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みちのくの一人たび

旅日記を纏める作業をしました。ボクにとって思い出深い話を反芻しながら、記憶から紙媒体に書き起こしました。

1日目 ボクの愛車カブ号(ホンダのクロスカブ110)は猛烈な暑さの中、国道4号線を北上して福島県を通過したあと、宮城県に入りました。大都市仙台の市街地を回避して、仙台空港傍をトコトコ走って名取市閖上(ゆりあげ)を目指します。

episode prologue
閖上のキャンプサイトに小高い丘がある。暮れなずむ海を見に登ってみると、防潮堤の先に船が舫ってある。誰あれもいない。いやちょうど犬の散歩にきた女性が見える。少しずつ近づいてきた彼女に二言三言声をかける。彼女は震災の時には仙台に居て高校生だった。え~もう12年もたったんだねと、すっかり女性になった彼女に教えられた。

 2日目 仙台をかわして、県道40、19、1を早朝のうちに走る。みどりの田園地帯が気持ち良い。国道に出てR4を北上すると岩手県に入る。連日の猛暑が続くなか、一関、水沢(奥州市)、北上、花巻を通過して冷麺を楽しみに盛岡を目指します。盛岡市内は土曜日の昼どきで、なかなかバイクを駐車できずに、しかたなくイタリアンでランチ。これがとても美味しかった。今回の旅の目的の一つは、全長1000㎞の「みちのく潮風トレイル」の一部、青森県の八戸から岩手県の久慈までの約100㎞を歩きます。夕方にバイクを4日間預かってもらう民宿に到着。荷物を紐解いて、さっそく風呂でサッパリ。夕食は新鮮な魚介類(刺身、ヒラメの煮つけ、ホヤ…)とビールが美味かった。



3日目 種差(たねさし)の海岸に出て、いよいよ歩き旅の始いまりです。朝から日差しが強い。いくつかの漁港を通過する。階上駅(はしかみ)から階上岳のキャンプ場に向かって、長い登りが始まります。アスファルトの照り返しが強く、木陰を探し求めて休みやすみのトレッキングです。ロードを20㎞歩いた後に、山道を4㎞登るのはきつかった。ザックの中ですっかり温くなったビールを、水道の蛇口で冷やしながらテントを設営。標高700mのキャンプ場は、この時間になってようやく爽やかな風が吹き出しました。
 
episode2
八戸市街を一望できるこのキャンプ場は、林道をクルマで上がってくることが出来る。市内から夕涼みに来た夫婦と八戸のこと、震災のこと、青森のこと、祭りのことと尽きぬ話題が楽しかった。自分のことを語り始めた彼は、いま61歳で、訳あって会社を早期退職したとのこと。家族のこと、親の介護、自身の病気、…、なにがあっても人生そのものだなぁ。
 

4日目 テント旅の朝は早い。鳥の囀りで目が覚めます。今日もロングトレッキングなので5:00過ぎには出発する。牧場の柵越しに放牧された牛が人懐こくついてくる。前日の疲れからか、腰を庇いながら山を下っている。背負っているバックパックはテント装備で12~3㎏か。朝から16㎞歩いたところで木陰を探して長い休息をとる。腰の具合と午後から天気が崩れるとの予報なので、トレイルに並行して走っているJR八戸線を利用することにしました。角の浜駅から種市駅までの二駅間6㎞を列車で移動する。歩くと1時間半~2時間かかるけど、時間に余裕ができたので温浴施設で腰を温めた。ついでにスマホの充電もできました。種市海浜公園キャンプ場は遊歩道の内側に芝生のサイトが広がって快適です。もう震災時の痕跡はないけれど、潮騒が子守歌になる。夕暮れ時のビールが美味い。

5日目 今日は思いで深い一日になりました。
国道45号線傍らの木陰で休んでいた札幌のⅯさん78歳…コロナ前にガンを患った人には、とても見えないナイスガイのサイクリストでした。
 津波被災地の八木で出会った81歳の爺様…暑い最中での立ち話でした。震災前の古い防潮堤は〝鈴木善幸″が造ってくれた云々、明治、昭和とつづく歴史を感じました。
 中野の個人商店「おーくぼ」…歩いていると、とにかく食べる処が見つからない。やっと見つけた萬屋さん。薬の看板を目にして中に入ると、冷房中にホッと一息つく。食料品はカップ麺と菓子パン、お湯をお願いして涼んでいると、あらら~ラップに包んだ温かいおにぎりも出てきました。四国を歩いた時の「お接待」みたいに心もあたたまります。
 漁港を過ぎて桑畑地区の農家で水筒代わりのペットボトルに水を補給しました…氷もどうですかと言われたけど辞退した。そして一日の締めくくりに…。
 
