見出し画像

ショートショート 名前のない人形

*はじめに
この物語は、フィクションです。

わたしはこの暗い場所に来てから
どのくらいになるのかわからない。

そしてこの暗い闇の中で
動くことも出来ずに
ずっと待っている。

彼女がわたしを
見つけてくれることを。

わたしは子供たちに人気のお人形。
彼女のお誕生日に
パパとママが買ってあげたのだ。

わたしを見た彼女はまだあどけなく、
クマのお人形のわたしを
抱きしめてくれた。

わたしと彼女はいつも一緒で、
寝る時もわたしの手を握ってくれた。

彼女が遊ばないときは、
本棚の上の特等席に
彼女を眺められるように
ママが置いてくれた。

彼女がクマ、クマと
ママにおねだりすると、
わたしは彼女と遊ぶのだ。

この生活がずっと続くものだと思っていた。
けれども、彼女は成長していく。

でも彼女は大きくなっても
わたしを大事にしてくれて、
いつもわたしと遊んでくれた。

ある日わたしがいつものように、
タンスの上で彼女の帰りを待っていると、

どこからか一匹の猫がやってきて、
わたしのことを、じろじろと眺めた。

この猫は最近隣に引っ越してきた人の
飼い猫で、その家の男の子と彼女が
よく遊ぶようになっていた。

その男の子が遊びに来ると、
その猫も一緒にやってくる。

この日も遊びに来たのだろう。

本棚くらいの高さなら、
簡単に飛び乗り、

わたしの体をこわごわ、
触ろうとする。

やがて動かないことに安心し、
わたしの手にかみついて、
首をひねる、

そのとき、
わたしは本棚から落ちた。

猫は器用に逃げたけれど、
わたしは床に落ちてしまった。

猫は逃げた机の上に座り、
何事もなかったように体を舐める。
関係ないよ、というように。

しばらく体を舐めながら、
周りの様子を窺い、

大丈夫そうだとわかると、
床に飛び降り、

わたしのそばに、
やってくる。

そしてまた、
わたしに触ろうとする。

男の子が猫を呼ぶ声がすると、
そちらに向かって走って行った。

わたしはしばらく取り残されたけれど、
もうすぐ彼女が帰ってくると、
安心していた。

そこへママがやって来て、
こういうのだ。

「あら、こんなとこにクマのお人形。
もう古いから捨てなさいって言ったのに。
仕方ないわね、
もう来年は中学生というのに。」

ママはそういって、
わたしをクローゼットの奥に
片付けてしまった。

わたしはそのまま、忘れ去られた。

クローゼットの奥の暗闇で、
クマの人形が独りつぶやいている。

その声はとてもとても小さくて、
人間には聞こえない。

「わたしはね、名前がないの。
いつもアキちゃんが、
遊んでくれたの。

アキちゃんが寝るときも、
一緒に寝てたの。

でもね、

アキちゃんのママが、
わたしをクローゼットの奥に
隠してしまったの。

何故かしら。

アキちゃんは、
ずっと泣いていたの。

わたしはずっと、
泣き声を聞いていたの。

ここにいるよ、
わたしも悲しいよ、
アキちゃんに会いたいよ、

って、
いいたかった。

あれからわたしは、
ずっとここにいるの。

でも、
わたしは淋しくなんか、
ないの。

だって、
アキちゃんとの思い出が、
わたしにはあるから。

毎日、毎日、
アキちゃんと
何をして遊んだかを、

繰り返し、繰り返し、
思い出しているの。

わたしを初めて見た
アキちゃんの笑顔。

宝石のような瞳。

わたしに話しかける
小鳥のさえずりのような声。

抱きしめてくれたときの温度、
繋いだ手の優しさ。
小さくて柔らかな指。

わたしの幸せの全てが
そこにあったの。

その一つ一つを、
わたしは思い出して、
満足するの。」

その人形は暗闇の中で、
ひとり歌う。

「もし、わたしが泣くことが
出来るのなら、

この世界を水浸しにするくらいに、
涙で埋め尽くす。

もし、わたしが声を出すことが
出来るのなら、

愛する名前を声が枯れるまで、
呼び続ける。

もし、わたしが歩く事が
出来るのなら、

愛するあの人の胸に、
飛び込んでゆく。

わたしの、
人形のわたしの愛は、

この世界に、
あってはならないもの
なのでしょうか?

あってはならないものを、
なぜ、
お創りになるのでしょうか?

ああ、わたしは人形です。

喜びも、悲しみも、怒りも、
わたしには、
あってはなりません。

でも、
この胸の苦しさを、
どうすればよいのでしょうか。

この悲しみは、
どうすればよいのでしょうか。

あなたには、

わたしの声は、
人形の声は、

届かないのでしょうか。」

私は亜希。
今年の4月に大学生になる。

頑張って勉強したおかげで、
東京の志望大学に合格することができた。

初めての一人暮らしに少しワクワクしてる。
引っ越すために私の部屋を整理していた。

子供の頃に遊んでいたおもちゃ、
お人形や、ままごとセット。

物を捨てるのが苦手な私は、
使わなくなったモノたちを、
クローゼットの奥の棚に
山積みにしていた。

しばらくこの部屋には帰らないから、
この機会にきれいにしておきたかった。

いるモノと、いらないモノに分けてゆく。

いらないモノは、売ってしまおうか、
などと考えながら、
一つずつ仕分けをしていて、
あるモノで手がとまった。

あれ?このお人形、
なんだっけ?

それはクマのお人形。
少しホコリを被ってる。

私のことをジッと見つめる
その目に、
私はすぐに思い当たった。

これ、
こんなとこにあったんだ。

ママからは、
もう捨てたっていわれたのに。

なんで捨てたの、ひどいって、
私、随分泣いたっけ。

よく見ると、
あちこち解れがあって、
毛並みも大分ヘタれていた。

捨てようとしたけど、

ゴミ捨て場に置いてある
クマのお人形を想像したら、

突然、涙がこぼれてきた。

あれっ、なんで、って思っても、
涙が溢れてくる。

そして、クマの目を
見たときに、

このボロボロのクマが、
笑ってるように見えた。

私はクマの解れを縫い直し、
ぬるめのお湯で洗ってあげて、
晴れた空の下で干してあげた。

干されたクマの人形は、
私のことをじっと見つめる。

私はその目に照らされて、
あの頃に戻された。

その姿を見ると
うれしくて、

その身体を抱きしめると
安心して、

私の心の中にはいつも、
あのクマがいた。

これが愛なら、
こんなにも愛したものは
ないだろう。

私はいつもクマから
もらった愛を、
探していたのかもしれない。

今また、
私の前に現れたクマから、

とても満たされたものを
感じるのはなぜだろう。

幸せとは、
心満たすものがあること
だとしたら、

私は今、
幸せなのかもしれない。

このクマに名前を付けよう。

このクマの名前は、「カンナ」。

カンナには永遠という意味もある。

私はずっと、このカンナとともに
生きていくんだ。

きれいになったカンナは、
うれしそうにわたしを見ていた。


カンナの花言葉は、
「情熱」「快活」「熱い思い」「永遠」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?