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いずれも重文! トーハクの文殊菩薩騎獅像と毘沙門天……そして校倉造の宝蔵

最近では、東京国立博物館(トーハク)の総合文化展(平常展)も混んでいます。その中でも特に混雑しているのが、本館1階の、大きな仏像が展示されている彫像の部屋(11室)。週末に通りかかった時に、《文殊菩薩騎獅像》と2躯の《毘沙門天立像》を見てきました。

これらの彫像は、今年いっぱい……12月24日まで見られます。


■文殊菩薩騎獅像

「文殊菩薩騎獅像」と言えば、安倍文殊院の国宝に指定されている《渡海文殊群像》が有名なようです。同院へ行ったことはありませんが、ホームページの写真を見る限りでは、ドンッと大きく力強い獅子と、それに乗る文殊菩薩の完成度の高さが見て取れます。鎌倉時代の快慶の作で、高さは……え? ……な…なんと、約7mで、日本で最も大きな文殊菩薩像なのだそうです。一度は見に行ってみたいものですね。

一方、トーハク所蔵の《文殊菩薩騎獅像及び侍者像》は、快慶の兄弟弟子である運慶の孫にあたる「康円」が、鎌倉時代の文永10年(1273年)に作ったものだと分かっています。これは、文殊菩薩の台座に、「七世恩所出離得脱/法眼康円作也/大施主法師経玄/廻向自他同証無上菩提」と墨で書かれていることから分かります。また、興福寺の勧学院の本尊だったことも記されているようです。

文殊菩薩自体の高さは46.1cmで、獅子を合わせた高さは193.7cm……前述の安倍文殊院の像の大きさが約7mとあるので、トーハクの像はものすごく小さいなと思ってしまいそうですが……いやいや安倍文殊院の像が、規格外に大きいのだと思います。どんだけ大きいんですかw

「渡海文殊」というストーリーは同じです。「さぁ! 教えを、世界へ広めに行くぞ!」ということで、文殊菩薩が獅子に乗り、善財童子、インド人僧の仏陀波利、于闐王(うてんのう・優填王とも)、最勝老人を引き連れて海を渡って行くというもの。

于闐王(うてんのう)

安倍文殊院のものとメンバーも同じです。それぞれの詳細については、前述した安倍文殊院のホームページに記されているので、気になる方はご参照ください。

大聖老人(だいしょうろうじん)
善財童子と仏陀波利三蔵(ぶっだはりさんぞう)

■紀伊・道成寺の《毘沙門天立像》

いつも目の前を通りつつ、混んでいるので素通りしていた《毘沙門天立像》を、よく見てみることにしました。目鼻立ちは明らかに……平たい族の……日本人がモデルではありませんね。思いっきり外国人顔の彼は、西域からもたらされた像でしょうか?

解説パネルには「目鼻を強調した怪異な面貌が目を引く」と記されていますw まぁ日本人からすれば怪異かもしれなせんが……こんな作りの外国人は、少なくない気がしますけどね。気になって英字解説を読んでみると……「Artisans carved this statue from a single tree trunk over 1100 years ago. It depicts a guardian god standing triumphantly on a cowering demon, holding up a miniature tower that represents the Buddha. Influence from Chinese sculpture is evident in the stylized face and the intricate armor decorated with beastly faces.」とあります。要は「一木造ですよ」とか「1100年前に作られましたよ」とか「守護神ですよ」と説明されています。その後に「中国からの影響を受けた彫像」だとして、その影響が「写実的ではなく芸術的なスタイルで表現されている」点、そして「獣のような顔で、複雑かつ緻密にに飾られた鎧」から見て取れる……と言った感じでしょうか。まぁ、欧米人がこの像を見ても「目鼻を強調した怪異な面貌」とは思わない気がします。

見れば見るほど立派に見える《毘沙門天立像》は、いちおう重要文化財に指定されています。大きな彫像を見るといつも「この立派な像は、どこから来た?」とか「なんでトーハクにあるの?」と思うのですが、当然、《毘沙門天立像》についても知りたくなってしまいます。

解説パネルには、あっさりと「和歌山・道成寺」とあります。もちろん「ほぉ〜、あの道成寺からいらっしゃったのですか」とは思うほどの知識はありません。むしろ「和歌山の道成寺って初めて聞く寺だな」と。それで今、ササッとググってみたら、けっこうタダナラヌ有名寺院さんではありませんか!