episode3
人の居ない美しい海岸線を歩いていると、商店が全くありません、自販機もない。とうとうキャンプ場までビールを買えずに着いてしまった。受付時にダメ元で、もしかしたらと「ビールはありませんよね」とネガティヴな聞き方をして…やっぱりありません〜。「実はボク、きょう誕生日なんです、自分に乾杯したくて…」〜これ以降の会話はすこし方言もあり、全てが理解できた訳ではありませんけど、酒屋さんまではどうやら2㎞くらいはあるらしい〜。一日中歩いてきた身には、もうとても無理だ〜と思ったら〜管理人のおばちゃんがスマホで誰かを呼んでいる。じきに軽トラが到着。どうやらクルマで酒屋さんまで送り迎えしてくれるらしい。助手席に乗って出発。運転は高校の体育の教員を退職された68歳の方で、今でも学校でボランティアに勤しんでいる人でした。いろいろお話をすると、この穏やかそうな方はキャンプ場の受付をしてくれた管理人さんのご主人とのことでした…。
沢瀬さんご夫妻の人柄が反映されたこの北侍浜野営場は、よく整備された清潔で快適な施設でした。とても親切な対応に感謝でいっぱいです。
たくさんの人たちに優しさをもらった一日でした。本当に思いで深い誕生日になりました。

6日目 八戸線は一日に6便しかないローカルな路線です。久慈駅の列車時刻に間に合わせるため、この日も野営場を5:30に出発です。断崖が続く陸中海岸は漁港と漁港を直接つなぐ道路がありません。一度海に面した漁港に下りるとまた次の漁港まで山道を登り、複雑な海岸線に沿ったトレイルを歩いていきます。景勝地で有名な田野畑村の北山崎を少し小振りにしたような、横沼展望所も歩いてでしか行けません。久慈駅から列車に乗って、バイクを預けた種差の民宿まで戻りました。四日間の歩き旅が終わり、またバイクの旅です。天然芝が美しい種差海岸キャンプ場にテントを設営してから、銭湯で汗を流して買い出しに行きました。久しぶりにまったりした時間です。

episode4
薄暮の種差(たねさし)海岸で出会った家族の話し。彼は14歳の中学生で姉と妹二人、そしてお母さんと夕涼みに来ていた。女性たちはみんなムスリムのスカーフ姿。夕暮れ時の海をバックに彼女たちの写真を撮りたくて、彼(名前はアマド)に撮ってもいいかと尋ねたら、お母さんになにやら聞いてくれた。ダメだけど妹たちだけなら良いですとオーケーしてくれた。彼はパキスタンのイスラマバード近くのなんとかバード生まれで、7年前に父親の仕事の関係で八戸に来た。ここで初めて海を見たと言っていた。「パキスタンもカラチには海があるよね」との会話から、カラコルムのK2の話やカイバル峠の話をするうちに、ちょっとビックリしたみたいだったけど段々打ち解けてきた。「パキスタンの学校では自分の国のことしか勉強しません」~~「ボクは昨日、71歳の誕生日だったんだ」~「えっ、パキスタンでは70、71歳の人はほとんど歩けません~だいたい74、5歳で亡くなる人が多いんです」へぇ~そうなんだね。アマドは日本の大学に進学したい目標も話してくれて、とってもゆったりとした時の流れでした。

7日目 テントを撤収して荷物をバイクに縛り付けて出発です。ウミネコの繁殖地で有名な蕪島神社に、旅の安全を祈願しようと寄ったらまだ開門前でした。ウミネコは子育てが終わって巣立ったようです。最盛期には3~4万羽が飛び交い、フンの落下避けに傘の貸し出しもあるとnhkの番組で観たことがあります。青森県第二の都市である八戸市の朝は通勤時間帯にぶつかり、交通渋滞がありました。八戸大橋を渡り一路下北半島を目指します。太平洋に沿って北上していると、「寺山修司記念館左折5㎞」の案内板がありました。一瞬通り過ぎてからUターンして、5㎞なら行ってみるかと訪ねてみました。9:00の開館まで30分待った甲斐のある、必見の記念館でした。

