出てゆきたいひとは出てゆく雨後の町あしたは花梨飴のあかるさ

このまえエックスに井上陽水さんの「傘がない」の歌詞について書いたけど、子どもの頃この歌普通に好きじゃなくて、暗いし、なんかずっと言い訳してるし、何度も「君に逢いに行かなくちゃ」って言ってるけどなんだかんだ絶対会いに行かないだろ…と思ってた。
大人になると、ああ、傘がない(比喩)ことあるよね、行きたいのは本当なんだけどさ…みたいに思う。

井上陽水は父が好きだったから聴く機会があった、のだと思う。わたしの懐古趣味(とくに音楽に関して)はセンスの良い両親の影響が大きい。


"人たらし"とか人気者っていわれる人のことをまったく好きになれないでいるときとかに、あー人間向いてね〜と思うけど、その人に関してどうしても腹に据えかねることがあって「わたしはあの人そんな好きじゃないです」と表明したら「実は私も、みんな結構そうだよね」みたいな感じになることもあって、え、怖……と思うので、やっぱり人間向いてね〜って思う。


ひと(人間)のことを好きな人の描くものが好きで、それをわりと手っ取り早く感じられるのが"どうしようもない人"の登場だと思っている。どうしようもない人に対する愛というか、それってどうしようもない人を愛する自分への自己愛みたいなものであることも多少なりともある気はするけど。まあでも多分にそうであったとしても、そもそも人間のことをきちんと積極的に書いている人で本当に人間が嫌いで関わりたくないという人はあまりいない気がする。


見守りカメラというのを設置していてこどもが泣いたりなんだりするとスマホに通知が来るんだけど、最近声を出して笑ったりはしゃぐようになってたまにそれで『泣いています!』と通知が来てかなりかわいい。
こういう"機械の困惑"に昔から弱いです。ネコ型配膳ロボットとかも、ちょっと困らせてみたくなるもんね。



出てゆきたいひとは出てゆく雨後の町あしたは花梨飴のあかるさ
/湯島はじめ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?