はじめちゃん

お箏とお三味線の演奏家です。地元前橋を愛し、まちなかの活性化にも取り組んでいます。no…

はじめちゃん

お箏とお三味線の演奏家です。地元前橋を愛し、まちなかの活性化にも取り組んでいます。noteでは、ラジオ局の番組に書いた原稿や、LINE公式アカウントのバックナンバーなどをアーカイブしていきます。文章を書くことにも興味があるので、胸の内や考えたこと、小説なども書いていきたいです。

最近の記事

まえばし心の旅046:エピローグ

1年間続けてきた「まえばし心の旅」、今回が最終回となります。今まで聞いてくださったリスナーさんに、心から感謝します。  今日は最後なので、自分のことを少しお話しさせていただきます。私は昭和50年に、臨江閣のちょっと裏手にあった「横地産婦人科」で生まれました。父は神奈川出身で、母が前橋の人。なので、日吉町にある母方の実家で育てられました。子供の頃から、買い物や遊びは、まちなかばっかり。当時は、西武・ニチイ・マルイ・前三・赤かんばんなどが勢揃い。中央通りなどは人の流れがあり、子

    • まえばし心の旅046:べエピローグ

      1年間、まえばしCITYエフエムでお送りしました「まえばし心の旅」、3月23日をもって、最終回とさせていただきました。最後に、私自身のことをお話しさせていただいております。

      • まえばし心の旅045:めぶく

        広瀬川の川縁に、平成30年、太陽の鐘が完成した。これは、前橋の新しいビジョン「めぶく」の具現化のスタートであり、民間有志「太陽の会」の資金援助による。その後、「めぶく」に関連して、グラッサ・なか又・つじ半などのお店が開店し、洗練された味が我々を楽しませてくれ、週末ともなれば行列ができる。  そして、白井屋ホテルは世界から注目を集め、馬場川側にできたタルト・ブルーボトルコーヒー・パンのお店も、話題を集めている。  そういった流れで、従来のまちなかにはあまり見られなかった、若

        • まえばし心の旅045:めぶく

          毎週水曜日、まえばしCITYエフエムからお送りしている「まえばし心の旅」の音声データーです。令和4年3月16日、第45回のテーマは「めぶく」です。

        まえばし心の旅046:エピローグ

          まえばし心の旅044:朔太郎

          前橋市のキャッチコピー「水と緑と詩のまち」の中で、「詩(うた)」の代表は、萩原朔太郎であることは疑いないだろう。詩壇における朔太郎の存在は、口語自由詩という近代詩の新しい地平を開いたという大きな功績があり、それ故に「日本近代詩の父」と称されている。では、前橋にとってこの偉大な詩人の存在は、どんな意味があるのだろうか。  一つは、当時の前橋を彼自身の視点で切り抜き表現して残したこと。そしてもう一つは、彼自身の詩作以外の活動にもあるのではないか。  朔太郎の詩には、前橋を題材

          まえばし心の旅044:朔太郎

          まえばし心の旅044:朔太郎

          毎週水曜日、まえばしCITYエフエムからお送りしている「まえばし心の旅」、令和4年3月9日のテーマは「朔太郎」です。

          まえばし心の旅044:朔太郎

          まえばし心の旅044:朔太郎

          まえばし心の旅043:前橋の由来

          何気なく毎日の様に使っている「前橋」という地名、由来はなんなのだろうか?「前橋」の名前の歴史を紐解いてみると、1649年ころ、「厩橋(うまやばし)城」の名前が「前橋城」に変わっている。この頃の藩主は、後に大老になり、「下馬将軍」と呼ばれた酒井忠清で、まだ3代将軍徳川家光の家臣であったころだ。  もう少し遡ると、1571年、越後の北条(きたじょう)氏が前橋一体を支配し、八幡宮に対して「当地厩橋八幡宮」との書面を発行した。これが「厩橋」と明記された最初の資料とも言われている。も

