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HSPという「許し」

HSPの対極にある言葉

10代の頃苦痛だったアドバイスがある。
「もっと積極的になれ」。
親にも先生にも友人にも言われた。私はとにかく引っ込み思案でおとなしい子どもだった。

とはいえ、小学生の頃は学芸会の劇に出るのが好きだったし、授業でも積極的に手を上げていち早く解答を述べることもあった。一度、早押しクイズ並に即答したことがあり、近くの席の男子に毒づかれたのがトラウマになった節はある。

目立ちたくなかった。目立つことで、自分のことをとやかく言われるのが嫌だったのだ。

大人になった今は、別に積極的になれなくてもいいと思っている。だが当時の真面目な私は無理難題を真摯に受け止め、消極的な自分に鞭を打った。なるべく自分から人に話しかけたり、自己主張できるよう試みた。実際は頭の中でぐるぐると提供する話題を選ぶばかりで改善の兆しはなく、自己肯定感は下がる一方だった。

今でこそHSPの子ども版としてHSC(Highly Sensitive Child)が取り上げられるようになったが、私の学生時代にHSCはおろか、HSPという概念は提唱されていなかった。ネガティブに言い換えると、HSPは消極的、悲観的、神経質の三重苦だ。当時は欠点ばかりが際立っていたのである。

HSPがHSPだと知る時

産後の里帰り中に読んだ新聞記事で、HSPと出合ったのが私の大きな転機になった。
専門書に乗っ取ったHSP診断の結果、私はかなりの確率でHSP気質だと判明した。
画像は当時の診断結果。

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イルセ・サン著『鈍感な世界に生きる 敏感な人たち』によると、最終数値が60〜140だとHSP気質の可能性がある。
私が最初に行った時は95、2020年に再診断した際の数値は100だった。

同書のHSP診断はエレイン・N・アーロン博士の診断より質問項目が多く、より確実な判断ができる。また、自分がHSPだと知らず苦悩を抱えていた人の生の声が多数掲載されており、周囲の理解を得づらいHSPの孤独感も癒される。

そのままでいいのだ

HSPは各所で語られている通り、生来持って生まれた気質で疾患ではない。
私は自分をHSPという概念にカテゴライズしたことで深い安堵感を得た。
散々指摘され、欠陥だと思っていたあらゆるものへ、もう抵抗しなくていいんだよと肩に手を添えられた気がしたのだ。

そもそも、改善という考え方がおかしかったのだ。人にはどうしても得手不得手がある。私は今でも大人数の雑談が苦手で、飲み会や、母子通園していたクラスのお母さん方との昼休みに上手く話せず悩んでいた。ある人にそれを打ち明けると、「ペラペラとお喋りなはじめ(仮)ちゃんははじめちゃんじゃない」と柔らかい笑顔で返された。私はそのままでいいのだ。

HSPの多くが、自分がHSP気質だと気づいた時変化を感じただろう。垂れ込めていた雲が流れて晴れ渡るように。オセロの黒が白にひっくり返るように。

自分を欠陥品だと断罪し続けてきた私にとって、HSPは許しだった。

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