弾ける言葉は檸檬の香り

この文章と出会ったとき、私は胸を打たれた。今までも好きな歌として楽しんでいたのだが、音楽ではなく文学表現として、改めてこの歌詞を読んだとき、あまりの美しさに驚いたのだ。
米津玄師さんの「あたしはゆうれい」。歌詞の一節を引用する。

あなたの瞳はいつだって綺麗で 心の奥まで見透かすようだ その水晶体が写す世界で あたしはどうにか生きてみたくて ひたすら心に檸檬を抱いた(1)

タイトルから分かるように、この歌はゆうれいである「あたし」の「あなた」へ向けたひたむきな想いが語られている。登場人物が明確で、物語をもった歌詞だ。「ゆうれい」視点の独特な世界観ながら、大切な誰かを想う気持ちは、多くの人びとが共感できるのでは無いだろうか。
私が心掴まれたのは、「あたし」から見た「あなた」の描写だ。「心の奥まで見透かすようだ」と直喩が使われており、文学的響きがありながら、自分の思いが相手に伝わっているのではないかという、恥ずかしさや陶酔の感情も伝わってくる。つづく「その水晶体」で、映像のクローズアップがはいる。まっすぐ見つめる綺麗な瞳が、「水晶体が映す世界」とさらに透明度を増す。光が反射し、網膜に像が結ばれる世界には生命を感じる。ゆうれいである「あたし」との対比が、切なく美しい。そして「どうにか」「ひたすら」と、強い願望の言葉がくる。「心の奥まで見透かすよう」な瞳は、「あたし」を映さないために遠くまで見据えることが出来るのだという事実が、「どうにか生きてみたい」という願いを抱かせる。
「心に檸檬を抱いた」からは、檸檬の持つ瑞々しさや甘さ、酸っぱさが、複雑な恋心とリンクしている。一見難しい隠喩に思えるが、反芻するほど、これほど適した言葉はあるだろうかと納得する。
この短い歌詞のなかで、まっすぐな気持ちが伝わる。私が文芸を真剣に学びたい、美しい言葉を紡ぎたいと強く考えるようになったきっかけでもある。難しい言葉を使わずとも、表現しだいで複雑な恋心までも描くことができる言葉の世界を、これからも広げてゆきたい。



〖参考〗

(1)米津玄師 アルバム『Bremen』より「あたしはゆうれい」歌詞 一部引用(2015年)

参考インタビュー https://realsound.jp/2015/10/post-4852.html
https://www.billboard-japan.com/special/detail/2270
(2023年6月6日)



2023年6月7日執筆

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