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反面教師の鑑

最近、週一日だけ以前住んでいた町の学習塾で子供たちに勉強を教えている。
自分の復習にもなるし、子供と話せるし、わずかだがバイト代ももらえる。ピンサロで働いていた頃、いろんなちんぽに出会えてお金ももらえてラッキー!と思っていたのと同じ感覚だ。授業とフェラチオを並べて語るおばさんに勉強を教わる子供たちが可哀想である。

バイト先の塾は小規模なので、年齢も教材も進度も違う子たちが同時に授業をうける。
複数の生徒に別々の解説をしながら質問に答え、丸つけし、保護者への報告書を書き、宿題のプリントを用意し、電話対応もする。ぐずって勉強したがらない子がいる時は、その子とのコミュニケーションと他の子への対応を同時進行で進めないといけない。
学校と違い、短期間で結果が出ないと親からクレームが入ることもあるらしい。生徒たちの保護者に会うと、だいたい同世代か年下だ。違う世界線で教育熱心な母親になった自分を見るようで感慨深い。

そんなわけで、各生徒の進捗状況に合わせて授業の準備をするだけでも一苦労だ。
現役の大学生なら予習しなくてもすぐに教えられるだろうが、こちとらその大学生が生まれる前からずっと酒とちんぽのことしか考えてこなかったのだ。脳細胞の死に方に年季が入っている。事前準備がなければとてもついていけない。
ついでに言うと、私は雨の日にちゃんと傘もさせないレベルのシングルタスクである。傘を持つという動作がひとつ増えるだけで、他のことができなくなってしまう。
なので、授業中に頭がパンクしそうになった時は「ウッ!!」と叫んでリズムを刻むようにしている。生徒たちはポカンとしているが、大人だって唐突に「マンボNo.5」を踊りたくなる瞬間があるのだ。
癇癪を起こして勝手にウロウロ歩き始めてしまう子がいても、最低限の課題さえやれたら後は自由にさせている。友達と遊ぶ時間を割いて塾に来た時点で100点なのだからそれでいい。
おかげで、私が担当する授業は(主に先生が)歌ったり笑ったりするのでかなり騒がしい。塾というより学童保育に近いのかもしれない。保護者よりも前に、他の講師たちからクレームが来そうだ。

子供は本当に面白い。何にでも興味を示すし、突然すごい発想をし始める。彼らを見ていると、勉強とはその感受性を保つための筋力をつけることなのかもしれないと感じる。筋力を鍛えておけば、何歳になっても世界は鮮やかなものであり続けるだろう。
彼らの勉強のお手伝いが少しでもできたらいいと思う。

感受性云々はともかくとして、とりあえず私を反面教師にしておけば、まともな大人になれることは間違いない。
知らないおじさんに手マンされてる最中に警察に補導されるような人間だって、こうして毎日楽しく生きているのだ。
君たちの未来は明るいに決まっている。

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