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ベテランに気圧される春

師匠がアートフェアに招待参加する

来月5月16日~19日に、香港で「第一回香港国際ARアートフェア」が開催される。

通常、アーティストは公募から参加するのだが、私の師匠は、なんと「招待参加」。

つまり、師匠は"特別枠"でアートフェアに参加する。

そこで、来月は、師匠について、私も香港のARアートフェアに同行させていただくことになった。

師匠の背中

師匠「お前、香港のアートフェアに向けて、作品作っとけ!」

ひいいいいいいいいいいいい!!

突然"降ってきた"師匠の無茶ぶり。

アートフェア自体、行くの初めてなんだけど…

でも、冷静に考えれば、師匠のいうことは、ごもっともだ。

参加するのは師匠だけど、私は師匠の弟子であり、アーティストだ。

アーティストがアートフェアに行くのに、手ぶらで行くわけにはいかない。

しかも、今回は、記念すべき「第一回目」の香港ARアートフェア。

「第一回目」ともあって、香港の運営も相当気合いが入っているだろう。

そして、舞台は中国。

師匠いわく、「中国はメンツの国」だという。

師匠とやりとりをしている香港の担当の方は、深夜をすぎても、メッセージを送ってくる。

香港でも、目まぐるしく準備が進められているらしい。

もしかしたら、師匠の担当のかたは、私と同い年くらいかもしれない。

異国の地で、必死に働いているひともいるんだ。

師匠のおっしゃる通り、私も作品を作らなければ!

お前、足りねえんだよ!!

実は、バリ島から帰ってから、既にニホンカモシカの絵をPC上で完成させている。

きちんとARもつけて、動作も確認した。

しかし、先日、京都市京セラ美術館で開催された、
村上隆氏の個展『村上隆 もののけ京都』を見に行ったときのこと。

私は村上氏の作品たちから、こう言われた気がした。

「お前、足りねえんだよ!!!!」

ひいいいいいいいいいいいいい!!

ベテランの気迫に、すっかり気圧された。

村上隆氏は、30年以上、世界で活躍する現代アート作家だ。
つまり、現代アート界では、トップランナー。

ちょうど、村上氏は私の師匠と歳が近く、
現代アートのキャリアをスタートさせたのも、師匠と同時期くらいだ。

私も村上氏の著書を読んだことがある。

しかし、実際に村上氏の作品を見るのは、生まれて初めてだった。

村上隆氏作、鬼のオブジェ

村上隆氏は、漫画やアニメといったポピュラーカルチャーを扱ってきた。

そのため、ポップな印象の作風が多い。

村上氏の著書を読んだときに、私が抱いた村上氏の印象は、
「生真面目な仕事人」であった。

真面目に、タフに、お仕事をされてきた方だと思う。

でも、村上氏はこれまで、日本国内で批判的な評価を受け続けてきたという。

師匠もアート活動を始めた当初は、周囲から非難ごうごうだったらしい。

師匠や村上氏がアートをはじめたときは、まだまだ、日本で「現代アート」の理解がなかったのだろう。

そんなシビアな世界で戦ってきた村上氏の作品を、生で見れるのは、とても光栄なことであった。

さて、どんな具合だろうと、展示会場に入ると、早速、気迫に押されてしまった。

入り口で出迎えてくれたのは、全長12メートルにおよぶ、『洛中洛外図』だった。

絵の印象は、ポップで、ユーモラス。

なのに、絵の端から端まで、余すことなく「スキ」がない。

隅々まで、計算し尽くされている。

ちょうど、京都に来る前日に、ニホンカモシカの絵を完成させたばかりだったから、
村上氏の絵が、どれほど作り込まれているかが、よく分かった。

ただし、絵の精度がすばらしいだけではない。

全ての作品が、膨大なリサーチの上に成り立っているのだ。

また、村上氏は、工房制を採用している。

大勢の人を指揮して、いくつもよ大型作品を制作しているのだ。

つまり、制作において、多くのひとを束ねる、"タフなマネジメント力"も持ち合わせていなければいけない。

この人は、自分の伝えたいことを伝えきるため、命を懸けているんだ…。

ベテランの気迫を感じた。

と同時に、私は自分の至らなさを痛感させられた。

なんとか、ニホンカモシカの絵を描いてみたけれど、
やっぱり、足りない。

私はこれから、海外へとアート活動を広げていかなければいけない。

私の作品を見る方たちは、私と全く異なる文化で育ち、言葉も、見た目も、価値観も違う。

そんなひとたちに向けて、作品を提示して、認めてもらわないといけない。

そのシビアさをバリ島で実感した直後だからこそ、
自分の作品が「足りない」ことがよく分かる。

バリのARMA美術館に飾ってあった作品

今のままでは、伝えたいことを、伝え切れている自信がない。

構成からやり直さないと!

