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日本生まれの母親

日本生まれの母親

米国本土のある州に、40代はじめの夫婦が住んでいる。その奥さんは、ホノルル生まれで、 ホノルルに住んでいた日系新一世アメリカだ。 

その女性はホノルルで高校を卒業後、米国東海岸の大学を卒業、金融機関で働くキャリアウーマンだ。  

夫も技術系の仕事をしていて、三部屋もある一戸建ての家を、銀行からお金を借りて購入した。

子供が生まれ、その若夫婦は仕事を継続するため、ホノルルに住む日本生まれの、新一世アメリカ人である母親に「東海岸で同居をして、子育てを手伝って欲しい」と、懇願した。

その母親は19年程前、娘が12歳の時、娘の父親と離婚した。  2年後再婚し、娘も義理の父親と同居していた。

本土の大学を卒業後、 高収入が得られる大企業に就職、あるパーティーで若手の技術者と意気投合して結婚した。

ホノルルの母親は、長年住んでいた自宅を処分、娘の家族と同居、子守と家事一切を引き受けて、
娘が安心して働けるよう協力した。

二人目の子供も生まれ、合計7年間母親は懸命に子育てに専念、孫達の成長に目を細めた。

7年過ぎた頃、 娘とその夫は、 母親に宣言した。  

「末っ子も4歳で、もう子守も必要ないので、この家から出てほしい」と。

 母親は72歳になっていた 65歳まで働き、定年直後、娘夫婦の要請で本土に越して来た

「一生娘の家族と一緒に過ごそう。」と、勝手に決めていた。

急に独立するようを言い渡され、本土での独り住まいは初めての経験であるため、心細さと重なり、 母親は娘達の急変した態度に心を痛め、 悲しみに暮れてしまった。

娘夫婦の言い分は、「核家族を十分味わいたい.ほんの数時間子守を雇えば、 もう自分達だけでできる。」

母さんは独居生活に入り、「自由に自分の人生を楽しんでほしい」との事だった。

日本生まれの若い女性が偶然、ホノルルで結婚生活に入り、家族を守り共働きで収入を確保、懸命に子育ても楽しんだ。

米国生まれの子供達は、当然、完璧な英語を話す新二世で、本土の有名大学で優秀な成績を上げ、素晴らしい職業に就く事も可能だ。

英語が第二言語である親の世代と、英語を母国語とするその子供達の間は、世代間、文化的価値観の違いもあり、表面下であれど、問題が山積みしている場合も多いようだ。

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