見出し画像

ショートショート エレベータ

*はじめに
この物語は、フィクションです。
登場する人物は架空であり、
実在しません。

私はこのマンションに越してきて、
1年程経つ。

10階建てマンションの5階。
角部屋だ。

私は身体を患っており、
少しでも静かで環境の良い所に
住みたかった。

毎日、朝早くに日課の散歩に出かけて、
季節の移り変わりを感じながら、
独り静かに暮らしていた。

あの人に出会うまでは。

その人に出会ったのは、
まだ梅雨に入る少し前のことだった。

エレベータを待っていると、
着いたエレベータから
その人は現れた。

細身の体に、緑色のワンピースを着て、
長い黒髪が腰まで垂れて、
歩くたびに揺れていた。

私は初めて見る彼女に
目を奪われながら、

目を奪われてはいけない
自制心と闘っていた。

そんな私をすれ違いざまに、
目で会釈をして通り過ぎる。

茫然と見送る私。

気がつくと、
彼女は一度も振り返ることなく、
私の階の反対側の角部屋へと
入って行った。

私は待っていたエレベータが
他の階に行ってしまったことにも
気づかずにいた。

僕はこのマンションの5階に住んでいる。
大学2年生。
ここは大学が近くて便利だ。

このマンションには4月から住み始めた。
住み始めて少しして、顔見知りが出来た。

緑のワンピースを着た女性。
白髪の老人。
小さな子供たち。

彼らも同じマンション5階に住んでいる。

初め、緑のワンピースの人と
何度かすれ違ったときには、
綺麗な人だとは思ったけれど、
あまり気にはならなかった。

次に、白髪の老人とすれ違う。
見かけない人なので、
何処の人かと思えば、
綺麗な人と同じ部屋に入る。

しばらくして、
また老人を見かけたときには、
小さな子供たちを連れて部屋に
向かっていた。

詮索するつもりはないけれど、
何か不自然さを感じる。

彼ら以外に
その部屋の住人を見ないから。

それからしばらくして、梅雨に入り、
雨ばかりの日が続いた。

私は日課の散歩に出かけようと、
エレベータを待っていた。

やってきたエレベータに乗ろうとするとき、
忘れかけていたあの人が、
エレベータに向かって歩いてきた。

でも、あの人は、
私がエレベータを待ってることが分かると、

階段の方へ足を向けて、
エレベータには乗ってこない。

私は少しがっかりして、
下へ降りるボタンを押した。

下へ降りていくエレベータの窓から
階段で降りるあの人を見て、

私は少し寂しくなった。

僕は買い物にいこうとエレベータの
下へ降りるボタンを押した。
エレベータの階表示は1階となっている。

しばらく待っていると、1階から僕のいる
5階にエレベータが上がってくる。

例の夫婦らしき人たちが住んでいる部屋の
反対側の角部屋も僕と同じく独り暮らしの
男性が住んでいる。

僕の部屋は5階の真ん中あたりにあるから、
ときどき彼とエレベータ前で会う。

なにも会話しないけれど、
どことなく辛気くさい奴だと
思っていた。

僕を見て、少し会釈をして、
前を向く。

ただそれだけのことで、
それだけの関係だ。

気がつくと、
エレベータが着いていた。
僕は乗り込んだ。

私はこのマンションに独りで住んで、
独りで生活している。

逃げ出したくなる現実から、
逃げ出そうとして、
ここに住んでいた。

騙されていても、
馬鹿にされていても、

粗略に扱われていても、
仲間はずれが常でも、

そんな人たちとの関わりが、
私を支えていたときがあった。

でもそれは、
自分を傷つけるだけで、

自分の価値を低くして、
自信など何処にも無くなってしまい、

気づけば私は、
身体を患うほどに追い込まれていた。

全ての関係を絶って、
どこかの無人島にでも行ければ、
すっきりとするのだろうけど、

そうもいかないので、
誰にも何も言わずに、
このマンションに越してきた。

1年以上が経過し、
そろそろ体調も戻り、
仕事にも戻れそうかと思っていた時に、
