とあるサラリーマン部長

サラリーマン歴24年。仕事の中で起きる不条理なあれこれをエッセイで書き記す

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いつだって選択肢は2つだ。1つのことをうまくやるか、2つのことを ヘタにやるかだ

 ゴールデンウィーク、だれもいないオフィスに出勤し、主要メンバー3名だけで、集中作業。  余計な「ちょといいですか?」やチャットに気が削がれることもなく、作業がはかどる。  そして、目標だった資料作成を完遂。  周囲が休んでいるときに、仕事をすると、いかにマルチタスクが生産性を落としているかということを実感する。(僕の場合は)  マルチタスクで、メールやチャットも即レスすべき!仕事ができる人はみんな即レス!というタイプもたしかにいる。ぼくの周りの仕事ができる人も、ほぼ

    • 挑戦者が安心して挑戦できるのは、多数の「挑戦しない」人たちの日々の地道な活動に支えられているから

       先日、同じ組織のメンバーとの面談時に「与えられたタスクをこなすだけではなく、自分なりにもっと能動的に課題をみつけて解決案を提案していくようにしてほしい」、そんなフレーズを口にしていた。  しかし、冷静になって考えてみると、もし組織が「能動的な人たち」ばかりだったらどうなるのだろうか?  みんながコレやりたい、あれやりたい、自分のこの案がいいに決まってる!などと率先して手を挙げる組織は、はたして正常に機能するだろうか。  いや、絶対うまくいかない。  その証拠に日々、

      • 首尾一貫していないのが、普通のひと

        毎週金曜日は、その週の活動報告と業績報告の会議が朝一でセットされている。(今週はゴールデンウィークなので、その発表がないと思うと、かなりウキウキである。) この会議、何が憂鬱なのかというと、各自の発表に対して、えらい人たちからコメントをもらい、指摘事項=宿題が必ず増えるところにある。金曜の午前中に宿題が増え、午後だけでは片付かず、結局土日のどこかでやるはめになるのだ。 そんな最悪の会議において、僕が唯一、楽しみにしている瞬間がある。 それは、ぼくの上司の一人でもある、N

        • 地球の71%は海である

          頭が良い子の家のリビングにかならずあるものは? その一つが「地球儀」だと聞いて、数年前に食卓に小型の地球儀を置いている。 主にテレビ番組やニュースで、聞き慣れない地名が出てきたら、壁に貼ってある平面の世界地図で位置を確認し、それから地球儀で再度確認する。 平面ではわからない距離感などがわかって、これは教育にはよい買い物をしたと満足している。 先日、食事をしながらその地球儀を眺めつつ、なんとなく娘に「ねえ、地球上で海の占める割合って何割ぐらいかな?」と問いかけた。 娘

        いつだって選択肢は2つだ。1つのことをうまくやるか、2つのことを ヘタにやるかだ

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        • 仕事で役立つ記事
          3本
        • 子育てに役立つ記事
          0本

        記事

          お金を支払うときに「ありがとう」とこちらから言う

          以前、とあるファーストフード店の行列に並んでいると、ずいぶんと偉そうな態度で、店員に接している男性がいた。 自分のオーダーがなかなか出てこないのに、あとから来店したコーヒー1つのお客様のほうが早く商品を受け取ったことに、腹を立てているようだった。 最終的には「こっちは金を払ってんだぞ!」という捨て台詞を吐いて、出ていった。 このようにお店のスタッフに対して、大きな態度を取る人はきっと お金を出しているひと>お金を受け取るひと という構図が頭の中にあるのだとおもう。 「

          お金を支払うときに「ありがとう」とこちらから言う

          ぼくの人生で一番沢山見ているものは間違いなくEXCELとPowerPointの画面である

          ぼくの仕事は「企画・管理」なので、大半はEXCEL、PowerPointによって表現され、進んでいく。 よって、一日の大半をEXCEL、PowerPointを見つめていることになる。 そんな毎日を送っていて、ふとおもうことがある。 人生で一番目にする光景がEXCEL、PowerPointというのは幸せなのだろうか? 本来、仕事や生活を便利にすることを目的として開発されたであろうこれらのツールは、果たしてぼくらの仕事時間の削減、効率化に貢献しているのだろうか? 個人の

          ぼくの人生で一番沢山見ているものは間違いなくEXCELとPowerPointの画面である

          40〜50歳で気力が衰えるのは、「体力」の問題だということに気がついた

          若い頃は一日中、映画を何本も観ていても、本をひたすら読んでいても、まったく疲れなかった。 ところが、40歳半ばを超えたころから、多観多読ができなくなってきた。途中で飽きてしまうのだ。集中力が続かない。 そもそもの趣味嗜好が変わってきたのか?いやそんなことはない。それなら、全く興味をなくすはずだが、量は減っても、映画を観たり、本を読むことは僕の人生において欠かせない楽しみであることは不変である。 では、一体何が原因なのか? プロゴルファー青木功氏が、その答えを教えてく

          40〜50歳で気力が衰えるのは、「体力」の問題だということに気がついた

          演じるからこそ、無謀な目標をみんなの前で言い続けられる

          毎年のことであるが、かなり無謀な業績目標を掲げて、新年度が始まった。 なぜ、会社というものは、こうも無謀な目標を掲げるのか? 無謀な目標値を声高々に発表し、毎日その数字にこだわり続ける上層部のみなさまは、本当にそんな数字が実現できると思っているのか? 実は、上層部の人たちも、達成できるなんておもっていないのだ。 二人だけになったとき、 「この数字さあ、無理だよね」 「厳しいのはよくわかるんだけどね」 というように、部下と同じ目線での弱音を吐くときが多々ある。 しかし

          演じるからこそ、無謀な目標をみんなの前で言い続けられる

          たくさんの星(お金)を自分のものにしてどうするの?

