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人と「プール」を共有すること

年末に心の調子を崩して、仕事を休んでから、相変わらず僕のメンタルは行ったり来たりしている。
音楽を聴いたり、美味しいものを食べたり、人とお酒を呑み交わしたり、楽しい出来事の中に悦びを感じるどこかで、空虚が急にやってきて台無しにすることもあるのだが、大抵は楽しい時間になると思ってるから、家でゴロゴロするよりかは、積極的に外に出て色々な事を体験するように努めている。

普段なら平日の帯で、デスクワーク&リモートワーク中心のサラリーマンをしているので、平日の昼間から外に出るという行為自体に新鮮さを感じる。街に人が少ないと、街の人と目が合いやすい。満員電車やコンコースを押し合いへし合いしている時より、その人と「同じ時間を共有している」という感覚が強くなる。
何故だか、人が沢山いる通勤ラッシュの駅や、眠らない繁華街よりも、空虚が生まれにくい感じがする。



空間認識って、空っぽのプールをロープで区切る行為と同じ事だと聞いたことがある。レーンとレーンを区切る、あのロープ。
ひとつの空間に私とあなたしかいなかったら、その間にひとつのロープが必要で、そうする事で個々を認識できる。
別の人が現れれば、新たなロープを使ってその人の分の空間を分けてあげる必要がある。当然、ひとりあたりのプールの面積も狭まる。
そうやってどんどん空間をロープで区切っていって、ひとつのプールをシェアしていくのだ。


ようは、家の外は大体狭い。
特に平日の朝は狭い。
休日のテーマパークも狭い。
狭ければ狭いほど、全てのヒトモノは粒のように小さくなっていき、「ただ、僕の空間を狭くするモノ」として認識される。

それに比べて、平日の昼の広いこと!
お互いを認識する広さが確保されているから、相手のことを気遣う余裕が生まれるし、相手のことをもっと「想像」してみようかな、という気分になる。
この「人のことを想像できるぐらいの『広さ』」の確保が僕の生きる潤いになっている気がする。



繁華街に向かう電車、僕の斜向かいに座ってきた、ウルトラライトダウンの似合う角刈りのエアフォース1。剃り上げてきたばかりのもみあげと、前傾姿勢がよく似合う風貌だ。
手荷物らしきものは、何故かパンパンのjohn masters organicの紙袋ひとつ。


彼は一体どこに向かい、どういう感情を体験して、この電車に戻ってくるのだろうか。
金曜日の16:55、大学でいえば4限が終わって間もない。バイトのシフトがあるのであれば、駅前の山内農場にでも居そうな、ちゃんとお腹から声が出せそうなタイプだが、それにしても前傾姿勢だし、女性の喜びようなオーガニック化粧品(らしき何か)も気になる。
誰かと会って美味しいお酒を飲むのだろうか、楽しい話をするのだろうか、あるいはシリアスな話があるのだろうか。
紙袋の中身は、今日、日の目を浴びることになるのだろうか…

ふと彼と目が合った時、僕に向けられた強い眼差しは、「俺はこれから勝負に出る男だ」という強い自負を表したのか、あるいはただの一瞥に過ぎなかったのか…

妄想は良き所で留めておくのも、彼をプールからはじき出さないための大切な心得だ。


金曜日の夕方、電車にはどんどん人が増え、僕のプールも一気に狭くなる。
本当の意味で、人と目が合うのは、今日はもうおしまいになりそうだ。

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