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ぺこぱ脳で生きる #HNKS05


こんにちは、配送あるあるです。

三週連続投稿第2弾ということで、今回も張り切って過去最高の記事を書き上げました。

よく噛んで、読んでくれたら嬉しいです。




今回のテーマはぺこぱについてです。

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https://www.sunmusic-gp.co.jp/talent/pekopa/


ぺこぱは、皆さんご存知の通り、シュウペイと松陰寺太勇(以下敬称略)からなるお笑いコンビです。

今やテレビに引っ張りだこのぺこぱですが、M-1グランプリ2019以前は、自分が知らなかっただけかもしれませんが、まだまだ無名のコンビでした。そんな中M-1決勝戦のラスト10組目で登場し、M-1常連で3年連続準優勝の和牛を抜かしてファイナルに残るというドラマを生み出したすごい人たちです。

2019年は、同じく無名だったミルクボーイが、歴代最高の得点を出し優勝し幕を閉じましたが、ものすごい大会でした。初めてしっかり見たM-1がこの年なの、後世に自慢していこうと思います。


「ノリツッコまない漫才」「否定しない漫才」など様々なカタチで、新しい漫才と称賛される二人の漫才ですが、実はこの漫才は私たちの日常生活にも新たな視点を与えてくれたのでは、と感じました。多様性がどんどん拡大する世界の中で、相手を否定することなく、もしかしたら自分が正しくないのかもしれないという視点は、今後の社会においてライフハックになるのではないか、とも思いました。


なので今回は、ぺこぱのネタのなかで自分が特に好きなフレーズをピックアップし、考えを述べていく、というとても野暮なコトをしていこうと思います、悪しからず。


また、2020の敗者復活戦で披露してた「心に松蔭寺」というネタをモチーフにし、現代社会で「心に松蔭時」の実践するコツを示せるモノにでもなれたら幸いです。







なら、おれがすればいい


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「いや被ってんならおれが避ければいい」

M-1決勝のぺこぱのネタの冒頭で、シュウペイが松蔭寺の前に立ち自己紹介をしたことに対するツッコミのセリフだ。この「なら、おれがすればいい」というのがぺこぱの肯定漫才の真髄だと私は考える。

注目したいのは、この短いセリフのなかで、ツッコミ松蔭寺の心境が変化しているところだ。


(いや被って)までは相手が自分に被ってることに対し「おかしいだろ!」と思い邪魔だとツッコミを入れようとしている。しかし(なら~)から「あ、でもおれが少しずれれば解決するんじゃね?」と思い直し、自分が横に移動することで解決した。


という風に私は見えたのだが、この「相手に変化求めようとしたが、実は自分が行動すれば解決する」というココロの動きがとっても大事だ、と思った。


この心境の変化は、案外簡単に見えてなかなかできないものだ。人にはそれぞれ違う考えを持っていて、こうしたいという理想がある。大小の差はあれど、その理想とはかけ離れている状態であるといい気分ではない。


例えば、家の目の前の道路にゴミが散らかっているとき。

「汚いな、綺麗にならないかな、誰か掃除してくれないかな」

と誰しもが思うだろう。そんな時に

「なら、おれが掃除をすればいい」

と果たして行動できるだろうか。


または、全員発表する授業で「トップバッターやりたい人」と質問を振られたとき。

「先頭嫌だな、でもこの雰囲気も嫌だな、誰か手をあげてくれないかな」

と俯き、自分には関係のないフリをするだろう。

そんな時に

「なら、おれが一番に発表したらいい」

と気持ちを切り替え、挙手できるだろうか。


その状況を打破するために、自らがアクションを起こすことはとても難しいことだと、自分自身痛感する。

別にそこでゴミを拾わなくたって、手を挙げなくたって、そのうち場は収まるだろう。そうしなかった理由を作るのも簡単だ。「その時は急いでいた」とか「まだ完成してなかった」など自分を正当化することもできる。そして楽だ、決して間違っていることだとは思わない。

でも同時にそうやって言い訳を探している自分がいることも見逃してはいけない。私自身がそうだった。結局その場しのぎになるだけで、できなかった自分というモノが胸の中に溜まっていく。どんな小さくても、積み重ねてきたモノは簡単には消えない。そして、それはやがて毒になる。

日々の積み重ねで、自分を苦しめるのはもうやめにしよう。

結果としてゴミが無くなればいいだけだ、息の詰まる空気じゃなくなればいいだけだ。それをどうしたら改善できるか、そのアクションを自分は知っている。何ならその行動自体は決して難しいわけではない。なら自分がやったっていい。その時「心に松蔭寺」の出番だ。


そのアクションについてメリットがあるかと言えば、そう強くは言い切れない。だが日々の出来事が自分のモノになるのが、個人的にオススメな点だ。自分で拾えば、ただのゴミが自分で拾ったゴミになる。自主的に一番に発表したら、ただの発表会が自分から始まった発表会になる。

