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【らんまん】科博の筑波実験植物園へ『ミニ企画 牧野富太郎』展へ行ってきました

国立科学博物館科博には、上野公園の本館のほかにも、港区の白金台にある附属自然教育園と、茨城県つくば市にある筑波実験植物園という施設があることは、意外と知られていません。

そして現在、筑波実験植物園では、『牧野富太郎と植物を観る眼』という、NHKの朝のテレビ小説『らんまん』にちなんだ、ミニ企画展が開催されています(6月4日まで)。↓ まったく読まれなかったのですが……こちらもお読みください。

つくば市なのですが、わたしの妻の実家がありまして……妻の帰省のついでに、同植物園へ行ってきました。その日はちょうど、植物園へも入れる科博の年パス(リピーターズパス)の有効期限最終日。入場料は320円なので、切れていたとしても、またリピーターズパスを買っていたとは思いますが(つくばでも購入できるかは不明)、なにか得した気分です。

■ミニ企画の展示内容は?

筑波実験植物園のエントランスは、とても小さな建物です。ミニ企画展の会場は、この建物に入ってすぐのところでした。

筑波実験植物園に来るのは、今回が3回目。前回は、一緒に行くのを息子が泣いて嫌がったので、今回は誘いませんでした……。まぁ小学3年男子が、植物に興味を示さないっていうのは、ある意味普通……というか、植物以外に楽しいこともたくさんあって然るべきです。

もちろん牧野富太郎さんの時代は、今よりも植物に興味を示す人は、希少だったでしょうね。まだ西洋風の植物学は日本で始まったばかり。江戸時代までは、絵師が風流なものとして描いたり、薬学的(本草学)な方向から記録に残す人はいたかもしれませんが……学問として、それだけに打ち込もうという人は、牧野富太郎さんを始めとするほんの一握りの人たちだけだったでしょう。

ミニ企画では、牧野富太郎さんをパネルで紹介しつつ、氏が描いた植物画や、氏が同園の近くにある筑波山で採集して作った標本が展示されています。また、博物館ではなく植物園ということで、氏が名付け親となった、つくば市の花……ホシザキユキノシタ(星咲雪ノ下)が園内に咲いていました。

(ホシザキユキノシタは)茨城県の筑波山で発見され、筑波山のみに生育する固有種である。このためつくば市の花に選ばれ、同市の天然記念物となっている。

Wikipediaより
《ホシザキユキノシタ》

■牧野富太郎さんが作った標本が観られて感激!

NHKのテレビ小説『らんまん』では、牧野富太郎をモデルとした万太郎が、明日にでも東京帝国大学へ行き、本格的な研究を始めることになります。

牧野富太郎さんは「日本の植物(分類)学の父」と呼ばれていますが、氏が20歳前後で、本格的な研究をはじめる頃には、日本にも既に植物学を研究する人たちが居たんですよね。じゃあ「日本の植物(分類)学の父」ではないんじゃない? という気がするんですけど……。

ミニ企画展の、主催者の挨拶文というんでしょうか……そこには、牧野富太郎さんの功績の代表的なものが記されていました。初めに書かれていたのは、最も目立つポイントである「数多(あまた)の植物の名付け親」であること。そして「日本の植物を網羅的に調べた」上で、「研究雑誌や図鑑の発行」をしたことが挙げられています。さらに「日本の植物(分類)学の父」と呼ばれることになる、最も重要な功績が「各地の植物同好会をたちあげるなど普及活動に取り組」んだことかなと。

1940年初版『牧野日本植物図鑑』北隆館
2008年発行『新牧野日本植物図鑑』北隆館

牧野富太郎さんが生きていた時代を全く知りませんが、想像するに植物会のヒーローとかアイドルだったんでしょうね。そうした存在になったことで、一般の人たちの植物“学”への理解を広げ、そのため日本の植物学の底上げにつながったんだろうと想像します。どの分野でも、数人のバカや天才は必要ですが、マスへの理解が広がらなければ、大きなムーブメントにはならないでしょうからね。牧野富太郎さんというカリスマを得て、日本の植物“学”が、飛躍する契機となったんじゃないかなと。

前述した牧野富太郎さんの功績の一つ「日本の植物を網羅的に調べた」ことについて、展示パネルでは、氏が日本の全国へ足を運んだことが記されています。その中には、筑波実験植物園の近くにある筑波山も含まれていました。そんな筑波山で採集した標本が、少しだけ展示されています。

筑波山での採集標本。左から1894年採集の「アズマスゲ」、1900年「アズマザサ」、1894年「キクザキイチゲ」

牧野富太郎さんの標本は、約40万枚に及びます。そのほとんどは、東京都立大学牧野標本庫に収蔵され、5,500枚が高知県立牧野植物園で管理されています。そして、この国立科学博物館にもいくつかの標本が収蔵されているそうです。

常州……つまりは常陸国(ひたちのくに)の筑波山で採集されてことが記載されています
明治27年に東京科学博物館で登録されたようです

わたしは学者ではないので、本物を観たからといって、何か社会に貢献できるようなことが起きるわけではありません。標本が意味することも、分かりません。それでも、(歴史上の)牧野富太郎さんが、草に話しかけながら採ってきて、ご自身の手で紙に貼り付けて、植物の名前を記していったと思うと……ちょっと感動してしまいました。

そして、定評ある牧野富太郎さんの植物図も、原画ではありませんが、いくつかが展示されていました。やっぱり美しいですね。

ちょっと驚いたのは、それら植物図のパネルも、撮影し放題だったことです。牧野富太郎さんの植物図って、ガッチガチに著作権に縛られていて、撮影なんてできないだろうなぁって思っていたので……。何度見直しても「撮影可」の表示しかなかったので、大丈夫なのでしょう。

ムジナモ『日本植物志図篇』第一章第十二集(未刊)

いずれも、今まで本の表紙になっていたり、パンフレットのメインビジュアルとして使われてきたものばかりですが、こうして高画質でパネル化されていると、改めて美しい植物画だなぁと感心します。さすが、植物が好きで好きで一生を捧げた人の描いた絵ですよね。

ジョウロウホトトギス『日本植物志図篇』第一巻 第一集 第一図版
ホテイラン『日本植物志図篇』第一巻 第四集 第十六図版

他にも、筑波実験植物園のスタッフによる、牧野富太郎さん関連のイチオシの花を紹介するパネルがあったりと、けっこう読むところが多かったです。

牧野富太郎さんの略年譜

そしてミニ企画展を観終わってからは、外に出て、本物の植物を観察できるのが、植物園の良いところですよね。その時に発見した植物たちは、また次回以降にnoteしていきたいと思います。












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