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「やる気ないなら辞めろ」と怒鳴られ、会社辞めたら人生変わった

「好きなことを!仕事にしました!!」
と言えば美しいサクセスストーリーだが、その裏には普通に挫折があったりする。
私の場合は「会社員は向いていないから私は出世しない」という確固たるあきらめと「行動しているのに会社に評価されなくてむかつく」という単純な怒りがあった。

私は書くのが好きな文筆家だ。ライターとして記事を書いたり、作家として自分の本を書いたり、ブックライターとして人の本を書いたり、コピーライターとして広告コピーを書いたりしている。文章に関する対応力がそこそこ高く、それなりに器用だと思う。

「じゃあ会社員時代もライティングで評価されてたんですね」
とよく言われるが、全然評価されないどころかライティングの仕事さえなかなかさせてもらえなかった。ライターのはずが雑用係になったり、テープ起こしだけ担当したり、資料まとめだけ任されたりと「雇用詐欺?」と思うくらい悲惨だった。

そうして会社員生活に挫折し「会社員として成功すること」をあきらめた私は
「好きなことを仕事にして成功してやる!この会社のだれよりもだ!!」
と呪うように叫んで独立した。

皮肉にも、好きなことを仕事にしたい熱意よりも挫折と怒りのほうが私を強く突き動かした。
だからネガティブ感情の肥溜めに足を突っ込み抜け出せなくなっている人にこそ「大チャンス到来!出陣!出陣!!」と鐘を打ち鳴らして旗を振りたい。
案ずるなかれ、やってられるかと強烈な不快感に喘いでいる瞬間が一番強いのだ。
だって一番変わりたい瞬間だもの。

だから私が今の仕事を選んだ理由は
① 好きだから
② 会社員に挫折したから
③ 認められなくて悔しかったから
だ。

① 好きだから:好きを仕事にするべきか?

「書くのが好き」なのは私のアイデンティティのようなもので、いまさら「なぜ好きか」と言われてもやや困る。
でもそれだとあまりにも参考にならないのでちゃんと言語化する。書くの好きですから。

・文章化は一番得意な自己表現方法・コミュニケーション手段だった
・自分の考えをアウトプットできると心の膿をデトックスするような気持ちよさがある
このあたりが「好き」の根幹にある気がする。「得意だし、できると気持ちいい」ってことだ。

成功体験があり自信があったことも大きい。
小学校時代に作文を書いては
「(クラス内では)うまいね」
「(子どものわりに)おもろいね」
と大人たちが鷹揚に褒めてくれた。

また「みんなと同じはイヤだ」と希少性で目立ちたがる妙ちくりんな性格で、一風変わった文章を書く能力がそれなりにあったことも、文章表現の原動力となり自信となった。

そもそも好きなことを仕事にするべきか?という問いもあって、これはYESでもありNOでもある。
かなり好きで「絶対に負けたくない」という野心があるなら仕事にするべきだし、純粋に楽しみたいだけなら趣味にしておくほうが末永く安全に楽しめると思う。
私は化粧品が好きだが、化粧品関係のライティングは薬機法が厳しすぎて(効果効能をうたってはいけないというもの)自由度が低く、かえって化粧品を嫌いになりそうだったので積極的には仕事を受けていない。
「大好きな文章で誰にも負けたくない!」という気持ちはあったが、「大好きな化粧品のライティングでだれにも負けたくない!」という気持ちはなかったのである。

「好きなことを仕事にするか迷う」と思ったら、自分のなかにどれだけ野心があるか探ってみるといい。
私は「文章=自己表現=存在証明」くらいの熱量があるので、仕事としてじゅうぶん成立するし、野心もメラメラと業火のごとく滾っている。

ただ、それが正しいってわけじゃない。
そうそう一番にはなれないので基本的にくやしいし、理想が高すぎるから現実のギャップが大きくて自己嫌悪する時もある。

好きを仕事にしない幸せも確かにあって、自分にとっての最適解を探せばいいと思う。

② 会社員に挫折したから:自分に適した場はどこか?

