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上野の駅前にあった3つの橋は、どこへいった? 甘味処で有名な「三橋(みはし)」の由来

「上野 三橋(みはし)」と言えば、いまは甘味処を思い浮かべる人が多いでしょう。我が家も、あんみつ好きの妻が、何度か買っています(わたしは食べたことないんですよね)。

わたし……この「あんみつ みはし」という店名について、最近まで深く考えたことがありませんでした。オーナーの名字が「三橋」とかなんだろうな……くらいにしか思っていませんでした。

ですがその甘味処の「あんみつ みはし」の前に、江戸時代には文字通り「三つの橋」があったんです。当時の地図を見ると分かりやすいのですが、不忍池からいまの中央通りを横切るように流れていた「忍川(志のぶ川)」という川がありました。この小さな川を渡って、東叡山寛永寺の表門とも言える、黒門や仁王門へ向かうための、橋が3つ架かっていたんです。

地図の上の方が不忍池。その左側(南側)から下(東)に向かって流れているのが忍川。そこに架かる3つの橋が「三橋」です

なぜ2つではなく3つだったのかは分かりません。例えば、神社などには神様=神輿用とそれ以外の人用の2つの橋を用意している事例は、他でもありました。でも忍川に架かる橋は3つです。

一般的に言われているのが、三橋の真ん中が将軍用で「御橋みはし」と呼ばれて、両端の橋が一般用というものです(個人的には、本当かなぁ? と思っています)。

『江戸名所図会ずえ』にも三橋や下谷広小路が描かれています。

『江戸名所図会 東叡山黒門前 忍川 三橋』(国立国会図書館デジタルコレクション)

『江戸名所図会 東叡山黒門前 忍川 三橋』の三橋部分を拡大すると、「三はし」と「志のふ川」という文字が見られます。「三はし」の文字が書かれている橋が、三橋の真ん中の橋ですね。一般的には「将軍が渡るための橋」ということになっていますが、よく見ると、大名行列が下谷広小路の方から橋に向かっているのが見えます。ただし、これが将軍の行列にしては警護が少なくないか? とも思います。

『江戸名所図会 東叡山黒門前 忍川 三橋』(国立国会図書館デジタルコレクション)

ちなみに(以下は不確かな記憶によりますが)毎年の正月だったかに、将軍をはじめ大名が上野の寛永寺や東照宮へ参拝したそうです。将軍や、その親族家である御三家や御三卿が先に参拝を済ませて帰ったあとに、その他の大名が参拝したそうです。その時に、ランクが上の大名の行列とタイミングがかち合うと、ランクが下の大名は駕籠から降りて挨拶をしなきゃいけないなどのしきたりがあったそうです。

で、そうした挨拶が面倒なため、自分よりもランクが上の大名が向かってくると分かると、下谷広小路界隈の小道に「それっ」と駆け込み、その大名が通り過ぎるのを待った……という話がありました。

そもそも今回、三橋の話をしているのは、現在、上野の東京国立博物館トーハクの浮世絵コーナーに、鳥文斎ちょうぶんさい栄之えいしの『上野三橋』という錦絵が展示されていたからです。

鳥文斎ちょうぶんさい栄之えいしの『上野三橋』

↑ 分かりづらいのですが、女性たちの後ろにチラッと見えるのが、三橋です。忍川の石垣と柵が見えますね。その奥には黒門前の広場が見られます。右奥に商店が描かれた場所が、今の上野のヨドバシカメラのあたりですね。道を奥へ進むと、今のJR上野駅です。

↓ 錦絵の左の方を見ると、奥に寛永寺の石垣と小さな黒門が見えます。以前から不思議だったのですが、寛永寺の表門としては、黒門って、めちゃくちゃ小さいんですよね。

当初はこのあたりに仁王門(二王門)があったようですが、いつの頃からかなくなりました。先ほど見た『江戸名所図会』には「二王門跡」と記されているのが確認できます。

鳥文斎ちょうぶんさい栄之えいしの『上野三橋』
上野戦争後に南千住の円通寺に移築された黒門。柱や柵のあちこちに銃痕が残っています。寺のあちこちには彰義隊の墓があるほか、戦士した個々人の墓や石碑が雑然としています。撮影したのは2020年の6月でしたが、ものすごい量の藪蚊に襲われたのを覚えています(そのため、撮った写真の多くがブレブレでした)

江戸時代にあった三橋は、明治23年(1890年)の内国勧業博覧会の開催時に、一つの橋に改築されたようです。さらに昭和初期には忍川が暗渠となり、橋が消えました。

そっかぁ……消えちゃったのかぁと思いつつ、遺構が残されていないかを調べてみると……ありました。

詳細は台東区のホームページに記されていました。

三橋のあった下谷広小路は、平成17年度(2005)前後に地下駐車場を作っていたんです。その工事の時に、三橋の遺構というか、忍川の遺構が出てきたそうです。

さらに台東区に問い合わせた方のブログを見ると、一部を再現する計画があるそうです。再現場所は……台東区の下町風俗資料館のあたりだそうです。そういえば工事していたなぁと思い出したのですが……最近も、何度も近くを通っていますが、工事は終わっていたような……。もしかすると、もう見られるようになっているかもしれません。

切絵図の赤い□あたりに下町風俗資料館があります

ということで、機会があればまた三橋の再現場所を観に行きたいと思います。下町風俗資料館へは行ったことがないので、これを期に行ってみるのもいいかもなぁ。

<2022年12月15日に追記>
不忍池のあたりへ行く機会があったので、下町風俗資料館近くの工事現場を見てきました。工事概要を記す看板には、「文化財 上野広小路遺跡三橋遺構活用展示設置工事」と記してあったので、上で記した場所は、ここで間違いないでしょう。

平日の昼間に行きましたが、工事が進められている様子はありませんでした。工事期間は「〜令和4年12月27日(火曜)(予定)」とありましたが……予定は未定なので、今年中には見られないかもしれません。

奥に見えるのが台東区立の下町風俗資料館

工事しているのは、下町風俗資料館の完全に外側だったので、もし工事が完了したら、資料館に入らずとも遺構が見られるようになるのでしょう。

上の写真を撮った場所から背後を振り返ると、「龍門橋」と記された石碑がありました。

「龍門橋」の石碑

不忍池のまわりにあった掘割に、月見橋、蓮見橋、花見橋、中橋、雪見橋、それに竜門橋の諸橋が、昭和初期まで架けられていたそうです(『台東区史跡散歩』)。

■上野広小路の三橋遺構の一部が観られるようになりました

2023年2月24日に追記

まだ現地を見に行けていませんが、「三橋」の遺構の一部が、風俗博物館の横で公開が始まったようです。



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