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「警察に被害届を出すことは難しい」性被害への対応とPTSDに対する無理解。そして障害者差別。

ここのところ、凹んでいました。
違います。怒っていました。怒りがどうしようもなかった。

芸人の性加害報道から「被害が事実なら警察に行け」と言う性被害に遭ったことのない人たちからの声がたくさん上がった。
まるで「被害事実が無いから警察に訴えなかったのだろう」とでも言うかのように。「本当に事実なら警察に行け!」と。

でも、被害届を出すことは、実際には非常に困難です。

証拠について、また、みなさんに考えてほしいことについて。
この記事を読んでほしい。

ちなみに、批判するわけではないけれども。
裁判で勝訴されたあとに、五ノ井さんが、「何事にも、被害を訴えるにも順序がある。それを守るのが道理だ」みたいなことをTwitter(現X)で投稿されていましたが、それはあまりに正しくて、まさに「社会の望む正しい性被害者」だと眩しく感じました。
個人的にはその言葉にとても追い詰められた。
そうできたらどんなに良かったことだろうか、と。
そうできない、できなかった性被害者たちを断罪するかのように感じる言葉だった。
彼女はたまたまそうできた。それがあるべき姿であると彼女は信じているし、それで自身の裁判も勝訴で終えられたから、そう言うことができる。
類まれない精神力を持っていたのか、彼女のメンタルは分からないけれど、正攻法で闘い、勝てたことで「こうあるべきだ」と言うことは、してほしくなかったです。

Xでの五ノ井里奈さんの2024年1月10日の投稿にハココが思うこと

■ハココは被害届を出せなかった

わたしは、15年前に被害に遭って、警察に被害届を出したいと申し出ました。
それを「被害届を出すのなら管轄に行ってくれ」と言われました。
受付でそう言われて、後ろにいるみなさんが頷くのを見て、都内と千葉県に管轄となっていたわたしは、埼玉県某所からあまりに遠いため、その移動に耐えられないため「管轄には行けないや……」と引き下がってしまった。

そんなこんな「そのときの動画をネットに流されたくなければ」という脅迫メールを受けて以降、悪化の一途を辿っていたメンタルは、その内に限界を迎え、精神科に保護入院になってしまった。そのままに三ヶ月とかを入院。

そのあとも「管轄に行かなければ、被害届は出せないんだもんね……」と、被害届を出したかった思いを、受付で門前払いされた「管轄に行け」の言葉で諦めなければならないのだと、何とか、飲み込まなければと思った。
できないのだから仕方ない。
理不尽に思いつつも、被害届以外の自分のメンタルが壊れないためにできることだと、そのときそのときに考えたことをしてきた。

いろんな間違いをしてきた。
性的な自傷行為だとか、それらもよくわからないままに「トラウマの再演」の状態を繰り返していたのだと、最近知った。
精神科の医師でも心理士なく、ネットで繋がった性被害者さんたちに教えてもらう、そんな形で。

そんな中で、2月2日の真夜中だった。
ふとしたきっかけで、確か「芸人M氏の性加害報道で、ある被害者の女性が時効後に被害届を出した」みたいな記事を見て、そんなこともできるんだ、と。「じゃあ、わたしも今からでもできるかな?」そんな疑問を、ネット検索していたときだ。

時効が過ぎたと思っていたけれど、今の司法なら「公訴時効前」だと知り、一気に希望を抱く(これは少し間違っていたけど)。
でも、ネックになっているのは、やはり「管轄に行くことが難しい(現在は無理)」ということだった。

しかし。
いろんなサイトを見る中で「管轄外だからと被害届を受け取らないのは正しい対応ではない」「被害届はどこでも出せる」ということを知ってしまった。

絶句。

わたしは「諦める必要の無いこと」を「諦めさせられた」と感じた。
泣く泣く諦めた。それに、そのせいで未だに苦しんでいる。

加害者がわからないせいで、やめられないことがある(被害時の動画をネットに流すと脅されたから、ずっとその動画を探し続けている)。

警察の対応が不適切だったせいだ。余計に苦しむことになった。
オカシイじゃないか!

