1700字シアター(4)白い駅舎

(2021/02/05ステキブンゲイ掲載)
 教会のような建物だった。高い天井はドームになっていて、真下から見上げると、天頂部の天窓に向かって張られた板が放射状に並んでいる。
 その空間に飛び交う鳩の羽音とクークーという鳴き声が聞こえる。それ以外の音は何もないほどの静寂だった。
 天窓から差し込む数条の光は白く明るく、季節は夏なのであろう。
 目を周囲に転じると、そこは教会というより無人の駅舎のようだった。白いペンキ塗りの木造で、剥げかけたペンキが所々で浮いている。
 安っぽいペンションみたいな建物でもあり、俺の想像力はこの程度なんだなと自嘲気味になる。
 これは夢なのだ。

 実際の俺は、仮病で休んだ午前中、誰もいない会社の寮で、ビニール袋を被ってガス管を咥えてうつらうつらとしている。ガスの中の一酸化炭素で少ない苦痛で死ぬはずだ。
 事故を防ぐために窓は全開にしてあるが、本当は俺以外の人類が滅んでもいいやと思っている。
 SF小説によくある、誰もいなくなった地球で、たった一人で生きていく物語に、
「それって、天国じゃねえの」と思うような若者だった。
 休日の度に揃って競馬や競輪に行き、居酒屋で意気をあげる先輩や同僚たちとはあまり馴染めなかった。
 一人で本を読んだり原稿を書いていると変人扱いされた。そしてやっと書き上げて公募に送った原稿は、毎回二次予選より上には行けなかった。
 休日の午後、本屋へ行こうと街に出ると、「孤独は山になく、街にある」という三木清の言葉が脳裏をよぎるのだった。
 街中を行き交う人々にとって、俺は風景の一部にすぎないのだろう。俺にとっての彼らが風景の一部にすぎないように。

 やがて、静かな高原の駅舎の入り口に小さな人影が現れた。明るい表の光で逆光になっている。白い夏服の少女だった。鍔の広い帽子を被ってまぶしげな表情で俺を見つめていた。
 やがて、にっこりと微笑むと、小さく囁いた。
「・…、」
 なんと言っているのか聞き取れず、俺は彼女に近づいた。
「もう一度、」と言おうとしたが言葉が出ない。口の中にガス管の味がして、シューシューと漏れるガスで口の中がからからに乾いていたからだ。気づくと俺はガス管を離していた。そして、畳の上に盛大にゲロを吐いている自分に気づいた。

 この駅舎の妙な既視感は、あの十数年前に夢で見た記憶なのだと気づいた。
 ここはN県の高原にある軽便鉄道の駅舎で、廃線になった後は地元の資料館になっているのだ。
 俺たちは親子三人で友人の山荘に泊まっていたのだった。
「ここも、なんだか寂しくなっちゃったわね」と妻が言った。
 新婚の頃に遊びに来たときは、高原のリゾート地として観光客で混雑していた。おしゃれなフランス料理店、絵本の美術館、子供の喜ぶ遊園地など。
 今は閉店した店や廃業したホテルが目立った。
「スキーブームが終わったしな」と答えたが、俺はこの廃墟一歩手前のリゾートの静けさが嫌いではなかった。
 人間の輪に入ることは、結婚した後もやはり少し苦痛だったからだ。
 人出の絶えたかつてのリゾート地は、俺の脳内では「人類滅亡後の地球」だった。
 遠くから笑い声が聞こえた。娘の声だ。
「あの娘には、退屈だったかしら」と妻。
 外で娘が蝶を追いかけていた。
 見つめる俺に気づいて娘が走ってくる。
 ポーチに立った娘は、鍔の広い麦藁帽子の下から、まぶしそうに俺の顔を見上げて、
「父さん」と言った。
 あのときの夢がまざまざと蘇る。
 俺は娘の目線に合わせて腰を屈めた。
「もう一度」と言うと、娘は不思議そうな表情で
「父さん」と言った。
 間違いない、おまえだったんだな、俺をこの世に引き戻したのは。
 娘は怪訝そうな顔で妻の方を向いて、
「父さんが泣いてる」と言った。
 俺は涙を拭うと、
「長い間探してた答えが出ただけだよ」と笑った。
「変なの」と娘は笑った。
 麦わら帽子のその満面の笑は、日向に向かうひまわりのようにまぶしく明るかった。
 俺はその小さな恩人を抱いたまま何度も「ありがとうな」と心の中で呟いていた。


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