episode5    ……寺山修司

書物のなかに海がある
心はいつも航海をゆるされる

書物のなかに草原がある
心はいつも旅情をたしかめる

書物の中に町がある
心はいつも出会いを待っている

人生はしばしば
書物の外ですばらしいひびきを
たててくずれるだろう

だがもう一度
やり直すために
書物のなかの家路を帰る

書物は
家なき子の家

記念館のある三沢市民の森から裏の林道を少し走ると、突然、海のように大きな小川原湖に突き当たりました。こんな景色に巡り合えた幸運は道路脇にあった寺山修司の案内板に導かれたのかも知れません。この旅は最初から自然と良い方向に展開しているような気がします。旅の目的の一つでもある六ケ所村を走ります。少し雨が降りました、合羽を着るほどでもなく止みました。たしかに大自然がありました。それ以外はそこに似合わない大きな施設がいっぱいあるんだろうなぁ。何もない村。昼前に尻屋埼灯台に到着しました。ずっと見てみたかった寒立馬(かんだちめ)にも会えました。今日の宿泊地は薬研(やげん)温泉近くの野営場です。ここは最高のキャンプ場でした。管理人のオヤジはいい人だし、洗濯機に乾燥機まである。ゴミも分別すればすべて無料で受け入れてくれる。バイクの旅人にはありがたい。近くに無料の露天風呂と有料(240円)だが素朴な温泉施設もあります。そして言葉を交わす人みんなが優しい。ここなら連泊してもいいんだけど、天気が安定しているうちに、恐山に参詣して、十和田湖まで移動しておきたい。十和田湖は二十数年前にクルマの屋根にテントを積んで、家族でキャンプしながら旅をした思い出の場所です。

episode6
薬研野営場に宇都宮ナンバーのハイエースが駐まっていた。スライドドアを開いて、どうやらお寛ぎの最中らしい。シートをすべて取り払って後部に自作のベッドが据えてある。真ん中に高級そうな社長椅子を横向きに設えて、その横にワイングラスを置くテーブルが拵えてあった。下野市のSさんは、87歳にはとても見えない(えっ若いですねと言ったら…免許証を出してきた)。ここ薬研のキャンプ場には五月の連休前から暮している?…から、もう三か月の滞在だ。「今まで、日本全国を旅してきた」。いろんな場所で長期滞在するのが彼のスタイルらしい。北海道は3回廻ったけど「もう人の良さ(人情のことか)を感じなくなった」とか、彼の体験が独自の旅のスタイルを作っているようだ。この人は管理人とも親しくなって、「自分は夜の管理人だ」と自称していた。旅を続ける理由を彼曰く、「やっぱり、やりたいという、気力があるかないかだね」。この爺様に「かっぱの湯の露天風呂に入ったら、ち〇ち〇の袋をアブに咬まれちまった」と話したら、ハッハ~、この時期の昼間は無理だぁ。「夜明け前の3時頃に、暗いうちに入るんだよ」と達人は仰っていた。

8日目 温泉に入ったり汚れものを洗濯したりと、すっかり世話になった薬研野営場でした。朝の時間をゆっくり過ごして出発です。木漏れ日が美しいワインディングロードをリーンアウト(バイクだけを傾ける走行法)で上っていく。峠を越えてしばらく下ると、恐山の宇曽利山湖に出る。う~ん、この辺りから雰囲気が変わったなぁ。恐山菩提寺の入山料を払い、山門の先にある地蔵殿で般若心経を唱える。むつ市街へ下って陸奥湾沿いを南下する。海が青い。ここは以前から名前が気になっていた横浜町だ。熱中症予防にコンビニでポカリを飲みながら野辺地を通過する。七戸で久しぶりにラーメンショップに寄り大量の塩分を補給する(笑)。バイクもGASを満タンにして一路十和田湖を目指す。奥入瀬渓谷が終わるころに雨が降だした。生い茂る木の下でしばし雨宿りをする。雨の上がった湖岸を周遊しながら生出(おいで)キャンプ場に到着する。これまで一週間、毎日移動する旅をしてきた。少し天気が怪しいのと、休息を兼ねて連泊することにしました。十和田湖の辺りにあるこのキャンプ場は、青森県から秋田県に入った場所にある。ここも温水シャワー(4分100円)、自動洗濯機(200円)、乾燥機(30分100円)と滞在者にはありがたい。緑ゆたかで野鳥の鳴き声で目覚める大きなキャンプ場です。だがしかし、最大の欠点は電波が届かない。つまりスマホが繋がらない。まぁコーヒー飲みながら読書して、不便さを楽しむことにしました。まだ他に誰もいないので、管理人さんお勧めのちょっと大き目のサイトにキャンプの設営をする。元々設置してある木製テーブルを食卓に決め、煉瓦を積んだカマドに薪を用意してリビングとした。寝室はもちろん持参の天幕だ。二日分の食材と酒をバイクで買い出しに出かける。

episode7
いつもの山旅のように簡単な夕食を終えて、〝リビング″で焚き火の炎を暖炉代わりに赤ワインを楽しんでいたら、酔いが回って足元があやしくなってきた。少し飲みすぎましたね。ほらやっぱり、そのあと事件です。〝寝室″の外でつまずいたらテントのポールがポキって嫌な音がした。ここで野宿旅も終了か? 翌朝、持っている道具で修理してなんとかまだ続けられそうです。