そうやって毎日が自分事で装飾されていくのは気分がとてもいい。自分だけの装飾詞で日々を彩れれば、日記に書きたくなるような毎日になる。その積み重ねが自信につながっているような気もする。

そんな挑戦を、ぺこぱがお笑いにしてくれた功績はとても大きい。彼らの真似をし、ふざけているように生活することで、二重に日々が楽しくなるんだから。お笑いの力は凄まじい。


もう誰かに何かを求めるのはやめにしよう。

人に期待をするのではなく、自分に期待しよう。

自分がやらなくてもてもいいことは、自分がやってもいいことだ。






どうもありがとう


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ぺこぱと言えば、松蔭時のあの独特の自己紹介が目を引く。


「自己紹介します、おれの名は松蔭時太勇だ」


このセリフの間に、何度も頭を振り、手を暴れさせ、口笛を吹いて締める。彼自身が現代社会のせわしなさを象徴しているようだ。そんな彼に対し、こっちが「もっと休憩を取ろう」と言いたくなる。

そんな自己紹介の後には、決まって


「どうもありがとう」


を連発している。他にも漫才中様々なところでよく耳にするフレーズだ。私はこの好き勝手な「ありがとう」がとても好きである。


と言っても、自分たちがよく使う「ありがとう」とは少しニュアンスは違っている気がするからだ。ありがとうと普段使う時は大抵「~してくれてありがとう」など、お礼や感謝を伝える時だ。ヒトやモノが自分自身に対し何かを与えてくれた時、とも言えるかもしれない。

しかしこの「ありがとう」は、自分で変な空気にしたタイミングで使っている。言ってしまえば、自分で勝手にヒトに与えた上で、勝手にありがとうと言っている。私が同じような立場で、変な空気にしてしまった場合、きっと「ごめんなさい」と言ってしまうだろう。


だからこそ面白い。あの「ありがとう」はお礼なんかではないのだ。なんなら「やってやった」の確認みたいな使い方をしている。そんな時間を増やしていくことで、会場の空気をぺこぱの空気として編集していった。


「知識は、水だ。独占してはならない。」
「失敗は、ふるさとだ。誰にでもある。」


いつの間にか、彼らしい言葉を待っている自分がいることに気がついた。言葉の使い方を変え、違和感を積み重ねることで、空気を掴む手段にもなるんだとすごく感心した。私もこんな風に「ありがとう」を使ってみたいと思った。


これはきっと、お笑いだけに当てはまることではない。日常生活でも起こり得ることだ。

それができるようになるには、きっと自信みたいなものが必要だ、フリでもいいかもしれない。大事なのは、みんなに見せている自分を演じ切る力だ。人類皆、演者にならなきゃいけない時があるのかもしれない。


なりたい自分にいかになりきれるか、そんな時に力をくれるのがぺこぱみたいな「どうもありがとう」だ。相手からのアクションよりも先に、自分で空気を書き替えてしまおう。言葉にしなくたっていいが、態度で「どうもありがとう」を醸し出そう。

自分の言いたいことを言う時は、たいてい変な空気になる。どこの誰のニーズにも当てはまらない、自分のために言う言葉だからだ。そういう時には勇気がいる。そんな時こそ「心に松蔭寺」の出番だ。自分で勝手に「どうもありがとう」面してやろう。


自分らしくいる時は、そのくらいの態度が丁度いい。







悪くないだろう


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「悪くないだろう」


ぺこぱの漫才の中では、シュウペイに何か頼まれた時に松蔭寺がする受け答えとして、このフレーズが使われている。「わかった」的なニュアンスだがとても理にかなっている返事だなと思う。

人に何かを頼まれた時、それをやらなきゃいけない理由も、やってはいけない理由もないが、相手が喜んでくれるなら「悪くない」ことだな、と自分なら思う。そしてその心情として、「なんだ私なのか」「なんでそんなこと頼むのか」など理由がすぐにわからないからだ。大げさだが、タクシー運転手やりたいから、お客さんやってほしいなんてお願いがスッと理解できるわけがない。

人からのお願いは「ま悪くないか」というスタンスでいることが、最も心情に即しているんじゃないだろうか。今後もっと色んな場面で使っていこうと思う。



元々このフレーズは、私が結構前から好きな言葉だ。


「悪くない」という考え方がカッコいいと思ったのは、きっと大学生からだろう。今とは違い、行きたいところに自由に行けた頃に大学生になれたおかげで、行動範囲が一気に大きくなった。それが仮初めの自由だったとしても、一気に世界が広がった気がした。

あの頃は大層バカだったので、色々なアホなことをしてきたと思う。海外にも、もちろん国内の色んな地域にも足を運んだ。後先考えずに山の頂上でよくオールもした。自転車でよく旅をした、熱海や富士急、日光にも出かけた。

