遠い祭 冷えきった兄の手がわたしから火を盗んでるから

川にかかる橋を渡って風に髪をおさえるとき、Charaのやさしい歌声をよく思いだす。

中学生のときバス通学をしていたのだけど、いつの間にか定期券の範囲きっちりで乗り降りすることが少なくなった。学校そのものに行かない日も多かったし、行っても今度は家に帰りたくなくて途中のバス停で降りたり、まったく別の路線バスに乗って"なにか"起こらないかな、みたいな、そういう日日を過ごしていた。
わたしの地元の街は川が多くて、だから橋もたくさんあって、学校から家まではそう遠くないのだけど橋を全部で三つ渡る。よくバスを途中下車して歩いて橋を渡った。いつも、いつでも身投げをしそうな気分で、それでも歩いて川をわたることで何らかの感情の整理をしているみたいだった。

当時わたしは歌手のCharaが好きで中古でこつこつCDを買ってはMDに曲を入れて聴いていた。
(だいたいは食事代として家族からもらっていたお金で食べ物を買わずにCDや古本を買い集めていた。)
彼女の有名な曲『やさしい気持ち』や『タイムマシーン』は90年代後半のリリースなので、わたしは"世代"よりは少し若いのだけど、大好きだった。聴くようになったきっかけは、当時インターネット上で仲良くしてくれていた小説書きの方がいて、そのひとが小説のタイトルにCharaの曲名を使っていたことだったと記憶している。

わたしは学校にはずっと行ったり行かなかったりだったけど行けば同級生とは話をしていて、そのときによく聴いている音楽の話になってCharaが好きだと言ったらその場の誰も知らなくて、妙に気まずい空気が流れた。「あの、紅茶のコマーシャルに使われてた曲とか歌ってたんだけど……」みたいなことを言ってもやっぱり誰もわからなくて、その説明をしたことも込みで最悪だったなと思って、ものすごく消えたくなったのを覚えている。地方の小さな、逃げ場の少ない街での失敗は本当の失敗になってしまう感じがした。同世代なかではマイナーなものを知っていて好きだということに優越感のようなものはなくて、それさえも社会にうまく適合できないものの証のように思えた。
そういうことが何度もあってわたしはあまり好きなものの話をしなくなった。
誰に話さなくても当時のわたしは好きな音楽や絵や映画や本をできるだけ摂取しつづけて、とくに好きだったのが橋を歩いて渡るとき、風をうけながら音楽を聴くことだった。Charaのベスト盤『Caramel Milk 』もそういうときよく聴いていた一枚で、いまでも聴けば当時のことをよく思い出す。

そのときからそうなのだけど、橋を歩いて渡るわたしをわたしは俯瞰的視点で見ている。
今、2023年のわたしが近所の橋を歩くときも気を抜くとやっぱり俯瞰になって、そこに中学生のときの自分もいて、邂逅するでもなくお互いがそれぞれのイヤフォンで別の曲を聴きながらすれ違うような感じがすることがある。

橋の上にいるのはCharaのことを同級生に(けっこう勇気を出して)話したことを後悔した中学生のわたしだけで、大学生になって東京へ来てサブカルチャーの話がたくさんできる友だちもできて、『光と私』のMVがこの世で一番いいとかそういうことを話せるようになったわたしではなかった。

実際に川のうえをわたるときでなくても、こういう文章や、ふだん詩歌を書いているときにこの橋によく来る。
中学生のわたしはいっぱいいっぱいなので別にわたしを助けてくれないし、今のわたしから出来ることもとくになにもない。ただ同じ橋にいるだけ。
いつまで居てくれるんだろう、とはときどき思うけど、創作を続けるかぎりはいつでも会えるだろうという気がしている。


おまけ
"一番いいMV"
https://youtu.be/IiURL26fZH8?si=NWRdIUonNg6U0SlL





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