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落ち込んでいる相手に声をかける時は

口の中に大きな口内炎が、隣り合って2つもできたのですが、よくよく鏡で見てみたら、全部で4つありました。つらたん。

そんな口につまみの柿の種をほうりこみながら、とある人と「病名がわかるまで病院をはしごした」トークをしていました。

どん底の自分は、その言葉を欲しがるか

症状が出ていて、生活に支障を来すこともあるのに、病名がわからない。病名が不明だから、対処のしようもない。

この状態って、真っ暗闇な空間に放り込まれているようなもので、けっこう辛いです。

同じように「本当にどうしようもない」という状況に、陥る人はしょっちゅう陥ると思います。私です、はい。


元気な時は、なんとかなるぜ精神で生きているので、つい誰かが落ち込んでいると、「大丈夫だよ」という言葉がノドまで出かかります。

でも、いったんその言葉を待機させます。本当に「大丈夫だよ」って、言っていいのか、と。

どん底にいる時の自分は、そんな言葉をかけて欲しいと思っていたのだろうか、と。

大抵、「大丈夫」とか「なんとかなる」なんて無責任なことは言えないな、と棄却します。


もちろん、相手の視野が狭まりすぎているとか、実力があるのに不安がっているとか、そんな時は「大丈夫」って、つい言っちゃいますよ。

でも、自分視点では道があるじゃんと思っても、本人にとっては絶望の暗黒世界にいるのかもしれない。

私の声かけは正しいのか。そもそも正しいなんてあるのか。自分の勝手な解釈が入っている言葉ではないのか。

わからないけれど、声をかける時は、常に自分に問いかけるようにしています。

「その言葉は、どん底の自分にかけてもよいと思える言葉なの?」







柿の種が口内炎にあたるのも、ある意味どん底です。

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