haijima_LIFE

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最近の記事

義弟のこと③

義弟の状況は変わらず。お義父さんの入院している医療ホスピスに転院して、お義父さんと隣り合わせの部屋で休んでいるそうだ。もちろん、意識はなくコミュニケーションはできない。腫瘍により運動機能をつかさどるところが圧迫されているせいか、時に瞼を閉じることも能わず、見舞いに行った親族が手を添えて瞼を閉じてあげることもあるという。 奥さんが涙ながらに話してくれた。ここ数年、不仲になっていたとはいえ、姉として弟のそんな姿を見るのは辛いと思う。私も今度の週末に義弟の顔を見に行くつもりだ。 お

    • 義弟のこと②

      今週の月曜日、奥さんは弟(私にとっての義弟)の症状について、主治医の診断を聞きに行ってきた。結論から言うと、彼の命は持って一か月、ということだった。 覚悟はしていたとはいえ、辛い。元気だったのに、子供たちもこれからなのに。 長女が来年成人式。長男が18歳。次女がうちの息子と同じ中学3年生。長女が看護師になることが決まっているのがせめてもの救いだが、父親としては無念さぞ無念であろう。書いていて私も悲しくて仕方がない。 義弟は治療を受けていた大学病院から、お義父さんが入院している

      • 義弟のこと

        また辛いことが起きてしまった。 義弟の脳腫瘍が再発し、主治医から余命ひと月程度との宣告を受けたと昨日帰宅した奥さんから聞かされた。 親族、特に親しくしていた存在についてこのような知らせを聞くのは本当に辛い。 義弟は、奥さんより5歳年下の50歳。二人兄弟で、家業である農業を継いで30年ほどになる。 主な作物は米、トマト、小玉スイカ。かつてはメロンなども手掛け、近年は生産性の高いレタスを手掛け、専用のハウスを建設するなど、生産規模の拡大に向けての取り組みをしていた。 もとは、お

        • 母を想う父の歌 4

          父の願いも空しく、病院からは転院を申し渡された。いくつか紹介された病院のうち一つを選び、転院したのが5月の7日。一か月と少し、M医科大学病院の救急救命病棟に入院したことになる。 母の病状はかなり改善し、私たちとのコミュニケーションもとれるまでになっていた。となると、あとはどうリハビリを進めて、残った機能をどのように向上させていくか、ということを相談すべく病院から「相談したい」という申し出があったのだが、日記を見ると、紹介された2つの病院を見学に行った後の記述に、 「看護の問題

        義弟のこと③

          母を想う父の歌 3

          前に書いたように、私は父と、母の介護の方針などを巡って衝突することが多く、その思いについて率直に言葉を交わしたことが無かった。 したがって、初めて知る内容や父の感情が書き記されており、意外な思いだった。このような気持ちをお互いに共有できていれば、もう少し心穏やかに母の介護生活を送ることができたのにと思い残念だった。読んでいくうちに、腹立たしい気持ちと悔しい気持ちが次々に湧き上がってきた。 父のノートは、私の家以外にも、父の長兄の家に残されていたらしい。それを目にした親族(従

          母を想う父の歌 3

          母を想う父の歌 2

          母が脳梗塞を発症した当時の記述を挙げておく。 平成4年3月27日(金) 「午前6時45分、妻K子起きず。呼吸しているのだが目を開かず。凌ほほを手で数回強く叩いたが、痛いらしく手で払いのける。しかし目を閉じて起きる様子なし、異常。直ぐ救急車を養成。(自宅近くの)M医科大学病院救命救急センターへ。会社へ休みの電話連絡と状況説明。診断の結果、『脳幹部の梗塞』の疑いとの事にて入院となる。息子A(私)に電話、病院に来るように伝え、R(私の妹)は旅行中だったので連絡取れなかった。藤岡(父

          母を想う父の歌 2

          母を想う父の歌1

          一九九二年三月二七日、母は脳梗塞を発症。十五年余りの闘病生活の後、二〇〇七年九月に力尽き、亡くなった。 「脳幹」という部に発症した梗塞だったので全身にマヒが残り、特に体のバランスを取る機能が決定的に損なわれてしまった。自分の力だけで体を直立させておくことができず、日常生活全般にわたって介助・支援が必要になった。 母は、その年の九月に六十歳を迎えるはずだった。父は母より五歳年上なので、当時六四歳で、今の私より一つ年下。母の介護は主に父が担った。 父は毎日、母の状態や介護の記録を

          母を想う父の歌1

          妹のあとしまつ、いったん終了。

          最後に残ったのクレジットカードの解約が最大の難題だった。 まずコールセンターに解約方法を聞きたいと思って電話したが、これがつながらない。「電話が込み合っております」「しばらくたってからおかけ直しください」が延々とループする。 らちが明かないので、近隣のショッピングセンターの中にある実店舗に行って相談する。窓口の若者は丁寧に対応してくれたが、本題に入ると「解約はこちらのテレビ電話で承ります」とはじの方のブースに連れていかれる。 面倒な会話はリモートか、と思ったら少しがっかりした

