見出し画像

二宮翁夜話 巻之一、第十三節 倹約とケチの違い

自分の勉強も兼ねて、二宮翁夜話についての不定期投稿。ニワカのやることなので、読み間違いなどありましたら、ご指摘いただけると助かります。

・最初に

少し前にNHKの「偉人の年収」という番組で、二宮尊徳の財産に言及していました。晩年の資産は、現在の価値に換算して、5億円にもなったとか。

・抄訳

世の中には不慮の変事が起こるものであるから、国には備えが必要である。
家も同じで、いざというときの余裕がなければ、保つことができない。

人は、私の教えを倹約ばかりだというが、単に倹約するのではなく、いざというときの備えを作っているのである。

また人は、私の道を蓄財だと言うが、単に金をためているのではなく、社会に役立てる資金を作るのである。

古語に
「食費を節約して祭祀にあて、普段着を質素にして礼服を整え、宮殿を簡素にして水路を作る」
とある。
これを吟味すれば、ケチと倹約の違いがわかるだろう。

・感想

尊徳にとって、単に貯めるだけの倹約や蓄財には意味がなく、その金で何を為すかが重要だったと言えます。

尊徳は、節約して貯めた金をあちこちの開発や復興のために貸し出していました。開発に成功すれば、金が戻ってくる。戻ってきて増えた金をまた開発に貸し出す。

最初に書いた5億円も、実際には手元には無かったようです。
あとの四十二節で
「元金の増加するを徳とせず、貸付高の増加するを徳とするなり」
と言っていますが、増えた分だけ貸し出しを増やしていたわけです。
名目としては5億円でも、大半は復興のために貸し出されている最中。
自分の財産と言うよりも、社会の財産ですね。

こんなところまでは難しいとしても、せめて無駄遣いを減らし、使い所を考えるところだけでも真似したいものです。

・原文

翁曰(いわく)、世の中に事なしといへども、変なき事あたはず、是(これ)恐るべきの第一なり、 変ありといへども、是を補ふの道あれば、変なきが如し、変ありて是を補ふ事あたはざれば、大変に至る、古語に、三年の貯蓄(タクハヘ)なければ国にあらず、と云(いえ)り、兵隊ありといへども、武具軍用備らざればすべきやうなし、只国のみにあらず、家も又然り、 夫(それ)万(ヨロヅ)の事有余(ユフヨ)無(ナケ)れば、必(かならず)差支へ出来(いでき)て家を保つ事能はず、然るをいはんや、国天下をや、人は云ふ、我が教(オシヘ)、倹約を専らにすと、倹約を専らとするにあらず、変に備(ソナヘ)んが爲なり、人は云ふ、我道、積財を勤むと、積財を勤(つとむ)るにあらず、世を救ひ世を開かんが爲なり、 古語に、 飲食を薄うして 孝を鬼神(キジン)に致し、衣服を悪(アシ)うして美を黻冕(フツベン)に致し、宮室を卑(イヤシウ)して力を溝洫(コウイキ<ママ>)に尽すと、 能々(よくよく)此理を玩味せば、吝(リン)か倹か弁を待(また)ずして明かなるべし  

 * 黻冕(フツベン)=礼服の、ひざかけとかんむり。 
  * 溝洫(コウイキ)=「コウイキ」とあるが、漢和辞典によれば、「コウキョク」である。田間の溝。<ママ>は引用者が付けたもの。  
  * 古語=『論語』(泰伯篇)にある孔子の言葉をさす。「菲飮食而致孝乎鬼神、惡衣服而致美乎黻冕、卑宮室而盡力乎溝洫。」

小さな資料室

八起堂治療院ホームページ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?