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随所に主となれば

「随所に主となれば 立処皆真なり」(臨済宗の祖・臨済禅師の言葉)

「どんなところにいても、自分からやる気になって取り組めば、そこに真実が現れる」と、我流に解釈している。
 縁のある書家に「随所作主 立処皆真」を書いていただき額装していつも見えるところに飾ってある。
つらい時も困った時も、どこの職場に行ってもこの8文字が私を支えてくれた。
先日、義理で出席しなければならない会があった。
65歳を超えたわたしにとって、時間は貴重である。いつでもどこでも全力を出せるというものではない。

そうだ!「随所に」は選べるのだ。
場所と時間も自分が主体的に選ぶことができるのだ。
「随所に主となる」というのは、「与えられた場所でどこでも一生懸命やる」ということでなく、「このことに時間を使いたい(命を使いたい)」と、時間も自らが積極的に選ぶという解釈もしていいのではないか、と思ったのである。
そうして、自分が「これをしたい」と選んだ場所、時間を精一杯生きたなら、そこに真理が見えてくる、ということではないのか。
 多分、これは勝手な私の解釈なんだと思う。が、そう考えたら、「自分がやりたい仕事」に全力を尽くし、考えてもしかたのないドーデもいいことにはあまりエネルギーを使わないようにしよう、と心が整理できたのである。
「思うても詮無きことは思うな」関牧翁 (臨済宗僧侶)という言葉もあるではないか。
実践するのは難しいけど・・・。
が、時間は有限だ。なるべく大事な事だけにエネルギーを使うよう自分をトレーニングしていこうと思った。

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