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伊丹十三のこと 1  とんがったアゴ系列の伊丹十三の顔


人の顔にはいくつかの系列がある。50年以上前のことだが、小学校に入って、何百人もの顔を見た時、兄弟でもないのに似たような顔があることに気が付いた。

その後、中学や高校に入ると、顔のサンプルがおのずと増えて、この顔はあの人に似ているとか系統別に分類するようになっていた。街中で見かける知らない人の顔も、大抵、誰それの系列と分類できた。

それからの私は、初対面の人を見ると、ああ、この人はあの系列の顔だ、と思いながら、生きてきた。

時には系列に分類できない顔もあった。そういう顔に遭遇すると、昔はパニックに陥った。でもそのうち、どーでもよくなった。どーでもよくなった頃に、伊丹十三が、映画監督になってヒットを飛ばしだした。


伊丹十三というのは、身長が180センチあって、天然パーマでとがった顎に特徴のあるおしゃれなおじさんだった。映画監督の伊丹万作の息子で、商業デザイナーをやったり、俳優をやったり、エッセイを書いたり、料理通だったりして、50歳を過ぎてから映画監督をやった人だ。

若い頃の一時期、愛媛県に住み、高校生の大江健三郎と親交を結び、その後伊丹の妹が大江健三郎と結婚している。

1997年に死んでいるので、もう知らない人も多いと思う。



さて、その伊丹十三が監督した10本の映画は、見れば退屈しないで最後まで見ることができるそこそこ面白い映画だったが、私は特に感動したりはしなかった。

伊丹十三は、映画を娯楽だととらえていて、普段、まったく本を読まない人達とか、映画には興味がないが、盆暮れには、寅さんを見るような人たちに向けて、映画を作っていたように思う。

観客は、常に啓蒙される対象で、毎回、何かしら、新しい情報、知らない情報を、伊丹十三の映画から教えられた。それは、税務署のことだったり、スーパーマーケットの裏側のことだったり、大きな病院の裏側のことだったりした。

それらの映画はそこそこヒットした。私はなんでだか毎回、映画館に行って観ていた。

伊丹十三の映画には、奥さんで女優の宮本信子が必ず出ていて、ほとんど主演をつとめていた。主婦とか働く女性の立場を代弁するような、もしかしたら女性の権利獲得運動をしている人たちが、喜びそうな役どころだった。

それが伊丹映画の本領なのかといったら、よくわからなかった。というより、どっちかというと嘘とか建前なんじゃないかと思って、私は見ていた。

私の印象に残っているのは、生卵を口移しするシーンや、三国廉太郎に体を触られる洞口依子だったり、エッチなシーンばかりだった。だから、私は本当は伊丹十三は、エッチな映画を撮りたいのだと思っていた。

いや、撮りたいというより、エッチなシーンにこそ、伊丹十三の本領があるのだと思っていた。ところが、そういう映画を撮る前に、伊丹十三は死んでしまった。

ビルの屋上からの飛び降り自殺とされたが、私は納得がいかなかった。

私にとって、伊丹十三は、気になる顔の一つだった。ジェラール・フィリップとか、カーク・ダグラスに連なるあご系統の顔だ。若い頃のクリストファー・ウォーケンや、女性だったらシャーロット・ランブリングなんかもこの系統だ。


ジェラール・フィリップ


カーク・ダグラス(マイケル・ダグラスのお父さん)


クリストファー・ウォーケン



シャーロット・ランブリング(左)



もちろん、私の勝手な分類だが、伊丹十三は日本人だったが、この系列の顔をしていた。


伊丹十三

そして、この系列の顔の人に自殺が許されるのは30歳くらいまでの若い時期に限ると、私は思っていた。若い頃の自殺ならかっこいいが、30歳を越えての自殺は格好悪い、見苦しいから、認めるわけにはいかない、と私は勝手に妄想して決めていた。無茶苦茶なリクツだけど、私はそういうふうに固く思っていた。

だから、伊丹十三が60歳もとうに過ぎて自殺した時には、ハナシが違うと憤ったのだった。ほとんどいいがかりのようなものだけど、私はそんな風に感じていたし、そんな風に思ったのだ。

だから、私は、伊丹十三の業績というよりも、顔が好きだったのだ。もしかしたら、声も好きだったかもしれない。

ただ手離しで伊丹十三の顔が好きだと言えない事情もあった。伊丹十三は昭和8年の生まれで、私の両親と同じ世代だ。そのせいで、大人になった伊丹十三の顔しか、私は知らないのだ。

本当は十代の頃の伊丹十三が、一番、かっこよかったはずなのだ。私は同性愛者ではないが、物心ついた時から少女マンガを読んで育ったせいか、美少年は大好きだったのだ。

だから本当は、十代の頃の美少年だっただろう伊丹十三を、見たこともないのに、私は一番評価していたのだと思う。


そんなだったので、時々、伊丹十三のことを思い出して、考えている。いろいろ考えるのだが、やっぱりなんで死んじゃったんだろうとか、考えるのだ。

伊丹十三は、1997年にビルから飛び降りて自殺したことになっている。伊丹十三は、最後は映画監督をやっていた。今でいう反社勢力を批判する映画を作ったりして、1992年には、山口系の暴漢に襲われたりしている。自殺の直前も、NHKで、医療系の産業廃棄物を追うドキュメンタリーなどをやっていた。



写真雑誌に不倫疑惑とか、その不倫相手の勤め先がSMクラブだったとか、それらをすっぱ抜かれたのが自殺の直接の原因だという説もあれば、暴力団員に屋上から飛び降りさせられた、という説もある。どれもこれもよくわからない。

