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俳句「猫柳」

ねこやなぎ母の背「われ」は始まりき

 私の一番古い記憶の映像は、台所に立つ母の背中だ。ただ、その記憶と結びつくのが、ひとつはカルピスをつくるときに使った青いプラスチックのマドラーと、もうひとつは壜に挿された猫柳で、それが夏だったのか、早春だったのか、もう一つ定かではない。いずれにせよ、三歳のときに見たこの母の背中が私の記憶の始まりであることに違いはない。

 記憶の始まりは、すなわち「私」という意識の始まりである。生き物としての私はその三年ほど前に誕生していたわけだが、その三年間は「自分史」には含まれない。

 認知症の母とこの自分の幼年を思うとき、人間の自分史は、プロローグとエビローグのない物語なのだと感じさせられる。

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