道成寺の本堂と三重塔(Wikipediaより)

「道成寺」を、なんて読むかと言えば「どうじょうじ道成寺」です。どれくらい有名な寺かと言えば、スマホやパソコンで「どうじょうじ」と打ち込んで変換すると「道成寺」と出てくるくらいに著名です。

この天音山道成寺の創建は、おおよそ1300年前の大宝元年(701年)。同県最古の寺だそうです。てっきり和歌山県最古の寺は高野山かと思っていましたが……空海が高野山を開発し始めたのが弘仁7年(816年)のことなので、天音山道成寺の方が100年近く古いようです。

御本尊は、国宝の千手観音菩薩像。お寺のホームページによれば、「日本で最初か二番目の千手観音様」だとしています。では、もう一つの最初か二番目の千手観音様は、どこにいらっしゃるのかといえば、大阪の藤井寺にある「紫雲山 葛井寺」のようです。いちおう葛井寺のホームページを見ましたが、パッとみた限りだと、こちらは順番については記されていないようでした。ただし、千手観音立像の手の数に関しては、こだわりを感じました。

通常の(日本の)千手観音像の手の数は「42本」というのが基本なのだそうです。一方で紫雲山 葛井寺の手の数は「1041本」……「ドヤッ!」という感じですね。では天音山 道成寺の千手観音像はどうかと言えば……「44本」です。まぁだからなんなのさ……という豆知識でした。

ところで道成寺についてですが、昔日には大伽藍が形成されていたのが、徐々に縮小していったからなのかもしれませんが……本尊級の仏像を多く所蔵されています。前述の《千手観音像》に脇侍きょうじする日光&月光菩薩像の3躯が、いずれも国宝。そのほか8〜9躯が重要文化財に指定されています。その中に《毘沙門天立像》が2躯あり、その1点が、現在はトーハクに寄託されています。

トーハクに寄託されている《毘沙門天立像》
写真はWikipediaより

ただし、道成寺を有名にしたのは、これらの立派な仏像ではなく(いや、それもありますけど、それよりも)、道成寺の縁起絵巻に記されている『安珍と清姫の物語』のようです。安珍と清姫という固有名詞は、あとから付けられたようですが、法華経の功徳を示した物語です。この物語が、能になったり歌舞伎になったり、さらにそこから浮世絵で描かれたり、落語で「莨(たばこ)道成寺」という話ができたりしました。

元の内容は……熊野詣の途中で宿を借りた若い僧が、宿主の女性に惚れられて痛い目に遭うというもの……と言ったら怒られそう。

もう少し柔らかく描写した5〜10分程度で読み切れる文章が、兵庫県立歴史博物館のホームページにありました。「宗教物 社寺縁起」の「道成寺縁起」というのがそれです。ほかにも、「百鬼夜行絵巻」や「病草子」なども、お手軽に内容が把握できておすすめです。ちょっと物語をキレイにしすぎている気もしますけどね。

餓鬼です
これも餓鬼です

■奈良・中川寺十輪院持仏堂《毘沙門天立像》

もう一つ、この部屋の正面に立っているのが中川寺十輪院持仏堂《毘沙門天立像》でした。こちらの毘沙門天は、頻繁に展示されていて、今まで何度も見てきました。

おもしろいのは、中川寺というのが、既に廃寺となっている点。おそらく明治期の廃仏毀釈運動のさなかに破却され、納められていた仏像などが散逸したのでしょう。その中で、この《毘沙門天立像》は、日本画家の川端龍子さんに渡り、トーハクへ寄贈されたという経緯があります。

これまで何度か写真に撮らせてもらいましたが、この真横からの全身の写真が、いっつもブレていたんですよね。ブレる理由は、いつも焦っているからです。この像がいつも、目立つようなところに立っています。当然のように、ほとんど全ての来館者が、見つめることになります。じっくりと見る人が多いw そのため、人が途絶えることがありません。だから人がいなくなったのを見計らって写真を撮ろうとすると、慌ててブレてしまうのでしょう。

この仏像自体のことと、かつて納められていた中川寺について、ネットで調べた限りを、以前noteに記したことがありました。

ここでは、以前撮ったものも、改めて添付しておこうと思います。

そして、現在は展示されていませんが、像内に納められていた「印仏」を撮った写真も、改めてこちらに添付しておきます。こうした納入品が見つかったことから、この《毘沙門天立像》が、奈良県にかつてあった中川寺の子院である十輪院の持仏堂に納められた像だったこと、そして応保21162年頃に制作されたものだということが分かったのです。

■校倉造の十輪院宝蔵

ということで、秋も深まりトーハクのイチョウもきれいに色づいていました。トーハクの庭などを散策するのにも良い季節ですね。

法隆寺宝物館の北側に、まさに「ひっそりと」建っている旧十輪院宝蔵(校倉)も、黄色いイチョウの葉に覆われていました。こずえから時折差し込む光がきれいです。

前述した《毘沙門天立像》が、同じく十輪院の旧蔵品ということで、この旧十輪院宝蔵と関係があるのか? と、以前、調べたことがあったのですが、同じ奈良県にありつつ、全く異なる寺院でした。そのへんの由来については、分かる範囲で以前noteしました。

この校倉造あぜくらづくりの十輪院宝蔵については、最近、トーハク公式のYouTubeチャンネルで詳細が解説されていました。改めて映像で見ると、興味深い建物です。見学会などがあれば、行ってみたいところですが、なかなか機会に恵まれませんね……。

ということで本日はこのへんで。


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