          妹のあとしまつ、いったん終了。

          そろそろ収束

          終わりの予感 葬儀も終わりそろそろ後始末も終わりに近づいている気がしてきた。出来事の記録も少なくなってきて、書くことも思い出せなくなっている。 葬儀は終わったが、墓所に戒名を入れてもらう作業が終わっていなかったので、納骨は一週間ほど後になった。その間、妹の遺骨は自宅の仏壇の下にしばらく収まってもらっていた。 前年の一月に、それまで住んでいたマンションが奇跡的に売れ、その後怒涛の勢いで転居先を探し、紆余曲折あったが、今のマンションを購入。4月には転居した。 前にも書いたが、

          そろそろ収束

          一気に疲れが出た

          葬儀が終わったら、気が緩んだのか一気に疲れが出て、体調が崩れた。崩れたというか、生命レベルが低下したような感じになった。発熱したり、どこかが悪くなったという感じではないのだが、何に対する意欲も無くなるような状態。家から出る気力がなくなってしまった。 葬儀の後から、日記的な記録も続けられなくなっていて、記憶を探り探り書いていくのも大変になっていたのだ。 誰に頼まれたわけじゃないのに今回の件について書き始めて、その重さに押しつぶされてたら世話はない。葬儀が終わってからの出来事を

          一気に疲れが出た

          2021年11月の出来事⑩

          気になる臭い 入浴を済ませてベッドに横になったが、先ほどの臭いが部屋中に漂っている気がしてなかなか眠れない。現場に持って行ったバッグが気になり、顔を近づけて嗅いでみるが、特に臭いはない。 すぐには寝られないと覚悟してPCに向かい、デジカメで撮影した妹の部屋の写真をPCに取り込み、不動産屋さんに送る準備をした。データがコピーできたか確かめたときに画像を見てしまう。現場で撮影しているときは、ものすごく散乱していると感じ、嫌な感じもしたが、画像になると思ったほどではないなど、妙

          2021年11月の出来事⑩

          葬儀が終わって

          本当に長い3か月だった 葬儀の日は、朝が早かったので、一日が実に長かった。 ぐったりして帰宅。夕食をどうしたのか、記憶がない。 納骨の日の記憶は結構残ってたんだけど。 持ち帰った遺骨をどうしようか考えたが、安置しておく場所がない。 と思っていたら、奥さんが仏壇の引き出しのあたりをごそごそやってる。 仏壇下の収納部分の左側。開き戸で、開けると何段かの棚板がある。 何枚かを外すと天地が広くなるのを発見。収納部は骨壺の入った箱が収まる幅だった。 狭くて申し訳ないが、妹にはしばらく

          葬儀が終わって

          3か月かけてのお別れ

          最初に妹の異変を知ってからおよそ3か月。 肉体的には亡くなっていた妹は、一月ほど前に死亡届を出せたことで社会的にも亡くなることになった。そして、今回、やっと葬儀を行うことができ、家族として、我々の関係性の中でも亡くなることになった。 思い出や、精神的な部分ではまだ生きてはいるのだが。 DNA鑑定に時間がかかったのが3か月という時間がかかった主な原因だったのだが、妹が突然、それも孤独死という通常ではない亡くなり方をしたので、それを受け入れて納得するまで、ある程度時間が必要だっ

          3か月かけてのお別れ

          2022年1月の出来事⑦

          結局葬儀は1月末に 関係各所の調整がつき、妹の葬儀が行えたのは、もうすぐ2月になろうかという頃だった。 警察から連絡を受けてからほぼ3か月。命日(と思われる時期)からだと4か月かかった。待たせて申し訳ないが、こちらではどうしようもなかったことが多すぎた。理解してもらえるといいのだが。 将来、どこかで妹と話をする機会があれば説明したいと思う。 火葬場は多摩地区にある大規模な墓地に隣接したところ。行ったことはなかったが、カーナビの指示でたどり着く。なかなか大きな施設だった。 こ

          2022年1月の出来事⑦

          2022年1月の出来事⑥

          ようやく葬儀の段取りに取り掛かれる 結局、妹の死体検案書を手に入れるまで2か月がかかったことになる。 書類がそろったので、ようやく死亡届を出すことができた。そして、葬儀、埋葬を行えることになった。 じゃあすぐに、というわけにはいかないのが悩ましいところ。 火葬場、葬祭場、お寺という三者のスケジュールを調整しなければならない。ネックというのも失礼だが、難関だったのは最近ニュースで取り上げらることも多い火葬場の確保だった。 前年から、葬祭業者の担当者と何度も話をしつつ、葬儀とな

          2022年1月の出来事⑥

          2022年1月の出来事⑤

          たまには従来のスタイルの記述で 年末年始は、コロナの影響もあり奥さんの実家に行くわけにもいかず、自宅で呆然として過ごしていた。仕方がないので、妹の手続きができるようになったらしなければならないことをリストアップをしていた。妹の部屋から見つかった亡父の通帳の内容が確認でき、銀行と話ができていたので、それを頼りに妹の件も伝えたところ、手続きについていろいろ教えてくれたが、やはり死亡届がカギ。 ほかにも必要な書類(全記録が記載された戸籍謄本など)についても教えてもらったが、それを

          2022年1月の出来事⑤