それから、わたしはいろんなことを調べた。
被害届を出していたら、どうなっていたのか。
被害者支援制度。被害者給付金。
それらを受けられていたら、こんなにも拗れていなかっただろうことに「怒り」が湧く。
被害届を今から出すことができるのかも調べた。

わたしの被害は、法改正前で『親告罪』のときでもあり、『強姦罪』であるとしたら法改正の年に公訴時効を迎えてしまう。
でも、判例として、その被害によって『PTSD(心的外傷後ストレス障害)』を負ったとして『強姦致傷罪』が適用されたものがある。
わたしの被害もそうであって良いはずだ。
わたしは診断書に「性被害によるPTSD」と明記されたことがある。

尚且つ「過去の事件で証拠もない。被害届を出すことは可能か? 意味があるのか?」という質問に「証拠がなくても出せる。過去の被害でも出せる。公訴時効が過ぎても相談だって出来る。被害に遭った事実を警察に知らせることで他の被害を防げる可能性もある。だから、その被害届には意味がある」との答えを、他県の警察のHPに見つけたのだ。

わたしは、今からでも被害届が出せるはずだ。

でも、被害者救済制度は被害時から3年以内に申告しなければならない。そんな文言を見て、また「怒り」が湧く。

警察を憎んだ。心底憎んだ。

■被害届へのリベンジ

翌日の3日、わたしは警察に行った。被害届を出したいと。

受付で「15年前の性被害の被害届を出したい」そう言ったら、聞き取りをしてくれた(形だけと言った形のだけれども)。

私は夜中にA4の用紙3枚にまとめた概要を渡して話をした。
(ちなみに、私が話している間に、自宅にいる母に信憑性があるのかを確認しに警察官が言ったらしい)

そうして、結局のところ「証拠がない」から被害届は作れないと言われた。

「証拠とは何ですか?」と聞いた。

その時のメールとか、加害者の名前とか、加害者のメールアドレスとか、写真とか、被害に遭った場所の建物の名前とか、そう言われた。

「無いです」と答えたら、「だから無理なんですよ」と。

それまでに何度も説明していた。

被害後の混乱の中で消してしまったこと。
証拠があったときにな受け付けてもくれなかったのは警察であること。
そのせいでとんだ損害を受けたこと。

ねえ、どうしてこんな酷いことが許されるの?

わたしの被害届を門前払いしたのには、一応警察にしてみれば「正当な」理由があったのだろう。

母に聞いたのだが、わたしに精神疾患(解離性障害だが)があるから「妄想の可能性がある」として、「今は混乱もあるでしょうし、落ち着いてから管轄に行ってください」と言ったらしい。

わたしは初耳だったが、それは障害者差別に他ならなかった。

精神疾患なら妄想でものを言うだろう。そんな思い込み。『解離性障害』をどんな疾患だと思ってそう言ったのだろうか。

警察の、聴取をしたのは「交通課」の30歳前後の男性警官だった。

真摯な対応を装った、体のいい「追い払い」に感じた。

(警官)
証拠を捨ててしまったのはあなたの責任です。
被害届を出したいと、こちらの署には一度しか来なかったんですか?
管轄に行けと言われて行かなかったのは、あなたにとってその程度のことだったのではないですか?
電話で管轄の署に確認はしたのですか?
してない? どうしてしてないんですかあ?

(わたし)
「管轄に行かなければいけない」と言われたから、意気消沈してしまって、その後は体調がずーっと悪かったんです。
そんな混乱の中で消してしまった証拠だって、あなた達が門前払いさえしなければ違う結果だった可能性が高いでしょう!?

(警官)
それは当時の職員もいませんし、わかりません。
違う結果になったかだってわからないでしょう?
当時の警官の名前は何ですか?

(わたし)
受付で、みなさんに門前払いをされたと申しております!

(警官)
そーおですかー。
そう仰るなら、そうだったのかもしれないですね。
でも例えば、今からだって綾瀬に行って建物はここだって自分で特定するとか、柏の住宅街はここだったって見つけるとか、したら良いんじゃないですかねえ。
そうしたら信憑性が高まりますよ?

(わたし)
私は、現在電車に乗れません。
それに、生活はギリッギリです。
経済面にそんな余裕はありません。

(警官)
電車に乗れなくても、タクシーとかあるじゃないですか。

唖然とした。
ギリギリの生活だといったのに、タクシーで埼玉県から都内へ、そして千葉県まで、出向いて自分で探して来いと?
両方を一往復しても何万では済まない出費だろうに。

(わたし)
ご飯も食べないで電気も止めてそれをしろってことですか?