独立するまでには4年間の会社員生活と4回の転職があり、社会不適合で異物めいている私はどの会社でもうまくいかなかった。

学生時代から会社員としての適性がないことは重々自覚していて、
・決まったスケジュールで動くのが楽しくない
・早起きして出社するのが死ぬほどつらい
・毎日同じ場所に出社するのが苦痛
・苦手な人と絡みたくない
・自分の仕事を自分でコントロールできないとやる気が出ない
などがわりと致命的だった。
(いや、みんなそうだろうけど、私は本気で会社員やめちゃうくらい無理だった)

これらのスキルがないと、自分はもちろん周りにもストレスを与えてしまう。
興味のない仕事をやらされて無気力ロボットのように呆けていたら、上司から
「どうしたらやる気、出る?」
とシンプルな問いをぶつけられた時は「さすがにやばいがな」と焦った。

根本に「成果さえ出せばいいだろう」という考えがあり、建前や社会通念?規則?常識?的なものにまるで価値を感じなかったこともかなりの不和を生んだ。

入社初日に始業時間ぴったりに出社したり、上司に相談せず退社を決めていきなり辞表を出したり、「社内営業しろ」と言われて露骨に「はあ?」って顔をしたり、バレンタインに仕事をさぼって彼氏にチョコ渡しに行ったり、飛び込み営業が嫌すぎて漫画喫茶でNANA読破したり、仕事中に思い切り転職サイト見たり、怒られてやる気なくして「体調悪くなったんで帰ります」って即効で帰宅したり、「やる気ないなら辞めろ」と言われて「ハイ辞めます」とダチョウ倶楽部並の速さで返事して退社の意思を固めたり、エトセトラエトセトラ。

とはいえ、さすがの私もそんな自分がスバラシイとは思っておらず
「こんなだから駄目なんですよね」
としょげていたら、精神科医から
「苦手なところを埋めようとするより得意なことを伸ばしたほうがいいよ」
とアドバイスをもらい、確かに!と膝を打って速攻でライター講座に行ったりライターの副業を始めたりして、翌年には独立した。

そしたら1回も会社員時代の給与を下回ることなく、初月からそこそこ稼いで生活レベルが2ランクくらい上がった。今までろくに仕事で評価されなかったが「すごい」「向いている」「ほかの人とは違う」とヨイショヨイショされ、あまりにも急に評価されたもんだから
「それって私のことで合ってる?」
と今でもちょっと不思議である。

適材適所ってこういうことで、自分に合った仕事、働き方、環境などの「場」を見つけるのが大事だ。
大抵は膨大なトライ&エラーの先に見つかるもので、私もエラー連発の末に見つけたから、まだ適した場が見つかっていない人もぜひあきらめずにエラーを出し続けて探してほしい。

③ 認められなくて悔しかったから:認められるべきはだれか?

会社では上述の理由からてんで認められず、社会不適合な行動が目立つため
「とりあえず痩せろ(太ってた)」
「朝早く出社しろ」
「スーツ着ろ」
など外側の指導を受けることが多く、私はくそくらえ!!と思っていた。
なので、もちろん評価されなかった。

だからくやしさを暴発させて
「好きなことを仕事にして成功してやる!この会社のだれよりもだ!!」
と思って、安月給をはたいてそれでも足りず親のお金をせびってライター講座に通い、平日夜も土日も副業して土台を作ってから独立し、独立後も人の三倍働いて稼いだわけだが、そうやって死に物狂いで働いて成果を出したことは私に大きな自信をもたらした。
人に認められる前に、自分で自分を認められたのである。

自分で自分を認められると、いつでも自分を信じられるから、信じられないほど力が出る。ここぞというときに迷いなくやりたいほうを選べる。道が開ける。成長する。うれしい、たのしい、だいすき!があふれてきてドリームカムトゥルーする。

認められるべきは自分で、自分の行動次第で自分を認めることはできるのだ。

捨てる神あれば拾う神あり、いつどこで自分が生かされるかわからない。呼吸しているうちはきっとどこかで拾われるから、まあ気楽に目の前のめぼしい枝葉を掴んでみてはどうだろう。

私が今の仕事を選んだ理由は
① 好きだから
② 会社員に挫折したから
③ 認められなくて悔しかったから

だったが、裏を返せば
① 好きだから
② 向いている働き方を見つけられたから
③ 自分を認めたかったから

でもあった。

自分で「今の仕事をする」と選択した以上、そこには自分の意思が宿っている。
いくらでも前に進めるし、方向転換することだってできる。

これからも自分を信じて突き進みたい。それが一番楽しいから。

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