私は伊丹十三には会ったこともないし、実際の伊丹十三がどんな人だったかなんて知りもしないから、伊丹十三の死は、謎だった。謎は心の中に残っていて、ずっと謎のままだ。解き明かされないから、モヤモヤしたまんま、胸の中に居座っていて、時々なにかの拍子で、またモヤモヤしてくるのだった。

最近は、大江健三郎の本を読んで、モデルとして頻繁に伊丹十三が出てくるので、私の中に伊丹十三が活発になってきた。その上、先日、『テレビマン伊丹十三の冒険』などという本を読んだものだから、久しぶりに活性化してしまったのだ。

あの頃のいろんなことが蘇ってきた。伊丹十三が暴漢に襲われたりした頃には、長崎市長が銃撃された事件もあった。



伊丹十三が亡くなった頃には、産業廃棄物処理場絡みで、どこかの町長が銃撃される事件なんかもあった。


また変なことを思い出した。私の身辺では、そこいらのおっさんが、伊丹十三暗殺のいきさつをさも事情通のように語ることもあった。それは、確か2000年頃のことだ。こっから先は、本当にどうでもいい個人的な思い出だ。

私は雇われマスターのような形で、カウンターの中で焼き鳥を焼いていた。その日は、しばらく顔を出さなかったH兄が客で来ていた。弟も客だったのでH兄と表記する。

H兄は、その日はなぜかスーツを着て、ネクタイを締めていた。私が知る限り、H兄の仕事は、解体屋で、いつも作業着にニッカポッカーに安全靴を履いていたから、ちょっと驚いた。

解体現場では時々、お宝が出ることがある。元武家屋敷があった土地や、古い大店だった屋敷の解体の場合、床下や土の中から、甕に入った古銭や瀬戸物が出たりする。

本来は、土地の所有者のものだし、場合によっては区や都のしかるべき部署に届け出をしなければならない。しかしH兄は、それらをちょろまかして、自分で売りさばいたりする人だった。

私の店にも、江戸時代と思しき見事な絵付けのされた四合徳利や皿などを持ち込んだことが何度かあった。徳利は1本1万円。皿は1枚、5000円から1万円で売るよ言うのだ。H兄は、これくらいの余禄がないとやってられないよ、と嘯く人だった。

もちろん、お断りした。それに四合徳利なんて、使い道もなかった。


H兄は、1950年前後の生まれで、学生運動が盛んだった時期には、大学を中退して、海外を放浪していたと、本人は言っていた。旅先のスウェーデンで、大恋愛をして、スウェーデン人の奥さんを連れて日本に帰って来ていたから、多分、本当に放浪していたのだろう。

そんなだから、H兄は、英語が少しできる。口も達者で、酒に酔わない間は、楽しく会話の出来る人だった。ただ、酒に酔うと、他の客にしつこく言いがかりをつけるクセがあって、とても迷惑な客になった。誰彼なしに吹っかけるので、普段はサワーやウーロンハイは、3杯までと決めていた。

H兄の奥さんは、日本に来た当初は細くてスタイル抜群だったが、三十代の半ばから猛烈に太りだしたのだと言う。私が知っているのは、近所の某スーパーでレジのパートをしているものすごく太った白人女性の姿だった。

彼等の間には娘がいて、その頃は中学生だった。その娘は、母親と違って、生まれた時から太っていて、小学校5年で身長が170センチに達し、体重も100キロを越えていた。その大きな体を生かして、何度も暴力事件を起こしていて、金髪で青い目のヤンキーとして地域でとても目立っていた。

H兄は、家の中がそんだから、居づらくて、外回りの仕事をするようになってのだと言っていた。ひと月のうち、20日は、東京にいないと言っていた。

H兄は、産業廃棄物の置き場を探して、全国を飛び回っているのだと言っていた。たまたま茨城の知り合いの土地を紹介したら、年収ほどのお金が入ったのだと言う。

解体作業で毎日、汗水流して汚れるのなんて、バカらしくてやれないよ、と言う。私の田舎あたりに、いい土地を知らないか? と聞いて来た。

カウンターで横に座っていた常連のGちゃんが、そんなに儲かるのなら俺にもやらせろとH兄に言った。Gちゃんは、元ボイラーマンだ。長年、ビルの管理会社に所属して、新宿や池袋の大きなビルの地下で働いてきたが、その頃はボイラーのシステムが変わってしまって、Gちゃんは失職し、ビル掃除の会社でパートで働いていた。

H兄は、素人には出来ない仕事だとGちゃんを小馬鹿にするように言った。カチンときたGちゃんが、何か言おうとしたら、橋本兄が、下手に首っ突っ込むと、ほら、伊丹十三みたいに殺されちゃうよ、と言った。それくらいヤバい業界なんだ。でも、俺の場合は、バックが大きいからさ、とかなんとか思わせぶりに言う。

Gちゃんは気勢を制されて黙ってしまった。突然、伊丹十三の名前が出てきたので、私は驚いた。H兄は、伊丹十三は、産業廃棄物の闇ルートを暴こうとしたから、その筋の者たちの怒りを買って、殺されたのだと言うのだった。

俺にはそういう情報もちゃんと入ってくるんだよと、H兄は、得意気だった。周囲の客がみんな感心したように頷いていた。

その後、Gちゃんが真面目にコツコツと働かないやつは、俺に言わせればバカだと言いだして、H兄と口論になった。面倒臭くなったので、二人には帰ってもらった。

25年も前のそんなことを思い出しながら、伊丹十三はなんで死んだのだろうと、また考えている。

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