(警官)
そんなことは言ってないですよ(笑)。

(わたし)
何万の出費を、今ですらギリギリの生活の中で出したらそうなりますよね?そんなことも分からないんですか?

(警官)
じゃあ別の方法にしたらいいんじゃないですかねー?

(わたし)
柏市まで行く方法が他にありますか?

(警官
それはあなたが自分で考えるべきとじゃないですか?
どうして私が考えなければならないんですか?
少しくらい自分でやりましょうよ。
なんでもかんでもやって下さいって、ずいぶんとわがままじゃないですか?
そんなこと言う人を誰も助けてはくれないですよ。
(呆れたと言わんばかりに笑いながら)

(わたし)
わたしは他に方法が無いから聞いています。
無いですよね? 無いんですよ!

(警官)
知りませんよ。
探してみたらどうですか?
行かないのはあなたの勝手で、それまでの気持ちということでしょうし。
とにかく、今の状況では証拠は何も無いですし、あなたの話だけを鵜呑みにして、被害届なんて作れませんよ。

(わたし)
それは加害事実の否定ですか?
また妄想だと思われてます?

(警官)
そんなことはありませんよ。
だからこうしてちゃんとお話を聞いてるんじゃないですかー。

(わたし)
わたしは馬鹿にされていると感じます。

(警察)
そんなつもりはないんですけど……。
だって、ほら話聞いてるじゃないですかー。

(わたし)
事実を否定していないなら、なぜ被害届を制作してくれないんですか?

(警察)
証拠がないからです。

(わたし)
つまり、信じてらっしゃらない?

(警察)
そんなことはありません。

(わたし)
なら、なぜですか?

(警察)
証拠がないからです。

(このとき、部屋の外にいた年配の男性警官が「埒が明かねえわ」と呆れたように言った)

(わたし)
私は、性被害によるPTSDと診断書に書かれていました。それは状況証拠になったりもしませんか?

(警察)
そんなものがあるなら持ってきて下さい。
でも、そんなことを医師が書きますかねえ。
なかなかお医者さんたち、そんな風に書かないですよお?

(わたし)
書いてあります!
書いてある診断書があれば、考えてくれますか?

(警察)
まあ、本当に書いてあるならですよねえ。
本当に書いてあるなら、持ってきて下さい。
話はそれからですね。

(わたし)
告訴できなくても良いから、被害届を、とにかく出したい。
それも叶いませんか?

(警官)
告訴できなくても良いって……。
加害者捕まえて罰するために出すんじゃないの?
え? それで何のために出すの?

(わたし)
被害届を出さないと加害者について調べて頂けないでしょう?
わたしはどうしても本人に確認したいことがあるんです。
わたしが困っていること、被害時の動画について脅されたこと、言ったじゃないですか。

(警察)
はあ。まあ、でも、今は無理ですよ。

わたしも埒が明かないと、一旦帰ることにした。

怒りでいっぱいで、惨めで、この対応は監査室とかに苦情申出書とか出せばいいんですかねえ……とか言ってしまった。

諦めきれなかった。

受けられたはずの支援は、私の加害を妄想だと決めつけて門前払いしたヤツのせいで受けられず、病状は余計に悪化した!
わたしの人生を大きく左右したあのときことは、全てあの一言のせいだったのに!

性被害の被害届は証拠がなくても出す価値がある。
他県の署で書いているとこがいくつかあったことも最後に確認した。
それは表向きの言葉ですよ。とあしらわれた。

「後で、調べて、折り返しますから、待っててくれます?」って、誠意の感じられない対応しかされていなかったからとても信じられなかった。

(わたし)
本当に? 本当なんですか? とても信じられない!

(警察)
あなたねえ、私たちはやれることをやって、こういうことをしたらどうですかって、アドバイスもしてますよね?
それを? あなたは? あれも無理、これもできない?
私達に全部やらせて自分は何もしないで、あーしてこーしてって何ですか、それ?

(わたし)
電車に乗れないのは、被害のせいですよ?
現在の生活がギリギリなのもそうてすよ?
それでも、それらはわたしのわがままだっていうんですか?
どうしてそんな風な解釈になるんですか?

(警察)
でも、でもねえ……。なんの協力もして頂けないとなると、こちらも困りますし。
私たちはこうしたらいいんじゃないですかって、いろいろアドバイスもしてるのに、あなたは難癖つけて突っぱねて。

(わたし)
そうですね!
あなた(交通課の男性警官)は的外れなアドバイスばかりして下さいますね!