          子供が学校で借りてきた本の中に、「星の王子さま」があった。 自分が子供の頃も、自宅の本棚にずっとあったことだけは覚えているが、まったく興味がわかず、いままで真剣に読んだことがなかった。 50歳になって、はじめて手にとって、パラパラと流し読みをしてみた。 もっと子供向けの本かとおもっていたが、これは大人が読んでも、一度ではよくわからないのではないだろうか。読むタイミングや自身のコンディションによって、いろいろな解釈ができるタイプの本だ。 だからこそ、大人になっても本棚に

          たくさんの星(お金)を自分のものにしてどうするの?

          「大丈夫?」ではなく「大丈夫!」という声がけを心がける

          最近、「大丈夫」という言葉の使い方について、気をつけようとおもったことがある。 それは、どれもここ最近の土曜日に起こったことなのだが、いずれも「大丈夫」という単語が頭の中に残っていて、最終的にそれらがつながった結果である。 ーーーーーーーーーーーーー ■トラックの荷台からこぼれた野菜 週末の朝は必ず近くの河川敷をウォーキングしている。 先週の土曜日、その河川敷沿いにある公道の急カーブで、突然大きな音がした。 何事かと見に行くと、道に野菜が入ったダンボールがぶちまけ

          「大丈夫?」ではなく「大丈夫!」という声がけを心がける

          相手に伝わらなければ、それは存在していないこととおなじ

          いま、10代の自分に対して何かアドバイスできるなら、上記タイトルの言葉を贈りたいと心底おもう。 若い頃は、本当に良いものはなにもしなくても、きっと誰かが気づいてくれる。本心は必ず相手に伝わる。良いものが埋もれたままのはずがない。自分の良さだって、いつか誰か気づいてくれる、というような甘い考えを持っていた。 しかし、現実は、そんなことはない。いつか誰かが気づいてくれる、なんてことはない。 能力があろうがなかろうが、自分の考えや表現をアウトプットして、だれかに伝える。そして

          相手に伝わらなければ、それは存在していないこととおなじ

          おもしろい文章は、「発見」がある文章

          プライベートにおいて、「なるほどね!」という言葉が口からでるとき、それは自分の知らなかったこと、想定外のことに出会えたことの証拠である。 (仕事のときに使う「なるほど・・・・」は可もなく不可もなく、つなぎの意味合いが強いが) 知識欲が人より旺盛で「知りたがり」のぼくにとって、読書をして「なるほどね!おもしろい!」と思える瞬間はなによりも至福の時である。 そもそも、人が「なるほど!それはおもしろい!」となるのはなぜか?逆に、そう感じてもらうためにはどうすればよいのか?

          おもしろい文章は、「発見」がある文章

          人生とは「プロセスの連続」だから、いまを楽しみ、全力を注ぐべし

          坂本龍一氏の最後期を辿ったNHKのドキュメンタリーを観た。 70歳になっても、作曲作業ではパソコンの音楽ソフトを使いこなし、病室のベットではスマホ経由でリモートモニタリングしたり、日記はスマホのメモ帳に残すなど、積極的にテクノロジーを使いこなしている姿が印象的だった。 そして、何より驚いたのが、生々しいまでの最終期の撮影を許可していたことだ。普通なら絶対人に見せたくないであろう姿をさらけ出し、自分の死後にテレビで放送されることを認識した上で、なにかメッセージを伝えたかった

          人生とは「プロセスの連続」だから、いまを楽しみ、全力を注ぐべし

          何事も結果が出るのは「考えているとき」ではなく、「行動に移している途中」である

          長年、仕事をこなしていく中で、自分なりにいくつかの課題対処法を見つけてきた。その中で、毎回必ずなんとかなる対処方法というのが「とにかく書き出し、誰かに話す」というものだ。 まずは頭の中に浮かんだことを書き出す。とにかく書く。このときはすべて、箇条書きで書く。 そして、誰かに話す。 「助けてください!」という重い感じではなく、いまこういう状況で、ぼくはこう考えていて、こんな解決方法で進めようと思っているですが、どうですかね?的な軽い質問のようなスタンスだと、相手も適当に返

          何事も結果が出るのは「考えているとき」ではなく、「行動に移している途中」である

          お金は、他人の時間を奪える人のところへと流れていく

          春休み中、我が娘はゲームをするか、映画をみるか、YouTubeばかりを見ていた。ほんとうに楽しそうに見ているので、たまに横から、「なにがそんなにおもしろいの?」と言って、横から覗かせてもらうと、、、、ゲームの実況中継や、おしゃれ中学生の紹介動画とか、どれも十万人規模の登録者がいるチャンネルだった。 「こうやって、誰かの時間を奪える人のところにお金は流れていくんだな」 と思わずつぶやいていた。 すごいメジャーリーガーが、ものすごい報酬を貰えるのは、世界中の人がそのメジャー

          お金は、他人の時間を奪える人のところへと流れていく

          食事は何を食べたかではなく、だれと食べたかが重要だ

          先週、家族でディナーバイキングに行く予定だったが、とある事情で泣く泣くキャンセルをした。 そして、代わりにデリバリーピザをたべることになったのだが、僕のオーダーはいつだってペパロニとチーズだけの、いわゆるペパロニピザだ。 過去に、キャンペーンで安くなっているものや、新商品に興味を惹かれ冒険してみたこともあるが、毎回「やっぱりシンプルなペパロニピザにしておけばよかった!」後悔してきた。 そんな失敗を何度もくり返し、いつからか上記のシンプルなルールを守っている。 いまのと

          食事は何を食べたかではなく、だれと食べたかが重要だ