9日目 テントの修理。身体の休息。読書。大きなキャンプ場内散策。焚き火。
 
10日目 十和田湖から鹿角市(かづの)に下りて、道の駅おおゆで同好の士に邂逅する。彼のバイクも同じクロスカブ110だ。彼は盛岡近郊の矢巾町に家族を残し、単身で久慈市に赴任中のTさん58歳、気象庁関係の公務員だ。バイクのこと、先日ボクが歩いた「みちのく潮風トレイル」のこと、旅のこと、あまちゃんかららんまんまで、尽きることのない共通の話題が楽しかった。別れ際に「お会いできてよかった」と言ってくれた言葉が印象深い。盛岡市街のクルマを避けて雫石町(むかし航空機事故があった)近くから花巻郊外の県道を一関近くまで走ってR4に合流する。しばらく南下して仙台市街の手前で宮城蔵王方面へ向かい、白石駅前のビジネスホテルに投宿する。

episode8 バイクの話し〜カブに乗る人をカブ主っていうそうです。なんてったって、世界で累計1億台売れた自動車ですよ。ダントツ一位です。今回はその理由を実感できる場面がいっぱいありました。本田宗一郎さんに感謝です。ありがとうございました。
クロスカブ110の最新型〜
①  前輪ディスクブレーキABS付き…動作の反応が遅くなった年寄りの急ブレーキにも心強い〜
②  キャストホイールにチューブレスタイヤ…長距離のツーリング時のパンクに強い〜
③  排ガス対策でエンジンのロングストローク化…なんと言っても単気筒のトコトコ感が心地よい〜
④  燃費がイイ…ほんとうに70㎞/ℓ走ってしまう〜
 
11日目 旅のおしまい日。我が家まで400㎞。ボクの愛車カブ号は原付二種で高速道路は走れない。ひたすら一般道を走る。往路の福島市内通過中には、路肩の気温表示板が40℃だった(ボクの体温より高い)。もうこりごり、涼しいうちに通過しようと計画して、ホテルを3:30に出発した。予想通り福島の表示板は25℃だった。途中、那須塩原付近で雨に降られて、今回の旅で初めてカッパを着る。じきに止んで、脱いだり着たりを繰り返す。宇都宮市内は朝の通勤ラッシュで少し渋滞に巻き込まれた。宇都宮以南の国道新4号線は片側2〜3車線の真っ直ぐな道が関東平野の大地に続いている〜映画イージー・ライダーの気分でシーシーバー代わりの荷物に寄りかかって♪ born to be wild♪ と口遊ながらP.フォンダ気取りでライディングしていると〜ときどき隣の車線をD.ホッパー風が追い抜いていく〜アメフトのヘルメット被ったJ.ニコルソンは出番なしだった。都内は上野から新橋を抜けて、川崎、横浜のクルマの多さと異常な暑さに閉口して、這う這うの体で我が家に到着でした😎
 
episode epilogue
「みちのく潮風トレイル」四日間の歩き旅が終わって…
久慈駅からバイクを預けた種差海岸(たねさし)の民宿まで列車で戻る。一時間余り、移りゆく景色が車窓を流れる列車の旅が素敵だった。有家(うげ)から八木、宿戸(しゅくのへ)の防潮堤の外〜つまり海側を走る区間は、青い海原と白い砂浜がつづく絶景の連続だ。こんな列車の乗務員は毎日の仕事が楽しいだろうなぁ。(2両編成のワンマンカーの運転手は若い女性だった)
リニアはあってもなくても良いけど、この美しい海岸線を走るJR八戸線がなくなっては困る。JR東日本の赤字ローカル線の維持費が年間700億円だそうだ。リニアの建設費が7兆円だから、その経費を回せば100年間維持できる計算だ。少子高齢化が進むなか、大切な日本のインフラを未来の子供達に是非残して欲しいものだ。

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