沢伝いに登る宝篋山(小田山)ハイキング〜茨城県つくば市〜
つくば市の小田氏と言えば『鎌倉殿の13人』で活躍中の、八田知家を初代とします。その子孫である小田氏治は、根拠とした小田城を、何度も敵に落とされたことで、戦国最弱の武将とも言われています。
この小田城の裏山が「宝篋山」であり、小田山とも通称されるようです。今回は、この宝篋山を小田地域から登りはじめ、隣町の北条地域に下っていきました。
駐車場を出て、歩き始めたのは11:04でした。
まずは宝篋山休憩所を出発。同地までは、クルマで行きました。11:00前後に出発しましたが、既に下山してくる人も多かったです。
クルマの温度計では、外気温は30度。曇天で、8月上旬としては、過ごしやすいです。しばらく稲穂を眺めながら、小道を宝篋山に向かって歩いていきます。農業用水がコロコロと流れる音が気持ち良く、蝉の声もしつこくなく、夏休みのような気分になっていきました。
極楽寺コースは、極楽寺の跡を過ぎて山道に入ると、すぐに沢と並走し始めます。森の中で直射日光もほとんど届かず、沢が流れるハラハラという音とが涼感を増します。また沢の上を通った冷たい風が、時折、肌を撫でるため、真夏でも「暑くて堪らない」ということはなさそうです。
宝篋山頂まで、あと少しという場所には、宝篋城空堀跡という立て札が立っていました。この山には城があると頭の片隅に覚えていましたが、まさか、こんな標高400m付近にあるとは思いませんでした。
登りながら見ていた沢を見かけなくなってから、だいぶ登ったはずです。こんな山頂に白を構えたとして、水はどう確保したのか不思議です。山頂近い場内にも井戸があったのか、食料と一緒に水も運んで備蓄していたのでしょうか。ちなみに同じく山城の岐阜城では、貯水用の井戸…貯水槽のような井戸が、場内にいくつも用意されていたようです。
宝篋城についての詳細は、水については記されていませんが、下のブログが詳しいです。
頂上からの下山ルートは、山口コースを通ると決めていましたが、なかなか案内板が見つけられずに迷いました。最も筑波山寄り(東寄り?)のルートを辿っていき、途中からやっと案内板にも「山口コース(2)」と描かれ始めた…ような気がします(単に見つけられなかった可能性も否定できません)。
山口コースで里へ出るころには空が晴れて、登山後の疲れた体には、夏の日差しがつらかったです。先ほどまでの木陰が恋しい……。強い日差しの中を、大池まで歩いていきました。
14:30頃に大池に到着。次の目的地は、大池経由の平沢官衙跡です。律令時代でしょうか、このあたりを統治していた役所跡といったところでしょうか。案内所の自販機で飲み物を買い、水分補給をしました。官衙を復元してありましたが、そばまで行く気力はなく、案内所から一枚だけ写真を撮りました。
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