いでは文化記念館

山形県鶴岡市の羽黒山麓にある文化施設です。館内に羽黒町観光協会事務局があります。当館は…

いでは文化記念館

山形県鶴岡市の羽黒山麓にある文化施設です。館内に羽黒町観光協会事務局があります。当館は羽黒地域や出羽三山の歴史と文化を伝える殿堂の役目を担っています。引用元記載なし画像は羽黒町観光協会及びいでは文化記念館に帰属します。公式サイト⇒https://hagurokanko.jp/

マガジン

  • 出羽三山に関するお話

    出羽三山に関する話をまとめました。常設展・企画展の研究内容や様々な談話を掲載します。不定期掲載。

  • 学芸員のバックヤード

    一般来館者からは見えにくい、いでは文化記念館学芸員の活動を紹介。学芸員という職業に興味がある方も、いでは文化記念館や羽黒地域に興味がある方にもおすすめです。不定期投稿。

  • 羽黒山小話

    「日本民俗学」の創始者であり民俗学の父・柳田國男も繰り返し読んだ、戸川安章著『羽黒山二百話』をベースに、羽黒山の小話を簡単に紹介します。不定期掲載。

  • ギャラリートーク

    企画展のギャラリートーク(展示解説)の様子。ギャラリートークの雰囲気を感じとっていただけたらと思います。展示によっては会期中複数回ギャラリートークをすることがあります。

  • 歴史探訪・館外研修

    羽黒山歴史探訪や館外での実地研修などのイベントのレポート。注釈もありますが専門的な情報をまとめていますので、より出羽三山の理解を深められる記事となっています。

最近の記事

羽黒山から月山への道にはいくつもの掛け小屋が建っていたという話④~弥陀ヶ原-月山~

 現在、いでは文化記念館の2階では出羽三山の古写真の展示を行っています。羽黒山の登山口から月山へ続く道にはいくつもの掛け小屋(月山登山者への食事や休憩・宿泊のための臨時の小屋)が建っていました。そのような風景をおさめた、昭和初期の出羽三山の写真が展示されています。 弥陀ヶ原/御田ヶ原 現在は8合目まで車で行くことができますが、半合目より参拝のために馬や徒歩で登山していた人々にとって、突然木々がなくなって高山植物が咲き誇るお花畑や大きな湿地が一面に広がる様は驚きや感動とともに

    • 羽黒山から月山への道にはいくつもの掛け小屋が建っていたという話③~狩籠-合清水~

       現在、いでは文化記念館の2階では出羽三山の古写真の展示を行っています。羽黒山の登山口から月山へ続く道にはいくつもの掛け小屋(月山登山者への食事や休憩・宿泊のための臨時の小屋)が建っていました。そのような風景をおさめた、昭和初期の出羽三山の写真が展示されています。 狩籠(新山神社) 現在月山5合目にあたるとされる場所には昭和中期まで狩籠(かりごめ)小屋が掛けられ、小屋は、大きな杉の下にありました。この杉はその異様な形からご神木とも、これより上に杉がないことから「限界杉」とも

      • 羽黒山から月山への道にはいくつもの掛け小屋が建っていたという話②~大満-強清水~

         現在、いでは文化記念館の2階では出羽三山の古写真の展示を行っています。羽黒山の登山口から月山へ続く道にはいくつもの掛け小屋(月山登山者への食事や休憩・宿泊のための臨時の小屋)が建っていました。そのような風景をおさめた、昭和初期の出羽三山の写真が展示されています。 大満(小月山神社) 海道坂からしばらく月山公園線を進むとの大満(だいまん)に到着します。桔梗や女郎花が咲き誇る草原で、地蔵尊と小月山神社があります。出羽三山の開祖である蜂子皇子が荒行を行ったとされる三鈷沢の秘所は

        • 羽黒山から月山への道にはいくつもの掛け小屋が建っていたという話①~野口-海道坂~

           現在、いでは文化記念館の2階では出羽三山の古写真の展示を行っています。羽黒山の登山口から月山へ続く道にはいくつもの掛け小屋(月山登山者への食事や休憩・宿泊のための臨時の小屋)が建っていました。そのような風景をおさめた、昭和初期の出羽三山の写真が展示されています。 羽黒山から月山への道  地元では「木立三里」「草原三里」「石原三里」と呼ばれた月山への道。羽黒山の登山口から月山へ続く道には、各所に呼び名があります。場所によっては末社もあり、昔の絵図には末社の名称が描かれてい