          まえばし心の旅043:前橋の由来

          まえばし心の旅043:前橋の由来

          毎週水曜日にまえばしCITYエフエムからお送りしている「まえばし心の旅」。令和4年3月2日放送の43回目は「前橋の由来」です。

          まえばし心の旅043:前橋の由来

          まえばし心の旅043:前橋の由来

          まえばし心の旅042:旧町名

          先日、平和町郵便局で開催されていた「まえばし百年商店資料展示会」を見てきた。私のお付き合いのある方が所蔵する資料を展示する企画だが、展示のメインの一つは、100年前のまちなかのお店の並びを通り毎に再現した資料で、今でも続くお店には印が付けられていた。 もう一つのメインは昔の前橋の資料で、いくつかの古い地図などが展示されていた。その中で特に私の目を引いたのは、「前橋市全図」という地図だ。合併前の市域なので、今と較べるとかなり狭い。北は群馬大学医学部の辺り、南は六供町、東は日吉

          まえばし心の旅042:旧町名

          まえばし心の旅042:旧町名

          毎週水曜日、まえばしCITYエフエムからお送りしている「まえばし心の旅」、2月16日のテーマは「旧町名」です。

          まえばし心の旅042:旧町名

          まえばし心の旅042:旧町名

          まえばし心の旅041:節分

          「鬼は外!福は内!」。先日の節分では、みなさんご家庭でも、豆まきをした方もいらっしゃるかもしれない。我が家も、小規模だが、豆まきの真似事の様なことを行った。  節分となると思い出す光景がいくつかある。一つは、三俣神社の豆まきだ。私がまだ幼い頃、三俣に住んでいた曽祖父に連れられて、三俣神社の豆まきに参加した。曽祖父も私も、着ている洋服の上から、紫色の簡易的な裃(かみしも)の様なものを着た。そして、仮設で作られた櫓(やぐら)の上に上がり、大きな枡の中から豆を撒く。下には、地域の

          まえばし心の旅041:節分

          まえばし心の旅041:節分

          毎週水曜日、まえばしCITYエフエムからお送りしている「まえばし心の旅」、2月9日のテーマは「節分」です。

          まえばし心の旅041:節分

          まえばし心の旅041:節分

          まえばし心の旅040:糸の街

          お正月に、家族で上毛カルタを楽しんだ方もいらっしゃるだろう。前橋の読み札はもちろん、「県都前橋糸の町」だ。県庁前通りを描いた絵札を見ると、今よりも建物や木が小さく、当時からの発展を窺い知ることができる。ちなみに、「繭と生糸は日本一」も、関係する札と言える。  思えば、カルタの読み札のとおり、やはり前橋は生糸によって栄えた街だ。歴史的に見れば、日本で最初の機械式製糸工場ができたのは前橋だし、明治初期の前橋発展の基礎を作った前橋二十五人衆は、多くの方が、製糸業関係の職種に携わっ

          まえばし心の旅040:糸の街

          まえばし心の旅040:糸の街

          毎週水曜日、まえばしCITYエフエムからお送りしている「まえばし心の旅」、2月2日のテーマは「糸の街」です。

          まえばし心の旅040:糸の街

          まえばし心の旅040:糸の街

          まえばし心の旅039:前橋駅

          子供の頃、電車の発車を知らせる音は、今の様にメロディではなく、ジリリリリという、いわゆるベルだった。ホームの柱に、赤いベルが取り付けられていたのを覚えている。その頃の前橋駅は、昭和2年に建てられた洋風の駅舎で、両毛線も高架化されていない。駅舎の屋根の中央部分が三角形の破風の様になっていて、そこにアーチ状の装飾があった。中の待合室には椅子が並んでいて、そこで電車を待ったり、家族が電車で帰ってくるのを出迎えた。 改札口には駅員さんが立っており、切符に切り込みを入れる改札鋏のカチ

          まえばし心の旅039:前橋駅

          まえばし心の旅039:前橋駅

          毎週水曜日、まえばしCITYエフエムからお送りしている「まえばし心の旅」、1月26日のテーマは、前橋駅です。

          まえばし心の旅039:前橋駅

          まえばし心の旅039:前橋駅