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【らんまん】と繋がった【(科博の企画展)日本の哺乳類学の軌跡】

自宅で仕事をしていることが多いため、録画したNHKの【らんまん】を、お昼休憩時に見ることが多いです。今日も蕎麦をすすりながら、観ていたんです。(以下、かなりの乱文です……)

■慎野万太郎がついに東京へ

神木隆之介演じる慎野万太郎……いや牧野富太郎は、明治16年(1883年)に、第2回の内国勧業博覧会を見学するために東京へ行きました。その際に訪ねたのが文部省博物局の田中芳男と小野職愨です。おそらく小野職愨=野田基善(田辺誠一)であり、田中芳男=里中芳生(いとうせいこう)ということでしょう。この2人は牧野富太郎を気に入ったようで、話をするだけでなく、小石川植物園を案内して周ったそうです。

3代広重画「上野公園内国勧業第二博覧会美術館ならびに猩々噴水器之図」
第二回の内国勧業博覧会に合わせて、現在の東京国立博物館と同じ位置に建てられた建物。
後に帝室博物館となる。建築家ジョサイア・コンドルが設計。

ドラマでは、この2人の植物学者、野田基善(田辺誠一)と里中芳生(いとうせいこう)に出会い、「自分がやりたかったのはコレだったんだ!」と気が付きます……コレというのは「植物分類学」のことです。今まで、漠然と植物を自学していたけれど、何をしてよいのか分からなかった。それが東京に来て、ぱぁ〜っと目の前が晴れて、歩むべき道筋が見え始めた……という感動のシーンだったわけです。

そこで慎野万太郎=牧野富太郎は、野田基善(田辺誠一)から、まだまだ日本の(西洋式の)学問は、黎明期であることを知らされます。例えば、日本の植物ですら、それを世界に発信し、かつ認められているのは「シーボルト」という人だけということを……。

■日本の植物学と動物学に深い足跡を残したシーボルト

そこでテレビを見ながら「シーボルト……最近どこかで聞いたな?」と一瞬考えて、思い出したのが、来週から国立科学博物館カハクで開催される「科博の標本・資料で辿る…日本の哺乳類学の軌跡」という企画展です(通常展示の料金で観られます)。

企画展「科博の標本・資料で辿る…日本の哺乳類学の軌跡」のパンフレット表紙
真ん中あたりに軍服を来ているのがフィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト
「日本の哺乳類をヨーロッパに紹介…シーボルト」と記されています

そのパンフレットに、シーボルトさんが載っていたんですよね。その時には「なんでシーボルトなんだ?」と思いました。僕の中でのシーボルトさんは、「伊能忠敬さんたちが描いた日本地図を、持ち出そうとした人」っていう……お騒がせな人……というか「あなたスパイだったでしょ?」というイメージでした。でも調べてみると、シーボルトさんは、地図を持ち出そうとしながら帰国(正確には帰欧)して『日本動物誌』や『日本植物誌(共著)』を執筆している人でもあるんです。

企画展「科博の標本・資料で辿る…日本の哺乳類学の軌跡」のパンフレット裏面

■科博の“標本バカ”による企画展

さらに企画展「科博の標本・資料で辿る…日本の哺乳類学の軌跡」のパンフレット裏面を見ると、企画展の第一章として「日本における哺乳類学の始まりと発展」として、下記のように記されています。

日本の哺乳類は、今から約200年前に外国人によって初めて研究されました。その後、明治時代になると日本人の専門家が登場し〜(後略)

つまりは、約200年前に来日したシーボルトさんによって、日本の哺乳類学が始まったといった意味でしょう。

『らんまん』に話を戻すと、先ほど「日本の植物なのに、世界に発信して認められているのはシーボルトという人だけ」と記しました。その頃は日本の植物を学名登録しているのは、シーボルトさんだけ……学名に自身の名前を入れているのも、シーボルトさんだけだったということ。

『らんまん』で、慎野万太郎=牧野富太郎は、研究室にある植物標本を見て「これもじゃ! これも! これも! これも……シーボルト(の名前が記されているの)だ!」と叫びます。

ドラマの中で野田基善(田辺誠一)は慎野万太郎=牧野富太郎に、まずは日本の植物の「標本を作ることが重要」だと言います。(詳細は分かりませんが)学名を登録するためには、その植物……草(種)が、どんな特徴を持っていて特異点がどこにあるのかを、他の種と比較できるようにしておかなきゃいけない……といったようなことでしょうか。

■ドラマ『らんまん』は、標本バカの物語

さて、来週から国立科学博物館で始まる企画展「科博の標本・資料で辿る…日本の哺乳類学の軌跡」は、同館で動物研究部に所属する、川田伸一郎さんが監修しています。川田さんは、パンフレットの中で次のように語っています。

普段展示には出さない秘密の研究用標本。その中から僕のお気に入りを厳選しました。標本は誰かがどこかで何らかの目的で収集したもの。それぞれにエピソードがあります。哺乳類学の歴史だけでなく、標本の歴史にも思いを馳せてみませんか?

川田さんは、タヌキの研究が専門なのですが、それよりも国立科学博物館の「標本」を増やすことに強い使命を感じているそうです。著書の『標本バカ』では、博物館にとって一番大切なものは「標本・資料」であり、博物館とは「標本を収集・管理するとこと」だと力説しています。そして標本は多ければ多いほど良いんだと。

『らんまん』で野田基善(田辺誠一)が言っていたことと、すごく重なるんですよね。

特に川田伸一郎さんは前述のとおりタヌキを専門としています。それでも、収集している標本はタヌキに限りません。なぜかと言えば、それが博物館の使命であり、いつか誰かが興味を抱いた時に、豊富な標本があれば、それを活かして有用な研究が可能になるから……と言います。そんな標本にかける思いを、雑誌『ソトコト』で連載していて、『標本バカ』と自称しています。

『らんまん』も、そんな標本バカの1人、慎野万太郎=牧野富太郎の物語なんですよね。

↓ 標本バカの川田伸一郎先生による『モグラの頭骨標本作り』

■本題とは関係ないメモ

川田伸一郎著『標本バカ』より
「博物学は科学と芸術の接点にあるような学問」

牧野富太郎さんが収集した標本は、現在も「東京都立大学 牧野標本館」に収蔵されています。「牧野富太郎博士が採集された植物標本を中心に、藻類・コケ・シダ・裸子・被子植物など約50万点の標本を所蔵」しているそうです。中にはシーボルトが滞日中に収集した「シーボルトコレクション」も含まれているとか。以上の資料は、インターネット上にアーカイブされていて、画像データを見られるようになっています。また、同館のサイトには、「標本の意義」が詳しく記されています(読んでいませんが……後ほど読みます)。

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