(警察)
は? 的はずれなアドバイスしかしてくれないとか感じるようなところに何かしてくれってとか相談に来る、あなたこそおかしいんじゃないですか?

(警察)
とにかく、ね。私たちも、急には何もわかんないから。話聞いたし、調べたりして、折り返すから、待ってて、ね。
(これを言ったのは、埒が明かねえやと呆れていた年配の警官だったから、信用できなかった)

(わたし)
何もしてくれないってことだったりしますか?

(警察)
そんなこと言ってないでしょう? おうち帰って、待ってて、ね。

このときの絶望的な気持ち。
怒りで脳が爆発してしまいそうで、警察を心底憎んだ。

帰れるわけがなかった。
このまま帰っても、私は怒りでおかしくなる。
署から出るとき、何度か相談に来ているが、初めて私に付き添いがいなかった。
疎まれているんだと感じた。

市内をぶらぶらと3時間、しゃくりあげて泣きながら歩いた。
死んでしまいたい。もう頑張れない。
もう嫌だ。もう嫌だ。もう嫌だ。もう嫌だ。

けど、死ぬわけにもいかない。

せっかく、3ヶ月粘って、ゴリ押しで、福祉課さんがあり得ないくらい協力してくれて、私の疾患の本を読んだりまでしてくれて、そうやって探した治療先。
ようやくそれが実を結びそうで。

でも、でも。
もう嫌だ。悔しい。
許せない。許せない。許したくない。

わたしの、わたしの15年を返してよ。

お前らのせいで余計に悪化した。
お前らのせいで多くを失った。
お前らのせいで、たくさん諦めた。
お前ら警察の不誠実な対応のせいで。

歩いて、歩いて、わたしは、はじめて人を頼った。

私にとって一番頼れるかもしれない、父親。父親のアパートに行って、泣いた。

父は自分が話してくると言った。
けど、父のことを悪く言われるのが怖くなった。
そうしたら父は、まずママと話そうか。そう言って、一緒に歩いて母とわたしの自宅に向かってくれた。

道を渡るとき、車がから守るように手を引いてくれた。
わたしはそのゴツゴツした手をギュッと握り返して、泣きながら取り留めなく話していた。

この3ヶ月、何度も父に助言をもらいたいと思った。
何度も助けてほしいと思った。
けど、迷惑をかけたくなかった。

さっきの警察の話とこの3カ月と、時系列もバラバラに、取り留めなく話す。
泣いている良い大人の娘の手を引いて歩くことを、父は全く嫌がらなかった。そのままに自宅まで歩いた。

そして自宅を目前に、父は優しい声で答えてくれた。

ハココは、とりあえず、ものすごく頑張った! 頑張ったよ。

力強く、父は言った。誰よりも、父にそう言われたかったのだと、その一言で気付く。

わたしは父の話を聞いた。

言葉の機微というか、そういうのがわからないヒトもたくさんいるし、こちらの事情がよくわからないから、そうやってマニュエル的な答えをするんだろうな。
あと、ハココは間違いは言ってないな。
けど上手く会話にはならなかったなあ。

「ハココは傷ついたんだよ」

父のその言葉をわたしは瞬時に否定した。

違う。怒ってるだけ。納得できないだけ。事実の三段論法的に、あり得ない答えが返ってきたり、なんでか全然話が通じない。
私がダメなの? 精神疾患だから話を聞いてもらえないの?

いや、だからつまりは「傷ついた」んだよ。
ハココは頑張らなきゃって、すごく頑張ってるから、傷ついたのを感じられないんだよ。

理不尽だよなあ。本当にこの国は理不尽だらけだ。国のトップもなあ……。
パパも前に福祉課で何度もやり合ったよ。行く度に言うことが変わるしな。ときには、前に相談に来た記録もないとか言われてさ。
理不尽だなあ。理不尽だ!
けど、福祉課の人、今、ハココのために頑張ってくれてるんだろ?
それは、ハココの置かれている状況を理解して、それはハココが頑張って伝えたからで、そしてハココが頑張ってたから、自分も頑張ってあげたいって、ハココが思わせたんだよ。
だから、まず。

