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「障害」とは誰が決めるのであろうか。「障害」とは私なのだろうか。 例えば、私は「ASD」という診断を受けている。公的な空間で私が「ASD」と名乗れば、私は「ASDの人」という認識を得るだろう。 では、「ASDの人」とは何を意味するのだろう。「ASD」という言葉そのものは記号であり、それそのものに意味はないからである。 推測するに、「ASD」という言葉から想起するのは、「コミュニケーションができない、不器用、特定の物事への執着」などだろう。確かに私を構成する要素の一部にそれ
コミュニティマガジン『SNSバルコニー』のつながりで、昨日はGC編集部さんとコラボの勉強会 #GCnote勉強会 を開催しました。 👇第1回の講師はヤマシタマサトシさん 👇第2回の講師はcotreeのひらやまさん 今回は第3弾だったので、noteに限らずSNS全体の話もしたいなと思い「SNSのつづけ方とコミュニティ作り」のテーマでお話しさせていただきました。 アジェンダはこんなかんじ👇 前半は、各SNSの特徴や、SNS運用の考え方をお話しして、後半はパネルトーク。
僕は「落ち込まない人」よりも「落ち込む人」の方がいい文章を書けると思っています。付け加えるならば「落ち込んだところから這い上がった人」や「希望を見出した人」が人を惹きつける言葉を手に入れると思っています。感受性という「フラジャイルな装置」は、ふいに身体の中へ飛び込んできた小石を時間をかけて真珠に変える力があります。 その繊細な感受性は、時にあなたを苦しめるでしょう。あらゆる力には功罪が伴います。それはコインの裏表のように切っても切れない関係です。「いい文章は痛みの成果物であ