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これは日光まで自転車で旅をした時の事前計画だが、よくこんな拙い予定しか立てずに、行けたなと笑えてくる。あの時の行動力は最強だったなと思う。

もちろん、こんな予定の通りには全然いかなかった。2日目なんて最悪だった、夜餃子でビールするために昼飯を抜いてまで急いだのに、途中で友達のチャリが壊れて大幅に時間ロス。結局食べれないし、ナビをするケータイの電池も切れかけ、あげく大雨でビショビショになった。ま事実だけを見れば最悪だ。

他にもほぼ全ての出来事で、予定通りいったことなんてなかった。山の上でオールした時は、夏なのに凍えたし、国内旅行で地方に行ったときは、腹ペコペコなのに店が全部閉まっていた。他にもよく酒を呑んではつぶれて迷惑をかけた。自由になったはずなのに、色んなことが全然思い通りにならない。

「こんなはずじゃなかったのに」

「思ってたのと違う」

そんな日々の連続でしかなかった気がする。


でも、決してつまんないものではなかった。ものすごく楽しかった。予定通りだったとしても、もちろん良かった。でも思い通りいかなくても、全然悪くなかった。むしろ想定外の出来事は、ほぼキセキだった。


チャリ度に出かける度に、何かしらのカタチで打ち上げ花火を見れた。

山の頂上で仮眠してたはずなのに、気づいたら目が覚めていて、辺りを見渡すと朝五時なのに、そこでラジオ体操してるおじさんが出現していた。

ビショビショで腹ペコペコの私たちをゲストハウスのオーナーさんが温かく迎えてくれて、すぐ風呂にも入れてくれて近くのスーパーまで車を出してくれた。


これらはきっと、予定通りにいった「よかった」の世界では味わえなかったことばかりだ。うまくいかなかったけど「悪くない」の世界だったからこそ、見れた景色なんだと思う。だからこそよく覚えているのかもしれない。


これからの人生でも様々な出来事に遭遇し、ほとんど思った通りには行かないだろう。振り返れば、よかったと言えるモノになるかもしれないが、その時点で「よかった」とは飲み込めないと思う。そんな自分に対し、周りの人間はきっと、いいとも悪いとも言ってくれない。そんな時にこそ「心に松蔭寺」の出番だ。まずは自分自身に


「悪くないだろう」


と、ささやいてみよう。

この言葉は誰かから言われる言葉ではなく、自分自身にかける言葉なんじゃないだろうか。「よかった」とは言えなくても、「まぁ悪くはなかった」となら、現時点でも自分にも言えるはずだ。

自分を褒める時、認める時にもっとも使いやすい言葉だと私は思う。「悪くない」=自己肯定のキーワードなのだ。むしろ「良い」なんかよりカッコいい言い回しだとも思う。自分自身への「悪くないだろう」は、最高にイカした褒め言葉と言えるだろう。

「悪くない」人生のほうが身の丈に合った、自分らしい日々を送れる気がする。どんなに馬鹿げたことであっても、いい加減なことなんてないのだから。







おわりに


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というわけで、ぺこぱに学ぶライフハックを書いてみました。結構前からぺこぱについて書こうと考えていたところに、去年のM-1の敗者復活戦で「心に松蔭寺」ってネタをぺこぱが披露していて、「今しかない」と乗っかって書いてみました。いかがだったでしょうか。

この記事書くために何回もぺこぱのネタを見直したんですが、同じネタなのにいつ見ても笑えるのがほんとにすごいと思いました。

読んでくれた人の中に、なんか自分に自信ない人がいるなら、ぜひ「心に松蔭寺」を飼ってみてもいいんじゃないでしょうか。「松蔭寺ならどう考えるかな、、、」というのが頭にあるだけで、毎日が少し楽しくなるような気がしてます。


「なら、おれがやればいい」「どうもありがとう」「悪くないだろう」


これらは、最強のフレーズ三連単です。日常で使ってこそ生きる言葉だと思います。いつかぺこぱのフリではなく、松蔭寺メンタルが自分の一部になるように、私もこれからたくさん使っていこうと思います。また「時を戻そう」に関しては使う場面が見当たらないので、忘れてしまってもいいでしょう。


松蔭寺じゃなくても、自分の尊敬している人、好きな人、友達など、自分以外の人間を心に置いておくのはすごくいいことだと思ってます。「メンタルともだちコレクション」とでも言えるのでしょうか。少しでも多くの好きな人の好きな部分を集められたら、より素敵な自分に近づけるのではないか、とか考えてます。そういうカタチで「人に頼りまくる生き方」だって、悪くないだろう、なんて思います。




いい時間になりましたので、この辺で今回は終わりに致します。


どうも、ありがとうございました。


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