「ハココ、よく頑張ったな。頑張った!」

それから、色々話した。

そして「自分が傷ついた」と、そんな気がしてきたとき、少し楽になった。

けど、どうしようもないことが、どうしようもなくて、どうそようもない気持ちがどうにもならなくて、月曜日が遠すぎる。
わたしは泣き続けた。

(月曜日になれば、法テラスに電話することや、市の窓口に行くことや、警察相談にも警察の被害者相談にも、性被害のホットラインにも電話を掛けることができて、何か違う答えがあるかも知れなかったから、月曜日をとにかく待とうと思っていた)

どうしようもない。わかるよ。よくわかる。

私は父が経験しただろうそれを思った。
圧倒的な深さを持って放たれた、よくわかる。という言葉は、わたしの大嫌いな「わかる」とは違った。

背景が見えるから、どう「わかる」のかが浮かんでくるのだ。

そして父は静かに言った。

ハココは俺に似ちまったなあ……。頑張りきってから上に上げるんだな。
何もできることがなくなるまで独りで頑張るんだな。

そこには、いろんな思いが見えた。

そして、わたしがこの件を進めるか進めないかは、わたしだけでは絶対にどうにもならないことなのはわたしもわかっているのだし、と。
父は味方を頼りなさいと行った。専門家を頼りなさい。福祉、医師、心理士、相談機関、そういう人と警察のこともやりなさい、と。

わかってる。月曜日になれば、それが少しだけできる。
けど、月曜日までどうやったら待てるのかわからない。
月曜日を迎える方法がわからない……。

わたしはずっと泣いていた。4時間以上を泣いていて目が痛かった。

どうしたらいいんだろう。

それから、警察の対応についてもう一度話している内に、
わたしはふと、気づいた。

もしや、ものすごく面倒だから、話なんか聞いてもらえてすらいなかったのか?

父は、恐らくそうだろうね、と。
だから、周囲の専門家を頼りなさい、と。

そのとき、急に冷めた。
ハメられた!
怒り狂わされて、そらオカシイ奴だと、怒らせて帰らせて、一丁あがり!
ってこと?
くそ!悔しすぎる!

わたしの両親は、今ですら、こんなに大きな子供の親をしてくれている。
わたしはこの年でようやく、親に心からの信頼を起けるようになった。
幼い頃すらできなかったこと。出来なくさせた原因は何だったのだろう。


最後に、わたしの被害の概要というか、一応それを書いておこうと思う。(私がどこに住んでいるのかを明かすことになるから地元がどこかは書かない。だけど、余りに酷い対応だったから、どの辺かだけは書いておく)

埼玉県の某市だ。

私は、これらは警察の職務怠慢であると考える。
精神障害者への差別であり、性被害を軽視した態度であったし、PTSDのことについてもあまりに無理解が過ぎた。

私は平成21年に被害に遭った。5月のことだ。千葉県(柏市の住宅街)で保護され、被害は都内(綾瀬/五反野駅付近)で始まった。

内容は事件として扱うべきものだ。
綾瀬は『強姦』。
柏は『監禁強姦』。

当時、被害届を出したいと行ったときに取り合ってさえくれれば、提示できた証拠は多い。

それに、被害届を出すことができたなら、捜査等に協力すること、被害の地に赴くこともできただろうに、と思う(タラレバかもしれないが)。

その上に、柏の方の加害者は、明らかにヤバイ。
(わたしを連れ去るきっかけが、わたしのことを“買った”ことで、わたしを女子高生だと思ったからそうしたのだ。他にもヤバい事柄がある)

【提示できた証拠たち】
綾瀬の加害者のSNSのアカウント。メールアドレス。脅迫メール。
柏の加害者からわたしの自宅に送られてきた、わたしの荷物をまとめた小包。
その人物から送られてきたとみられる、わたしの友人たちへの「自分はハココの友達でいまハココはうちにいる。心配いらない」等の不審なメール。
監禁時に買い与えられた服。紫のワンピース。黒い上着。下着。
保護された場所や状況についての情報。保護してくれた人の話。
加害者個人を特定し得る、わたしの体内にあった「誰か」の「体液」。
加害者に渡されたお札にはもしかしたら指紋あったかもしれない。
その他、わたしが覚えている事柄(民家の間取りや外観の特徴)から、監禁場所は絶対に特定できたし、そうすれば加害者も特定できた。


こんなに悔しいことがあるのかと本当に本当に、警察の対応が許せない。

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