろう。けれど見るとひとつだけ、僕の顔が落ちている。あれ、行きにはずしてきたのだっけ。

娘は顔を見つけると、なくしたら大変だよ、とまたつけてくれた。ぐっと娘が手のひらでおしつけてくれたが、きちんとついているか不安になる。だから両の手のひらをあてて確認しながら顔あげると、道の先では、あの男の子とお母さんがスキップしながら帰っているのが見えた。ふたりに春の陽があたり、男の子の靴とお母さんの黒い髪がきらきらと輝いていて、ふたりのそんな時間が、できるだけ長く続くといいと思った。


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