香港って、どんな場所?

そう思って、まずは、香港のARアートフェアに向けて、調べ物をした。

まず、香港は「アート・バーゼル」が開催されるほど、現代アートにとってゆかりのある場所だ。

香港の「アート・バーゼル」とは、アジア太平洋地域の芸術作品を広く紹介する、世界規模のアートフェアーである。

今回は、そんな国際的なアート市場をもつ香港で、
第一回目の「国際ARアートフェア」が開催される。

私はあまりにも世情に疎いため、まず、香港がどういう土地か分からない。

なんで香港でアートフェアが行われるんだ??
さっぱり、分からん…。

ということで、早速、香港の歴史について、ざっくり調べてみた。

香港とは、中華人民共和国の南部にある特別行政区である。

香港は、東京、ロンドン、ニューヨーク、シンガポール、上海と並ぶ世界都市の一つであり、
世界的に重要な国際金融センターとなっている。

今は、中華人民共和国の特別行政区であるが、150年以上にわたって、イギリスの植民地だった。

香港島は、アヘン戦争で1842年に、
九竜市は、アロー戦争で1860年に英国に割譲された。

その他の新界は99年間の期限で、1898年に租借。

香港は長きにわたるイギリスの植民統治下において、
自由貿易地域として繁栄してきた。

そして、1997年7月1日に、香港は、正式にイギリスから中華人民共和国に主権を移譲された。

問われるアイデンティティ

香港の歴史をざっと調べただけでも、
日本の地方でぬくぬくと育った私には想像できないような、シビアな世界だなと思った。

特に、19世紀以降、香港はイギリスと中国の間で揉まれ、
わずか3年ではあるが、日本の統治下におかれたこともある。

1997年7月1日に香港の主権がイギリスから中華人民共和国に移譲されると、
イギリス軍に代わって、人民解放軍部隊が香港に進駐した。

これまでの英語、広東語とともに、普通話(標準中国語)も香港の実質的公用語となり、学校でも教えられるようになったとか。

また、イギリスの植民地統治下では表現の自由がほぼ保障されていたが、
主権移譲後は、中華人民共和国の中央政府によって、言論統制が行われた。

また、選挙への露骨な干渉が行われて、市民の不満が鬱積するようになる。

香港の主権が譲渡されたときは、師匠いわく、当時は「大変な騒ぎ」だったらしい。

自分の住んでいる地域の主権が移る、といった経験は、
日本で生まれ育った私には想像しがたい。

ただ、香港は、中国大陸と諸外国間の中継貿易港として発展し、
金融、商業、観光都市となっていった場所だ。

私は今、田舎に住んでいるので、日本にいると、海外の方とお話する機会はめったにない。

しかし、香港では、あたり前にいろんな国のひとが出入りしているのだろう。

私が親しんできたものとは、全く違う世界だ。

また、私はごくあたり前に、自分は日本人だと思い、
日本人として何の疑問ももたず生きてきた。

しかし、香港に住んでいる方は、違うのかもしれない。

世論調査機関、香港民意研究所の調査によれば、
2020年6月時点で、自らを「香港人」と捉える香港市民は50.5%だった。

この数字は、中国人と考える12.6%を大きく上回り、
18~29歳に限っては、81%が「香港人」と答えた。

自分は、いったい、何人なんだ?

日本に住んでいて、この問いについて、私は考えたことがない。

しかし、香港に住んでいる方は違う。

主権の移動、中国の言論統制、自分が実際に見聞きする出来事とのギャップ…

きっと、香港に住んでいる人は、私よりも、「自身のアイデンティティ」について考える時間が多いだろう。

そんな複雑な歴史背景を抱えながら、「アイデンティティ」を問われる場所に、
私は、アーティストとして行かなくてはいけない。

私の作品『I gaze at you』

アートは、「自身のアイデンティティ」を出していかなくてはいけない場所だ。

私は、香港に行ったら、こう問われるだろう。

「ところで、お前、誰だよ」

そのとき、この問いに対して、私は作品で答えなくてはいけない。

そして、香港のアートフェアには、世界各国からアート関係者、要人、つまり、ギャラリストやアートエージェント、美術館関係者が集まるだろう。

適当な答えでは、満足していただけない方たちだ。

師匠と村上氏の作品が頭に浮かぶ。

お二人は、作品で伝えたいことを伝えるために、死力をつくしている。

きええええええええええええええい!

足りない!

今の自分の作品のままでは、足りない!

もっと詰めていかないと。

そう思って、今、必死に構成を練り直している。

どうやら、再び、眠れぬ夜が続きそうだ。

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