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基本的に全てはどうでもいい

突き詰めていくと
人間がこの世界に生きている意味なんて特になくて、たまたま生物の自然淘汰によっていま人間という属が地球に存在しているだけなわけ
てことはだよ?愚痴言いながらも仕事して趣味のゲームして、誘われるからイヤイヤ遊びに行って、とか言う現時点の生活行為は全て意味がないわけ。
それで自分が楽しいとか幸せとか思い込めればいいんだろうけど、私はそんな単純じゃぁないよ。

私の生きがいはゲームだったけど、そもそもゲームなんて中毒にさせて金稼ぎのために作られたにすぎないわけ。実際年収の高かった婚活男子はプログラム開発系でゲームとかもやる会社らしかったし。
自分が貢いだ推しの先にそーゆー冴えないヲタクサラリーマンを見てしまって
過酷な現実を突きつけられた。
それから、あまり課金しなくなり、趣味へのモチベを下げ続ける。
この先ゲームをし続けて溶かすお金は、知らないおっさんのところに行くんだよ。悲しみ。存在しないものに夢を見てその先に現実を見る。悲しみ。婚活なんてしなきゃよかった。知らなきゃよかった。

まあ、しかしながら、なにもする意味はないんだったわそもそも。
意味ないんだから、将来とかも未来とかもむろん意味なくて、今はとりあえず生きているという事実てことでいいわけ。それでおわり。生きている存在している。これが実存主義かな。たしか。

昔調べてもっとわかりやすく小論文書いたのあったんだけど、探してこんど載せてみます

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