あの人に出会ったのだ。

また僕はエレベータに乗る。

特に用はない。
用がなくたってエレベータには乗る。

少し暑くなってきたので、
Tシャツに短パン、ビーチサンダル、
家の中にいたそのままの恰好で、
気軽に外に出てきた。

あれから数回、緑のワンピースの女性
を見かけた。あれは夫婦なのだろうか。
未だに僕にはわからない。

一度だけ見かけた子供たちは、
その後は姿を見かけない。

緑のワンピースの女性と白髪の老人が
一緒に歩いている姿も見ない。

あの部屋に吸い込まれてしまったよう。

あの奥の部屋には何があるのか。

僕がそんなことを考えてエレベータを
待ってると、

閉じたエレベータの
窓ガラスに、

僕の後ろに、
緑のワンピースの女性が映って見えた。

1年以上、
ほとんど人との関わりなく、

そのおかげで、安定はしたものの、
寂しくもあった。

蝉の声が聞こえてくる季節になり、
夏の暑さで散歩も控えていたこともあって、
あの人にも会うことがなくなった。

会ったところで、
エレベータですれ違うだけで、
声を掛け合うことすら無い。

こんな希薄な関係でも、
私には必要な関係だった。

そんな関係で、
私には十分すぎた。

虫の声が聞える季節となり、

相変らず昼間は暑いけれど、
夜は涼しく、過ごしやすくなっていた。

エレベータを待っていた時に
ときどき会うことがあった大学生らしき
人は、いつの頃からか見かけなくなった。

私は人との関わりが極端に少ない生活を
していたせいもあり少し気になっていた。

それから何日かして、救急車が私の住む
マンションにやって来て、5階が騒がしく
なった。警官もうろついている。

私は関わらないようにずっと部屋にいたが、
インターホンが鳴って、出てみると、
警官が立っていた。

この階に住んでいた大学生の両親から
マンションの管理人に、ここ1~2ヵ月
連絡が取れないので部屋を見てもらえないか
と相談があり、警察に通報したらしい。

一般的な職務質問ですが、と前置きをして、
私と大学生の関係や、大学生の様子や、
変わったことがなかったかなどを聞いてきた。

その質問に答えながら、なんとなく、
事情がわかった。

大学生はいなくなったらしい。

どうしていなくなったのか、
誰にもわからないという。

もちろん、私にもわかるはずはなく、
エレベータでたまにすれ違う程度で、
あまり話しもしたことがないと伝えると、

一通りの質問を終えて満足した警官は
お礼を述べて玄関のドアを閉めた。

ドア越しに様子を見ていると、
どうやら隣の部屋でも同じ質問を
しているらしかった。

部屋に戻った私は、
ソファーに座りながら
何かの違和感を覚えた。

この違和感はなんだろう。

ぼんやりと淹れたてのお茶を
飲んでいるときに、
ふと、思い当たる。

そういえば、

あの人と会わなくなったのは
いつ頃だろうか。

大学生と会わなくなったのは
いつ頃だろうか。

あの奥の部屋が空き部屋になったのは、
いつ頃だろうか。

あのふたりは
どこにいってしまったのだろうか。

なぜ神さまは、
人を、

独りで生きられない生き物に
創り給うたのだろう。

私たちは、

今日生きていることが
当たり前となって、

当たり前に生きられるために
社会があって、

枠組みの中で守られて
生かされている。

私たちはこの社会に
生かされていて、
社会の枠組みを守るために、

友達や、恋人や、
夫婦や、家族は、

必要不可欠なものと
教え込まれる。

ここから少しでもはみ出ると、
社会の隅に追いやられる。

私のように。

あの人のように。

なぜあの人は大学生を選んだのか、

なぜ私は、選ばれなかったのか、

私はずっと考えている。

今日も私はエレベータに向かう。

あの人がエレベータから
現れることを期待して。

あの人の住む世界に、
私を連れ去ってくれることを願って。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?