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映画『Hairspray』vs『Dreamgirls』:そして、第三の男、シドニー・ポアティエ

『Hairspray:ヘアスプレー』を観た。
 帰米後、観た映画は四本目。他の三本は、グレタ・ガルボ主演の『クイーン・クリスティーナ』、老夫婦のドキュメンタリー『クレイジー・ラヴ』、スペインの画家ゴヤの名を冠した『ゴヤズ・ゴースト』。それぞれ、一見に値する映画ではある。特に、グレタ・ガルボとゴヤの映画には、内容は全く違うが、コメントしておきたいこともある。
 しかし、久しぶりに書く気が起きたのは、今日の『Hairspray』だった。それは、まだ書いていない『Dreamgirls』との対照が興味深かったことと、映画のエンディングで配役を知るまで誰だか分からなかった怪女優(主人公トレイシーの母親役)がいたためだ。
 「このオカマさんのお化けのような女優、一体何ものだ?!顔は酷いのに、妙に芸達者だし、190センチ、180キロはあろうかという巨体を揺すって、しかもハイヒールで、なぜあんなに踊れる??(断っておきますが、私は自己の女性性を女装によって実現しようとする男性、いわゆるオカマさんに偏見はありません)」
 それが私の、この女優に対する印象だった…。
 さて、『Dreamgirls』と『Hairspray』は、ほぼ同じ時代を同じテーマで描いている。ただし、前者が、そのモデルとなったデトロイト出身のスプリームス(シュープリームス)の、1961年におけるモータウンレコードとの契約から十数年の物語であるのに対して、後者は、1962年のボルチモアのテレビ・ショーを舞台にした、おそらく数ヶ月の物語である。だから、同じ時代といっても、描かれている期間はまるで違う。
 しかし、まだ合衆国の黒人が、多くの州法で、白人と同等の市民権を与えられていなかったころ、芸能の世界も、白人の世界と黒人の世界は、厳然と区別されていた。その境界を乗り越える過程を、黒人芸能の内部から描いた作品が『Dreamgirls』であり、受容する白人の側から描いた作品が『Hairspray』というわけだ。
 共通するのは、そもそも黒人の演ずる、歌、踊り、演技が、優れていて、その魅力が境界を浸食していくという、芸能あるいは芸術それ自体の力が前提となっているということだ。しかし、『Dreamgirls』では、歌はともかく、白人受けする容貌の歌手(実際にはダイアナ・ロス)をメインに据え、それ以外、とりわけ「下品な」歌手は切り捨てるという、プロデューサーとしての商業戦略が黒人の側から打ち出され、それが黒人内部に軋轢を引き起こす(実際も、ビヨンセがジェニファーよりかなり歌が不味いことはアカデミー賞でも実証済み)。いわば、シリアスな映画であるのに対し、『Hairspray』は、典型的なコメディである。「音楽とダンスの力は白人も黒人も魅了し、結局は差別も乗り越えさせるのよ」という、あくまでテレビ番組の一視聴者に過ぎなかった、ダンス大好きな、トレイシーというまるまる太った女子高生の視点で、描かれきってのハッピーエンド。
 しかし、その母親は、さらに彼女を3倍膨張させたようなお茶目な大女(実はこれがジョン・トラボルタ)、そして、父親はおもちゃオタクのおもちゃ屋さんで、ドラキュラの役がよく似合いそうな、クリストファー・ウォーケン(『ディア・ハンター』でアカデミー助演男優賞)、トレイシーや黒人の敵役となる保守派で元ミス・ボルチモアのテレビ局マネージャー役に、ミシェル・ファイファーなど。まあ、その他にも、可愛く楽しい、男優・女優が何人も出ていて、観ていて飽きない。
 トロントでは、ミュージカル公演の際、史上最短の公演期間を記録するほど不評だったようだが、この脚本の場合、背景を描き込んだ方が分かりやすく、従って、映画の方が広い支持を得られることは間違いない。
 さて、最期に、この時期の黒人芸能の白人層への浸透において、ひときわ大きな役割を話した人物について、一言だけ。彼が、ベルリン国際映画祭で主演男優賞をとり、黒人として初めて、アカデミー賞主演男優賞の候補になったのが1958年の映画『The Defiant Ones:手錠のままの脱獄』。そして、アカデミー賞主演男優賞をとったのが1963年の『Lilies of the Field:野の百合』。
 つまり、トレイシーたちが、ボルチモアで黒人白人共同で参加できるダンス番組を実現した1962年(史実ではないにせよ)、ドリームガールズ(シュープリームス)が全米ヒットチャート1位を獲得する1964年当時、米国の黒人芸能の世界を、おそらくは最も困難で、大衆的で、それゆえ社会的地位の高い、銀幕の世界で白人層に認めさせたのが、シドニー・ポワティエ(Sidney Poitier)という人物だということだ。それぞれの映画には描かれていないが、歴史的事実として、彼の存在が、どちらの作品で描かれた新しい時代への努力をも、後押ししていたであろうことに、疑いの余地はない。
 「彼が登場するまでは、テレビにも、映画にも、黒人は主役として登場しなかったし、白人の番組は白人だけのものだった」とは、私の敬愛する米国戦後史の生き字引、K女史の言葉である(若干脚色)。
 シドニー・ポアティエについては、名作がいくつもあるので、本格的に語ることはできないが、この二つの作品の背後に、彼の年譜を重ねてみると、芸能の世界における米国黒人の歴史が、より豊富にイメージできるのは、間違いない。

初出:2007年8月12日(mixi)


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