        羽黒山から月山への道にはいくつもの掛け小屋が建っていたという話④~弥陀ヶ原-月山~

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        • 出羽三山に関するお話
          10本
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          12本
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          9本

        記事

          例祭(花祭)を見学しました【学芸員のバックヤード】

          毎年7月15日に羽黒山山頂三神合祭殿にて行われる例祭。雨の中ではありますが、多くの人が集まりました。 例祭(花祭)とは 出羽三山神社ではこのように紹介されています。 ちょうど稲の花が咲くこの時期。羽黒山山頂にある鏡池の周りを、神移しの儀が行われた三基(月山神社・出羽神社・湯殿山神社)の神輿と、写真のような稲の花を模した「花梵天」(または万灯)と呼ばれる献燈が、地区の若者たちによって担がれ巡行されます。 その行列の中、参拝者は神木や花梵天の花を奪い合います。この花には、

          例祭(花祭)を見学しました【学芸員のバックヤード】

          出羽三山地域の安産への祈り【羽黒山小話】

           いつの世も出産は命がけです。そのため、無事の出産を祈願し、数々の安産への祈りの痕跡である「安産守り」の言い伝えが残されています。今回はその中から『羽黒山二百話』で取り上げられているいくつかのお話をまとめてみました。 ※この記事には疑似科学拡散の意図はございません。あくまで言い伝えです。 荒沢地蔵尊の安産守り  出羽三山では昔、女性の参詣など一部「女人禁制」がありました(明治10年に解禁)。荒澤寺については明治維新後に仏像の移動があってから女性の参詣が可能になりましたが「

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          月山卯歳御縁年記念企画展『月山の記憶ー信仰と登拝の道―』開始しました!【学芸員のバックヤード】

           2023年6月24日より、いでは文化記念館では月山卯歳御縁年記念企画展『月山の記憶ー信仰と登拝の道―』が開始しました。  本年は卯年ですので、月山の御縁年です。月山卯歳御縁年を記念して、月山の阿弥陀信仰・祖霊信仰や月山への登拝(とうはい)を中心とした展示会を行います。 企画展について 『月山の記憶ー信仰と登拝の道―』のイベント告知ページはこちら 古くから山岳信仰の霊場として栄えてきた出羽三山。中でも霊峰月山の開山した卯年に参拝すれば12年分のご利益があるとされ、御縁年

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          於竹大日堂にあったガラ紡は珍しい紡績機であるというお話

           いでは文化記念館に展示のガラ紡。2017年以来展示しているもので、来館された方は目にしたことのある人も多いでしょう。さて、この「ガラ紡」とは一体何でしょうか。今回はそのガラ紡について、天野武弘氏(注1)の調査と考察を参考に紹介します。 ガラ紡発見の経緯  天野武弘(あまのたけひろ)氏は2015年12月に荘内日報の記者から発見の一報があり、2016年2月に正善院の於竹大日堂(おたけだいにちどう)で発見のガラ紡績機を調査したとのことです。  調査の結果、これまで知られている

          於竹大日堂にあったガラ紡は珍しい紡績機であるというお話

          高寺八講の舞を見学しました【学芸員のバックヤード】

           5月4日(木・祝)に、羽黒町高寺の雷電神社にて高寺八講が行われました。 昨年度は2年ぶりの舞の奉納、今年度は4年ぶりの「くねり」(祭りなどにおける行列)が行われ、見物客も昨年の約2倍。天気も良好でした。 高寺八講とは  高寺八講とは、毎年この時期に雷電神社の例祭に奉納される神事芸能です。平安時代末期から室町時代にかけて行われた「延年」(注1)と呼ばれる寺院芸能を今に伝え、昭和51年に山形県指定無形民俗文化財に指定されました。  高寺八講の舞はかつて8曲ありました*¹が現

          高寺八講の舞を見学しました【学芸員のバックヤード】

          企画展作家のインタビュー&ギャラリートークを開催しました【学芸員のバックヤード】

           2023年4月9日(日)に企画展『描かれた出羽三山ー女性アーティスト達による作品展ー』の2部制のギャラリートークを開催しました。  第1部はいでは文化記念館レクチャーホールにてインタビュートーク、休憩を挟み、第2部では企画展示室に移動してのギャラリートークを行いました。 第1部:インタビュー  第1部では、アーティスト紹介を行った後、青木みのりさん・山月まりさん・吉田祐子さん・渡辺綾さんに当館学芸員がインタビューをしました。本企画展における作品制作で思ったことや、アーテ

