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無駄を重ねて喫茶店。

印象的な店主さんの言葉。「喫茶店はいかに無駄を重ねていくか。これが個性を生むんですよ。」

この喫茶店は、入り口を入ると左手に厨房とカウンター。右に折れるとずどんと吹き抜け、お店全体が見渡せる。向かって左手に大きなガラス窓。窓から見える溜め池ののり面に四季折々の「雑草」が花を咲かせ季節を告げる。そして、奥に向かって4人がけ、長テーブルなど、スペースに応じて形の異なる家具が配置されている。

値段が安いわけではないけど、ランチを食べ終わる頃にはいつも「満足感」がある。そんなメニューが多い。例えばナポリタン。最近は、ピーマンが入ってなかったり、ソーセージが小さかったりと何となく「価値を下げる」方向に陥りがち。対して、このお店ではソーセージがゴロゴロ、ピーマン・パプリカも大ぶりに切られ、ぶりぶりのえび、パスタもたっぷりはいっている。もちろん味付けもしっかり。「やっぱり昔のナポリタンを続けないと。料理屋でもないし、喫茶店なんやから。ただ、価値に見合った値段で提供させて頂きます。」

入店時から感動したのが接客で、マニュアルがないことは明白なんだけど、それぞれのスタッフの「丁寧さ」「思いやり」が伝わってくる。いらっしゃいませのない、雑でぶっきらぼうなお店に触れることが多すぎて、新鮮さと感動が生まれる。「あなたのお話(ご注文)を聞きに来ました。そのための時間を私は大切にします。」と言う目線や聞く姿勢、満席なのに急いでいると感じないゆったりとした時間。「時間はロスするけど、時間・空間を味わいに来て頂く。スタッフがそこに割く時間(無駄)を怠ったら、ここに来る意味がない。人間らしさで接客してもらえて、それをホール代々のスタッフが自然に引き継いでいくんです」

食後のコーヒーが出てきた。備前焼で、厚みは薄く、高級感がある。ソーサーの大きさも、色の入り方も、ハンドルの作りも。いかにも「丁寧に作りました」が伝わる器。なのに、どうしてもぐらぐらする。なぜかカップの底が平らではない。コーヒーを飲む。カップを戻す。自然と「そっと」置く。倒れないように、音が立たないようにと。この面倒くささ(無駄)が、何気なく過ごす私の時間にも丁寧を生んでいて驚いた。

コーヒーを飲むのに、時間や空間にこだわらなければ、コンビニやドライブスルーでも良い。わざわざ喫茶店に来て腰を据える。無意識に「時間を費やす」ことを覚悟しているし、その時間の中に日常とは異なる空間を期待しているかもしれない。ひとりで店に入って、ただコーヒーを飲む。飲み終えるとさっと店を出る。その間、たったの20分。我ながらコンビニでええやん。と思ってしまうけど、この無駄な20分が私の中では気持ちを切り替える「○○スイッチ」の時間でもある。あと、ちょっとかっこいいと思っていたり(笑)

隣のテーブルのお客様の声が聞こえてくる。「孫が3年生になって。娘はN市に住んでいるから、1時間で会いに行けるのよぉ。」「今日は私におごらせて。だって1年ぶりに会ったのよ!誘ったのは私だから。」

無駄を重ねて喫茶店。
暇つぶしの時間を、味わい深い時間に変える「無駄」に触れられた年末だった。

※「無駄」と言う表現は、効率化の対義語として「人間らしさ」や「思いやり」に置き換えて使用しています。

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