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東京国立博物館の東洋館で見て回れる、世界の土偶

東京国立博物館トーハクには、日本の土偶だけでなく、世界の土偶が展示されています。今回は、そんな土偶たちを集めてみました。ただし、日本での土偶は一般的に、縄文時代に作られたものを指しますが、ここで紹介する「土偶」の定義は、もっと広く、古代に作られた土製のフィギュアとします。

ちなみに日本の縄文時代は、前14000年〜前900年(前10世紀)くらいまでを言い、その後の後3世紀中頃までを弥生時代、3世紀中頃から7世紀くらいまでを古墳時代と分類されています。まずは、そのあたりの時代に、世界ではどんな土偶が作られていたかを見ていきます。

■シリアまたはイラク(前5000年〜3600年頃)

下の写真の左が「地母神像」とあります。シリアまたはイラクで出土した土製フィギュアで、ウバイド期の前5000年紀とあるので、途方もなく昔のものですね。

一方の右側の2つは「眼の偶像」です。雪花石膏製とあるので、土偶ではありませんね…。こちらは後期銅石器時代3期(前3800〜前3600年頃)のものだとあります。「小さな石板で作られ、目玉と眉だけを強調した人物像」ということで、かなりインパクトがあります。「目」をなぜ強調したんだろう? とも思いますが、例えば日本の遮光器土偶も「目」を強調した偶像と言えばそうとも言えるので、古代人にとっては「目」が大事……というか、とにかく強調したくなるものだったんでしょうね。

ちなみにシリア北部のテル・ブラク遺跡の神殿の基壇から出土とあります。

■イラク(前2000年頃)

下の写真の左側の「神像」は、イラクのイシン・ラルサ時代の前2000年頃のものだそうです。こちらはClayとあるので、土製…粘土製ですね。

『神像』(左)と『女性土偶』(右)

右側は「女性土偶」とあります。イラクの古バビロニア時代……前18〜前16世紀なので、左側の神像よりも少し新しい土偶です。それにしても、ものすごく古い時代のものですが、すでに神を崇めていて、神殿まであったというのが驚きです。下の写真は、同じ『女性土偶』を拡大して撮った写真です。

『女性土偶』
床上裸婦像しょうじょうらふぞう

イラクのニップールで出土した『床上裸婦像しょうじょうらふぞう』です。こちらも『床上裸婦像しょうじょうらふぞう』の前18〜前16世紀の時代のものです。この像に関しては、イラク考古総局から寄贈されたものだそうです。かつて、そういう交流なのか交換がなされたんですかね。

■シリア北部(前2000〜前1600年頃・中期青銅器時代)

『土製母子小像』

こちらもテラコッタで作られている「土製」の母子像です。中期青銅器時代と記されていますが、日本史を基準にすると、前2000年なのにもう青銅器時代の中期なのか……と思ってしまいますね。

■シリア(前1000年紀・鉄器時代)

またまたテラコッタの『人物形土器』と記されています……って、これが土器なの? と、思ってしまいますね。そう言われて改めて見ると、頭が器のようになっています。そして……まさかなのですが、頭部から注がれた液体は、両腕の先にある、あの穴からから出てくるという構造なのでしょうか。

『人物形土器』

■エジプト(前11〜前7世紀)

下の写真は、前列が粘土で作られ、後列の2像が「ファイアンス」という陶器製です。

こちらもファイアンス製。左からヒヒ像、パタイコス神像、アヌビス神像、ベス神像と記されています。

日本では、この頃までが縄文時代と呼ばれています。弥生時代になると、なぜか土偶というか、フィギュアが少なくなってしまったようです。その後、4〜6世紀の古墳時代になると、今度は「埴輪はにわ」という形で現れるのが不思議ですね。

■イラン(前6〜前5世紀)

まだ紀元前の土偶が続きます。こちらはイランのギーラーン地方で出土した、アケメネス朝時代(前6〜前5世紀)の『山羊頭形やぎがしらがたリュトン』だそうです。かなり写実的な表現ですね。

解説パネルには「山羊の頭部をかたどった酒器」だとしています。宴席や儀礼などの特別な時に使われたと考えられています。首の方から飲み物を入れて「鼻先に開けられた小孔から注ぎ出した」そうです。ギリシャのアッティカ式陶器の特徴をならったものだそうです。

■中国・ヨートカン(1〜4世紀)

解説パネルには「テラコッタ小像および破片」とあります。テラコッタを調べると、粘土で作った細工のことで、素焼きの陶器ともあります。現在で言うと、中国の新疆ウイグル自治区に位置する、ヨートカン遺跡で出土したそうです。

だれが、そんな中国の西域から持ってきたかと言えば、大谷探検隊によるものだそうです(解説パネルには「大谷探検隊将来品」と記されています)。

小さい上に照明が暗いため、なかなかピントをビシッと決めて撮影できません。ほんとうに小さいです
右と左の像は、手を合わせてお祈りしている人の姿のようにも見えます
もっとも写実的かつ印象的なのが、猿の頭部ですね
なんだか凛々しい顔立ちです

■中国(前漢〜新時代 前1〜後1世紀)

中国の前漢から新の時代は、埋葬する際に、こうした土器を一緒に埋葬したそうです。これは、『加彩かさい鴟鴞壺しきょうこ』と記されていますが……漢字だと難しいですが、英語名を訳すと「ミミズクのような形の壺」だと言います。「加彩かさい」とあるので、かつては彩り鮮やかだったのかもしれませんね。

加彩かさい鴟鴞壺しきょうこ』(jar shaped like a horned owl)
加彩かさい鴟鴞壺しきょうこ

このミミズク形の壺のほかにも、自宅を模したかのような「家形」のものがいくつか展示されていました。 

■中国(西晋時代 3〜4世紀)

加彩かさい侍女』

■朝鮮(新羅しらぎ 5〜6世紀)

写真の色温度の設定がバラバラですが、カメラの設定が難しいです。黄色っぽいのは昨年に撮ったもので、白っぽい写真が先週撮ったものです。

いずれも朝鮮半島の戦国時代の、新羅エリアで出土した土偶です。

『騎馬人物土偶』
『騎馬人物土偶』
『馬』
『馬』
『犬』
『亀』

■西南太平洋のメラネシア(19世紀後半)

以上が、トーハクの東洋館で見られる、広義の土偶たちです。テラコッタなどは、陶器に近いようなので入れるか迷いましたが、入れないと寂しい気がしたのと、なんとなく古代の人の息吹が感じられるということで、入れてみました。

並べてみると……「で? これがなにか?」という感じですが、何度もスライドショーのようにパラパラと見ていくと……なにかが見えてくるかもしれません。もちろん、なにも見えてこない可能性のほうが高いです。その点は、ご了承ください。

それでは、最後まで見ていただき、ありがとうございました。

<以下:2023年1月18日に追加>

『男子頭像』Head of a Man 玻璃制男子头像 남자 머리・地中海東部またはカルタゴ・前5~前4世紀・個人蔵
『羊頭部形垂飾すいしゃく』地中海東部またはカルタゴ・前7世紀〜前6世紀・個人蔵

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