          企画展作家のインタビュー&ギャラリートークを開催しました【学芸員のバックヤード】

          2023春・企画展展示替えのお知らせ【学芸員のバックヤード】

          展示替えを行います いでは文化記念館では、2022年冬の企画展『描かれた出羽三山ー女性アーティスト達による作品展ー』の展示が2023年4月10日(月)に終了します。また、2023年4月15日(土)~2023年6月19日(月)の期間で、2023年春の企画展『第23回出羽三山の里フォトコンテスト入賞作品展』を開催します。それに伴い、4月12日(水)~4月14日(金)は展示替えの期間となります(4月11日(火)は休館日です)。 展示替え期間中の入館料について  展示替えの期間は

          2023春・企画展展示替えのお知らせ【学芸員のバックヤード】

          企画展アーティスト在廊とテレビ出演のご報告【学芸員のバックヤード】

           2022年11月26日(土)よりいでは文化記念館にて開催中の企画展『描かれた出羽三山ー女性アーティスト達による作品展ー』で、3月11日(土)に出展アーティストの方々が在廊されました。  本日は天気も良く、五重塔や羽黒山頂への観光だけでなく当館に訪れる方も多くいらっしゃいました。中には「先日テレビを見まして」と入場される方も。 企画展がテレビで放送されました  2月に本企画展がTUY(テレビユー山形)さん・NHK(山形)さんのテレビニュースに取り上げられ放送されました。

          企画展アーティスト在廊とテレビ出演のご報告【学芸員のバックヤード】

          国宝・羽黒山五重塔ってどんな建物なの?②~建築編~

           今年2023年5月上旬~2025年春頃にかけて屋根の改修工事が行われる、国宝・羽黒山五重塔。羽黒山の参拝・有名観光地の一つでもある羽黒山五重塔は、そもそもどんな建物なのでしょうか。 五重塔の屋根:杮葺きとは  羽黒山五重塔の屋根は杮葺き(こけらぶき)です。杮葺きとは、木の薄板(木羽)を幾重にも重ねる葺き方です。羽黒山五重塔では銅板が入っています(注1)。また、木羽の幅は大きくても一尺以内(一尺は約30~33cm)といわれています。  羽黒山五重塔の現在の塔は室町時代に建

          国宝・羽黒山五重塔ってどんな建物なの?②~建築編~

          国宝・羽黒山五重塔ってどんな建物なの?①~歴史編~

           今年2023年5月上旬~2025年春頃にかけて屋根の改修工事が行われる、国宝・羽黒山五重塔。羽黒山の参拝・有名観光地の一つでもある羽黒山五重塔は、そもそもどんな建物なのでしょうか。 「五重塔」は何に使われるもの?  まずは羽黒山五重塔だけでなく五重塔そのものは一体どういったものなのかに迫ります。五重塔はただの古い五階建てのような伝統的な建築方式の建物だけではなく、きちんと意味があります。  五重塔は仏舎利塔であり、それは釈迦の舎利(しゃり:仏の火葬骨)を納めるために建立

          国宝・羽黒山五重塔ってどんな建物なの?①~歴史編~

          【2月13日は日本遺産の日】自然と信仰が息づく『生まれかわりの旅』

          はじめに  羽黒山・月山・湯殿山の3山で構成される出羽三山。この出羽三山における山の自然、そして信仰が、2016年に日本遺産『生まれかわりの旅』としてに登録されました。また、昨年2022年には日本遺産の他のモデルとして重点支援地域にも選定されました。この日本遺産は山形県・鶴岡市・西川町・庄内町で構成されています。  2月13日は2(にほん)・13(いさん)で日本遺産の日です。日本遺産『自然と信仰が息づく「生まれかわりの旅」~樹齢300年を超える杉並木につつまれた2,446

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          月山の「行者返し」についてのお話【羽黒山小話】

           皆さんは月山に登ったことはありますか?月山の9合目の仏生池から山頂までの間に「行者返し」(または行者戻し)という場所がありますが、なぜ「行者返し」と言われるのでしょうか。今回はその由来に迫ります。 出羽三山の開祖と役行者  修験道は羽黒派修験道だけでなく、全国各地にあります。その多くは、修験道の開祖を「役行者」(えんのぎょうじゃ)としています。しかしながら、羽黒派修験道については開祖は、出羽三山の開祖である能徐(蜂子皇子)です。  「役行者」(えんのぎょうじゃ)は、7

          月山の「行者返し」についてのお話【羽黒山小話】