〝泣いているのを誤魔化したからなんだ〟
2028年、秋。
ジンが死んだ。
「ちくしょう」
田中先生が、真っ白い箱に入ったジンを見て、も一度「ちくしょー!」と言った。
ふざけているように見えたのは、多分田中先生が泣いているのを誤魔化したからなんだと思う。
夕方に死んだジンを、わたしたちは病院から連れて帰った。その日のうちに、田中先生はジンの物を全て撤去した。
わたしは児童養護施設の中から、少し離れた海沿いの野原の方で、何かを燃やしているのを見た。ジンのクッションやら、毛布やらを燃やしているのだ。
見ていると悲しくなるから、しょうがないと思った。
次の日の夕方にジンを埋めた。
埋めた後、やっと少し涙が出た。
三週間経っても泣いている時、わたしはとんでもないことに気付いてしまった。
わたしは、ジンが居ないから泣いているんじゃない。
自分が可哀想で泣いているんだ。
ひとりぼっちにされた自分が、惨めで泣いているんだ。
実にくだらない。
「お前はくだらない」
ヘドが出る。
誰かが囁いた。
「死んじまえよ」
みるならジンのまぼろしがよかった。
「腕の一本でも切り落とせよ」
「足の一本でもくれてやれよ」
鳥とかに?
「そうすればもう考えなくてすむぜ、そーだろ?」
ああ、そうか。その通りだね。
「そしたらお前は、腕が痛いから泣くんだ。足が痛いから泣くんだ。それが普通だろ?」
わたしは今普通じゃない。
恐ろしいほどくだらない。
「それがリアルだろ?」
——————
AM7:00
「ののめー、早くしないと置いてかれちゃうよ」
まだ眠いのに、厚手のカーテンがシャッと引かれた。
「まぶしい」
陽の明るさに目の奥がじんと痛む。
まだ閉めていてほしいのに、シスターはさっさと動きまわった。
シスターの長い髪の毛から、ローズのいい香りがして少しだけ目が覚める。
「今日は富士山を拝んだら富山に帰るよ」
大きなリモコンでテレビをつける。
今時、こんな大きなリモコンは見たことがない。
胡座をかいてリモコンを膝の間に置き、テレビをつけた。
ガリレオのショートアニメ見たかったのに、こっちでは放送していないようだ。
今日はアインシュタインが出る回だったのに。
変わりに〝にほんごであそぼ〟が流れる。
今日は中原中也の詩の抜粋だった。
〝汚れつちまつた悲しみは
懈怠のうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき—〟
「ののめー、髪とかすんだよー」
「うん」
朝からなんて暗い詩だ。
きっとこの人は、とても悲しいことがあったのだろう。 どんな人かは知らないけど。
アインシュタインの重力についての頭の痛い説明を聞いた方が、まだマシだったように思う。
「最近のキッズアニメ小難しくない? 文豪とか物理とかばっかりね」
シスターが歯を磨きながら仁王立ちでそう言った。
「あたしにはさっぱりだけど、ののめっち楽しい?」
「うん」
〝汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる〟
汚れちまった悲しみ、という部分になんとなく、深い意味があるのだろうかと思えてくる。
こども番組が終わりニュースに変わった。
日本のロケットの状況についての速報が流れた。
「ありゃりゃ、やっぱ曇りかー」
「そうだね」
「残念無念」
打ち上げの延期は珍しくない。
休みを合わせた人がただ〝可哀想〟なだけだ。
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