妹としてのわたしの葬式は冬に向日葵さんざめく庭で


「生きていてしんどいのは信仰心がないからじゃないの?」
と言われた。
別にこの人はあやしい宗教のひとではない、わたしの知人、先生なんだけど。
これは結構そうかもしれない。神頼み、みたいなことを昔から嫌っていた。彼のいう信仰とは神や仏のたぐいとはまた少し違うのだけど。
先生があたりまえに口にする、これまでつづいてきた自分の先祖たちに守られているという感覚や死後の世界で大切なひとと再開できるという確信に対して、わたしは嘘でも頷くことはできなくて、これはもう埋まりようがないたましいの置き場のちがいなのだと思った。


『鬱の本』には別の本のことを書かせてもらったが、わたしが実際に"鬱"であったとき(正確には双極性障害だが)一番読んでいた本は、漫画『闇金ウシジマくん』(真鍋昌平著)だと思う。
前職をやめる直前、動けない日が少しずつ増えていた。もっとも動けている日も精査してみればまったく動けてはおらず、おもにアルコールを摂取することで脳をごまかしてなんとか歩いたり話したりしているような状態だったが……。
動けない日は、朝どうにかこうにか職場に仕事を休むという連絡をしてそのまま横たわってた。午後二時ごろになるとようやく少し動くことができるので、カーテンから洩れ入る日光のあかるさだけの部屋で『闇金ウシジマくん』をすこし読む。そういう生活だった。
『闇金ウシジマくん』にはかなり陰惨で暴力的なエピソードが多い。この漫画をどういう気持ちで読んでいたかというと、アウトローへの憧れや他人の悲惨な人生への物見遊山的な気持ちでは一切なく、限りなく"自分のこと"として何度も何度も読み返していた。
(特にエピソード「テレクラくん」の登場人物・美奈にはかなり感情移入しており、その章は一番読んだかもしれない。ストーリー自体ははっきり言って最悪で嫌いなのだが……。)
かなり露悪的な作品なので、読んでいると現実で嫌だったなとか怖かったなということをどんどん思い出す。それを反芻して、そのときようやく散らかっていたその記憶をひとつ仕舞ってしまえる感じがした。自分のようなぼんやりものというか、薄情な人間にとっては有効なセラピーだったように思う、少なくとも当時はそうだった。
鬱の本にはそういうことを書こうかとも思ったのですが、あまりにもまとまらなかったのでやめました…。
真鍋昌平先生の次作『九条の大罪』も全巻購入しているのですが、いまのところは『ウシジマくん』のほうが好きです。


Blueskyにアカウントを作りました。
あまり使い方がわかっていないけど、いまのところフォローしている人の投稿しか流れてきておらず居心地は良さそうだ。
本当にエックスから人がいなくなったら移行すると思う。短歌の活動もつづけるし、また本も出す予定なのでSNSアカウントがないのはさすがにきびしい…。



妹としてのわたしの葬式は冬に向日葵さんざめく庭で
/湯島はじめ

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