スーパーソニック
「きのうの夜中、地震あった?」
朝食を食べている時に、シスターがおもむろに聞いた。
「なかった」
パンをちぎりながら牧師は眠そうに答える。目の下の隈がひどい。
ののめは相当美味しかったのか、スクランブルエッグをおかわりした。
ジョゼフは左のおでこを擦る。
「一応、順調に帰路についてますってLINEしとこうか、先生たちに」
「待て。先生等スマホなくしたってこの間言ってなかったか? 田中くんに連絡入れとけばどうだ?」
コーヒーを飲む。
苦い。
目が覚める。
ジョゼフは自分のでかい身体を、なるべく小さくして足を伸ばした。
ののめの爪先とぶつかった。
※ ※ ※
河口湖で抉れた富士山を拝んでから、富山県の軽佳那市警察所に向かった。
「もっとゆっくりしててもよかったのに」
牧師はそう言ったが、ジョゼフは小さな花束を湖畔に添えたら満足したと言って、さっさと車に戻った。
「ののめ、風邪ひくよ」
「うん」
一番寒そうにしていたののめが、一番最後まで富士を眺めていた。
※
車内ではラジオをかけながら移動した。
FMとやまからは、ずっと洋楽が流れている。
富山県に入ると、不思議な光景が見れた。
たまに電柱の上に、何か鉢のようなものが置いてあるのが見えたのだ。
三個目までは黙っていたジョゼフだが、四回目でやっと質問した。
「電柱の上にあるのは何だい?」
「金魚鉢」
さも当たり前のように牧師が答えた。
「金魚鉢?」
「夜中になると金魚が空を飛ぶって話。ここら辺ではそういう昔ばなしがあってな」
ジョゼフは頭の中で、暗い夜空を漂う金魚の群れを想像した。
少し可愛いな、と思った。
「うそ。わたしはアロワナって聞いた」
と、ののめが珍しく自分から発言した。
「あら、八百屋のおじさんは鯉だって言ってたけど」
今度はシスターがスマホの画面から目を上げて言った。
鯉やアロワナは渋すぎやないか? とジョゼフはまたその場面を想像する。
ののめが続けた。
「わたし、夜中にピアノ弾いてるときに見たことあるよ。飛んでる魚」
「まじで?」
牧師が楽しそうに聞き返す。
「金魚より大きかったもん。アロワナか鯉くらいだった」
「ふうん。ってか、またあんたは夜更かしして」
シスターが〝夜中〟という単語に気付いて問いつめ出した。
「だって」とののめが反発する。
「しょうがないじゃん、ヒロトのいびきが煩いんだもん」
隣の部屋でもねむれないくらいの騒音なんだから病院で診てもらってよ、とののめは怒った。
「ピアノ弾けるのかい?」
ジョゼフがののめに聞くと、ののめは恥ずかしそうに下を向く。
かわりに牧師が自慢しだした。
「ののめはピアノが上手なんだ。どんな曲でも、一回聞くと弾けるようになるんだよ」
「すごいんだから」
と、シスターも振り向いてにやにやした。
「どんな曲を弾くんだい?」
「なんでも。アニメの曲もクラシックも弾くよ。最近は戦場のメリークリスマスを弾くのが好き」
少し早口でののめが言った。
「すごいね、今度聴いてみたいな」
「いいよ。モナさんの曲も弾けるよ」
ジョゼフは一瞬ドキリとした。
急に妻の名前が出てきたので驚いたが、ののめがピアノ好きで、クラシックも弾くのなら何の不思議もなかった。
「俺もなんか弾いてほしいなあ」
割り込んできた牧師に、ののめが面倒くさそうに「なにを?」と返す。
牧師は少し考えて「これ」と、ラジオの画面を指さした。
気だるげなoasisのスーパーソニックが流れていた。
※ ※ ※
「おい、丈碁、通り過ぎてるぞ!」
富山県軽佳那警察署という看板を通りすぎて右折したのを見て、ジョゼフは運転席にしがみついた。
さぞ「しまった」という顔をしているんだろうと思い、牧師の顔をのぞくと平然としている。
「違う違う、ジョージは多分こっち」
牧師はゆっくりと、公園の近くの駐車場に停止して、外を見るように促した。
「うん、こっちだね」
シスターがジョゼフの封筒に目を通しながら、納得したようにつぶやく。
「こっちも同じようなもんだから、大丈夫大丈夫」
〝こっちも〟とはどういう意味なのかと、ジョゼフは窓の外を見渡す。
牧師が指さす方向には、五階建ての小さな細長いビルが建っていた。
古いビルなのか、色はくすんでいる。
むきだしの換気扇と、非常用階段がさびている。
「富山県カルカナ警察署」と書かれた、小さな小さな看板が見えた。
「はい、封筒持ってレッツゴー」
牧師がシートベルトを外す。
ジョゼフも降りる準備をした。
心臓がばくばくと跳ねる。
牧師は身軽に車から降りて、シスターに鍵を渡した。
「未夏とののめは待っててくれ。公園で遊んでてもいいし」
「了解でーす」
シスターはUFOのキーホルダーが付いた車の鍵を、人差し指でくるくると回した。
木が多く、日当たりの悪いビルの横を歩いて、入り口に向かう。
「はあ」
なんだか心臓の鼓動がせわしない。
三年ぶりに妻の遺留品を受け取るのだから、当然な反応のはずだ。
湿気で息苦しいのか、緊張で呼吸が荒いのか。
ジョゼフにもわからなかった。
その時、上から怒号が聞こえた。
ガシャーン! という、ガラスの割れる音。
「何だ?」
前を歩いていた牧師が上を向く。ジョゼフも上を向くと、一番上の窓からなにかが降ってきている。
観葉植物の鉢か、なにか。
「馬鹿野郎ッ」という男の怒号につづき、人間が窓から飛び出した。それを追ってもう一人が窓から飛びだす。
二人の人間が宙に浮いているのを目に映して、ジョゼフはぞっとした。
ジョゼフの後ろにガラスの破片が落ちる。
「ジョージ!」
牧師の怒鳴り声が背後からきこえた。一歩後ずさる。
落ちてくる男の足が迫って、視界が真っ黒になった瞬間、
がつっ、という鈍い音と衝撃が頭に走った。
揺れる
ジョゼフのまぶたの裏で、何かがフラッシュバックした。
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