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高寺八講の舞を見学しました【学芸員のバックヤード】

 5月4日(木・祝)に、羽黒町高寺の雷電神社にて高寺八講が行われました。
昨年度は2年ぶりの舞の奉納、今年度は4年ぶりの「くねり」(祭りなどにおける行列)が行われ、見物客も昨年の約2倍。天気も良好でした。

高寺八講とは

雷電神社の能楽殿(注1)
この舞台で舞が奉納されます。

 高寺八講とは、毎年この時期に雷電神社の例祭に奉納される神事芸能です。平安時代末期から室町時代にかけて行われた「延年」(注1)と呼ばれる寺院芸能を今に伝え、昭和51年に山形県指定無形民俗文化財に指定されました。
 高寺八講の舞はかつて8曲ありました*¹が現在に伝わっているのは4曲の「大小舞」「薙刀舞」「花笠舞」「稚児舞」です。この間、高寺の隣の馬渡地区の人が獅子舞で地域をくねります。

高寺八講の由来

 高寺八講が行われる雷電神社は、月山の雨告山(あまもりやま)の雷電宮の里宮*²で、中世から明治初期の神仏分離前までは「高寺大権現」と称されていました。現在の雷電神社の社殿があるところには、能除太子(蜂子皇子)作と伝えられる千手観音を祀った観音堂があったといわれています。

雷電神社
能楽殿は参道石段下にあります。

 「八講」は「八日の講」の意味で、芸能ではなく祭礼のことを指します。この場合の講とは、人々が集まって神を祭り、共に飲食をすることです。これを庄内地方では農作を祈願し、旧暦四月八日に行っていました。それに関連して、観音堂において春先に法会(ほうえ)で延年の舞を演じたことから、八講と呼ばれています。

大小舞

大小舞
「大小」は「大衆」が訛ったものだといわれている。

 「大小舞」は狩衣姿の二人が白扇を開き、烏帽子を持ったり頭にいただいたりして跳ねる、単純で素朴ながらも貴重な延年の舞です。この舞は高寺と日光にのみ伝わっており、大地を踏み鳴らす振りである反閇(へんばい)には悪霊を祓う意味が込められていると言います。

薙刀舞

薙刀舞
長刀舞(なぎなたまい)ともいう。

 「薙刀舞」は、赤鉢巻きをしめ、赤たすきをかけた僧衣のような出で立ちで、薙刀を振りながら力強く足踏みをする舞です。2人舞いますが、1人ずつ出てきて舞います。普通の人は薙刀を扱わないことから、薙刀を振ることは普通の者ではないことを表します。
 今回は山門での舞も披露されました。山伏が伝えた神楽舞の1つである番楽系の舞です。

山門での舞
大鳥居前では行列が無事神殿に到着するための舞として鎮めの舞が行われる。

花笠舞

花笠舞
ビンササラのジャリ、ジャリという音で音頭をとる。

 「花笠舞」は、花笠をかぶった6人による舞です。3人が日の丸の扇、3人がビンザサラを持って、ジャリ、ジャリ、と拍子をとって舞います。ビンザサラは短冊形の板の一端を紐でつなぎ合わせて、取っ手を動かして板を打ち鳴らす、田楽おどりの主要となる楽器です。
 また、花笠の花は稲の花を表しているため、田楽芸能、つまり五穀豊穣を祈ります。途中、青い葉を舞台に撒きますが、これは田植えを意味しています。

稚児舞

稚児舞
呪文は「オーギテ、オギテェオンド」や「オフオギレ、オギレエンド」など。

 「稚児舞」は、黒の振袖に緑の水干を着て、天冠をかぶり赤の袴を履いた4人の男の子による、延年の舞です。木の鉾を持って1人ずつ舞った後、
4人そろって悪魔払いのための呪文のような言葉を唱えながら舞います。
 7歳よりも上の歳の子は人の子、7歳までの子は神の子とされていました。そのため、昔は7歳の子のみ舞うことができたと伝えられています。

羽黒山伏と高寺の関係

 昔、高寺地区には羽黒山伏による13の宿坊(注3)がありました。高寺も羽黒山の支配を受けていた地区だったのです。高寺八講はその宿坊の人しか舞うことができなかったといわれています。

脚注

注1 能楽殿:かつての舞台は浮浪者が楽屋に泊まって火を灯し、舞台ともども焼いてしまったゆえに焼失。昭和50年ころに再建するも、焼失から再建までは神社の拝殿にて上演。*³

注2 延年(えんねん):平安時代末期から鎌倉・室町時代にかけて、寺院で行われたレクリエーション的な歌舞のことで、当時のあらゆる芸能が登場。演じたのは一山の衆徒や僧侶、稚児たちで、寺院の法会のあとに盛んにおこなわれた。

注3 高寺13坊:荒沢寺北々院の流れを汲む海蔵坊・長連坊・大光坊・眼養坊・千照坊・宝憧坊、荒沢寺聖之院の流れを汲む林蔵坊・円蔵坊・宝徳坊・仙蔵坊、普賢堂の流れを汲む東桜坊、竹之院の流れを汲む実相坊、正穏院の流れを汲む永光坊のことを指すといわれている。*⁴

参考

*¹ 『羽黒山睡中問答』や村人の伝承
*² 『羽黒町史上巻』, 羽黒町, 戸川安章ほか, 1993
*³ 『羽黒町史別巻』, 羽黒町, 戸川安章ほか, 1996
*⁴ 「いでは文化記念館平成3年度出羽三山セミナー」, 戸川安章, 1992