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「雑草をむしりながら考えた事」

先日久々の墓参りに行って参りました

算命学では天中殺には特別な事はしない方が良いと
教えているわけですが
そんな中で
むしろした方が良いとされている事の一つが
先祖供養です
墓参りなどは天中殺でなくても
日頃から心掛けた方が良いと思います

今回はお墓の雑草などを抜きながら
あれこれ感じたことを書いてみます

算命学の技法等は出てきません
人間も自然物の一つだというのが
算命学の観点なのですが
その辺について
私の思うところを述べてみます

雑草とは言うけれど

昔は墓地の入り口の左右に
小さな枝ものが植えられていたのですが
いつの頃か枯れてしまい
そのスペースは
乾いて硬く荒れた黄土のような状態になっていました

今回その猫の額ほどの場所に
雑草が生い茂っておりました
花を付けているものもありました

名も知らぬ
「雑草」という一言で括られるその植物群を
抜いてきれいにするわけですが
驚いたことにその雑草たちは簡単に抜けるのです
たまたま
抜けやすい種類の雑草だったかもしれませんが
その土壌が黒くてホクホクしていたのです
見るからに良い土壌ではないかと
素人目にも分かるほどです

雑草はその根が硬い土壌を柔らかくすると言います
また
菌の働きなどで土壌の改良にも寄与するようです
嫌われ者で名前で呼んでもらう事もない「雑草」が
良い仕事をしてくれていたわけです

当然
雑草にも弊害は多いわけですが
「青森の奇跡のリンゴ」を以前読んでいたので
こういう事かと合点がいきました

これならもう一度
何か名のあるものでも植える事が出来そうです

雑草と人間の存在意義

雑草は隙間さえあればどんな場所にでも
定着して繁殖します
生命力も強いと言えるでしょう

しかし
自然界において雑草なるものが長きにわたり
存在し続けているのだとすれば
自然界が必要としているからだと言えます
算命学ではそのように考えます
必要が無くなれば
その時は自然界から淘汰されるのです
人間にとっては厄介だと思うものでも
自然界がそう思わなければ
それは存在し続けるのです

自然界はバランスで出来ているので
あるものだけが繫栄して
アンバランスになる事はありません
生態系の頂点に立つ大型猛禽類が
増えすぎる事はなく
多くの動物たちに一方的に食される植物が
絶える事もありません

大きな周期性の中で
ダイナミックな環境の変化が起きれば
主役の交代の時期という事になります
自然界全体(地球)がレベルアップして
新たな次元の生態系を構築するようになります

もしかしたら
この大自然が雑草を今後も必要として
人間なるものは
不要であると判断する事がないとも限りません
知性がある事が
アドバンテージになるとは言い切れません
却ってマイナス・ポイントかも知れません
人間自身が
自分たちがこの自然界に生まれて来たことの
理由について全く理解できていないとすれば
その役割も果たせないと言えるでしょう

そうなると
人類の存続の道が狭められることになりは
しないでしょうか?

人間は生態系の外にいる?

教科書などで
地球上の生態系の図などを見るわけですが
人間はそこにおいて
何の役目を担っているのでしょうか?
そもそも
生態系内に人間が位置付けられていない図が
多い気がします

生態系の上位に位置する動物達は
繁殖率が低く子の数も少なく
卵や雛の次元で捕食される事も多いでしょう

生き残れれば下位の生き物を食しますが
一生を全うできたら
最後はその身が下位の生き物に食され
遂には土に帰ります
最後は我が身を大地の肥料とするのです

こう見ると生態系の上位にいようが
結局は大自然の調和の中で
どの存在も等しく扱われていると思います

翻って
我ら人間を見てみると
生態系の最上位に居るのでしょうが
自然界から恩恵を奪うだけで
全く返していないかのようです
亡くなっても
火葬や石棺(壺)の中で朽ちれば
自然界への身体的還元はなされませんね
死しても自然界へ何も返さない存在が
人間なのだと言えば言い過ぎでしょうか?

人間の特殊性

土壌をホクホクにしてくれた雑草ですら
私に抜かれる羽目になりました
ましてや
この大自然の中で役に立たない人類であれば
天から抜かれてしまうことがあるかもしれません

昔の人々は山や海から生きる糧を得たら
山の神や海に神に感謝をして
必要以上に狩りや漁をすることはありませんでした
自然が傷まないように
共存の思想があったのだと思います

算命学は中庸の思想です
宿命も稼働しすぎれば歪みが生まれます
人に対しても自然界に対しても
必要以上に剋したり奪ったりすれば
報いが来ます

人間は他の生き物とは違って
自身で自身をコントロールする自由意志があります
すなわち「責任」がある存在なのです
この自然界で「責任」を問われる存在は
唯一人間だけです

また
自然界に対して強い「能動性」を持っているのも
おそらく人間だけでしょう

そう考えると人間という存在は
ただの自然物ではないと思います
「責任性」と「能動性」という特徴をもつ人間を
生み出した自然は
我々人間に何を期待しているのでしょうか?

私の学んだ範囲では
少なくとも算命学もその答えを
出してはいないようです

***

個々人における
生まれてきた役割などは
宿命からある程度分かりますが
人類という大きな括りでは謎です

人類はなぜ生まれてきたのか?
結論の出ない問いのようです
その答えが出れば戦争も自然破壊も
きっとなくなっていくのでしょう

とりとめのない話を
最後まで読んでくださり
ありがとうございました

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