宝篋印塔

雑記:伊豆韮山界隈の史跡

今回は静岡県の伊豆の国市、合併前は韮山町であった界隈の史跡を一挙紹介。

数年前に伊豆長岡駅でレンタサイクルを借り、韮山駅・原木駅あたりまで足を伸ばして可能な限りの寺院や史跡を回ったが、まずは源頼朝配流の地である蛭ヶ小島。

現在は史跡公園になっており、石碑と源頼朝・北条政子夫妻の銅像が建っている。

韮山駅からほど近い願成就院。

運慶作の国宝の仏像五体を所蔵する伊豆の名刹で、北条時政の開基。

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滋賀県内の石造物⑳:浄厳院宝篋印塔(六角氏頼供養塔)

名称:浄厳院宝篋印塔

伝承など:六角氏頼供養塔

所在地:滋賀県近江八幡市安土町 浄厳院

JR安土駅から西方へ十分ほど歩いた所にある浄厳院は、南北朝時代に六角氏頼が開いた慈恩寺が焼失した後に、織田信長が再興した寺院である。

楼門や本堂(一枚目)はその際に信長が再興の際に他所から移してきたもので、重要文化財に指定されている。

境内墓地には開基・六角氏頼の供養塔と伝承される南北朝時代後期の宝篋

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南関東の石造物⑮:徳性寺宝篋印塔(伝・小山朝政の墓)

名称:徳性寺宝篋印塔

伝承など:小山朝政の墓

所在地:埼玉県加須市大越 徳性寺

加須の徳性寺は下毛国の大豪族である小山朝政の祈願所と伝承され、南北朝時代にその子孫の小山義政が再興したと言う。

朝政の継母は源頼朝の乳母の一人・寒川尼(網戸尼)で、朝政自身も頼朝に仕えて功績があった有力御家人である。

朝政の墓と伝承される宝篋印塔は、徳性寺の境内の外の大越公民館の裏にあり、基礎には貞和元年と言

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雑記:今川家当主の墓所(増善寺、臨済寺、大聖寺)

寿桂尼の墓所を紹介したので、戦国時代の今川家の当主の墓所もここに一挙紹介。

まず寿桂尼の夫の今川氏親の墓所、静岡県静岡市慈悲尾の増善寺。

今川氏親の墓は、墓地内の今川家霊廟と書かれた覆屋の中にある。

覆屋の中には三基の五輪塔があり、いづれも戦国時代のもの。

中央の五輪塔が氏親の墓であろうか。

もっとも、地輪・水輪と火輪・空風輪は別物であろう(水輪は上下反転している)。

今川氏輝の菩提寺

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神奈川県内の石造物⑭:怒田宝篋印塔(伝・藤原範茂の墓)

名称:怒田宝篋印塔

伝承など:藤原範茂の墓

所在地:神奈川県南足柄市怒田 範茂史跡公園

伊豆箱根鉄道大雄山線の終点の大雄山駅から北方にしばらく行った足柄台中学校の後方の高台にある範茂史跡公園は、その名の通り藤原範茂の墓を中心にして造られている。

範茂は後鳥羽上皇の近臣で、承久の乱に際して首謀者の一人として捕らえれ、乱後に鎌倉に護送される途中この地で処刑された。

園内の宝篋印塔は、範茂を葬

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近畿地方の石造物⑬:南宗寺宝篋印塔群(三好元長、長慶、実休、十河一存の墓)

名称:南宗寺宝篋印塔群

伝承など:三好元長、長慶、実休、十河一存の墓

所在地:大阪府堺市堺区南旅籠町 南宗寺

「仁徳天皇陵」と伝承される大仙古墳など巨大な前方後円墳が多く、また戦国時代は貿易で栄え、商人たちの自治都市として知られる堺は、戦国大名三好氏と深い関係がある街でもあった。

その堺にある南宗寺は、三好長慶が父の元長の供養のために建立した寺院で、後に長慶やその兄弟達の供養塔も建てられた

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北関東の石造物⑮:藪塚宝篋印塔(牛の塔)

名称:藪塚宝篋印塔

伝承など:牛の塔

所在地:群馬県太田市藪塚町

現在は太田市に編入された旧藪塚本町には、古くから「尾島道」と呼ばれ太田と大間々間を結ぶ街道があり、その道沿いには一基の大型の宝篋印塔が建っており「牛の塔」と通称されている。

京都から仏像を運んできた、あるいは石塔を運んできた牛がこの地で倒れて死んでしまったためにその供養塔として建てられたと言う伝承があるが、当初のパーツは笠と

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奈良県内の石造物⑬:正暦寺宝篋印塔

名称:正暦寺宝篋印塔

伝承など:なし

所在地:奈良県奈良市菩提山町 正暦寺

奈良市と天理市の境の山間にある正暦寺は、紅葉の名所、あるいは日本で最初に清酒が造られたと言う伝承のある地として知られるが、境内には奈良県内でも最古の部類の属する宝篋印塔がある。

宝篋印塔は全部で三基並んでいるが、中央塔(二枚目)が最も大きく、また最も古いと思われ、鎌倉時代中期の文応元年の銘文を持つ額安寺の宝篋印塔に

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滋賀県内の石造物⑰:正寿寺宝篋印塔

名称:正寿寺宝篋印塔

伝承など:なし

所在地:滋賀県東近江市柏木町 正寿寺

東近江市の正寿寺は、田園の中の集落の一角にあり、現在は本堂があるだけの小さな寺院であるが、公卿・飛鳥井氏の屋敷があったと言う伝承があり、境内には鎌倉時代の宝篋印塔が二基ある。

本堂裏の一角に並んで建つ二基の宝篋印塔は、ともに鎌倉時代後期のものであり、特に向かって右側の塔(二枚目)は正応四年の銘文を持つ。

塔の高さ

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北関東の石造物⑭:善導寺宝篋印塔(榊原康政の墓)

名称:善導寺宝篋印塔

伝承など:榊原康政の墓

所在地:群馬県館林市楠町 善導寺

徳川四天王の一人して知られる榊原康政は、徳川家康が関東に入部した際に上野の館林城主となった。

以来康政は生涯館林の領主であったが、その康政が菩提寺にしたのが善導寺で、境内には康政の墓と言う大型の宝篋印塔がある。

江戸時代に入ると宝篋印塔は相輪が巨大化して塔身が長くなり、笠の隅飾りは大きく外に開くようになるが、

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