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私とキリスト教

1.       はじめに
本レポートの目的は、私の人生において経験した、キリスト教とのかかわりとそれによって私がキリスト教に対してどのような評価をしているかを述べることである。その結果、キリスト教とのかかわりは長崎への修学旅行と同志社での礼拝であり、キリスト教は理解されないこともあるが、人をひきつけ心の糧となるものと評価した。本レポートの構成は次のようになっている。第2章では長崎のキリスト教の遺産、第3章では長崎での民泊、第4章では同志社での礼拝、第5章では、結論を述べる。

2.       長崎のキリスト教の遺産
 修学旅行で長崎のキリスト教関連の遺産をめぐることになった。修学旅行に向けて、事前学習を進め、さらに現地に行くことでキリスト教について知ることができた。こうして学習を進める中で、私はキリスト教に対し、キリスト教は人の心をひきつけるものという評価をした。そう判断をした理由は二つある。一つ目は室町時代にキリスト教が日本に伝わり、急速に拡大したことである。布教活動が貿易や慈善活動ともに行われたため、人間の特性を理解した上手な布教方法である。二つ目は島原の乱である。弱冠16歳の少年が命を懸けて戦ったという事実は、キリスト教の求心力を裏付けている。

3.       長崎での民泊
 修学旅行で長崎の民家に泊まった。その一家はキリスト教徒であり、家にキリスト教関連の置物があった。そこで民家の方が私たちにキリスト教徒の説明をしてくださった。印象に残っているのは、説明よりも「怪しいものではないよ。」という言葉であった。事前学習をしていた私たちは、もちろんキリスト教をあやしいものと評価することはなかったが、宗教というだけでそういう判断をされた過去を思わせる言葉であった。その時に連想したのは、自分の想像を超えた執念を「宗教」と揶揄する若者の文化であった。例えば、部活動で監督を教祖、部員を信徒になぞらえて批判することがある。その裏側には、部活動の熱量についていけてない自分を正当化する思いがある。以上の長崎での民泊や学校での会話から、私はキリスト教を人々に理解されないこともあるのだと評価した。

4.       同志社での礼拝
 同志社大学が主催するリーダーを養成するための新島塾というものがある。事前課題として本を読み、四日間の通学形式で講義を受けた。その三日目の朝に同志社大学の礼拝堂で礼拝を受けた。その出来事によって、私はキリスト教に対し人生の中心となり得るものという評価をした。私がキリスト教徒になるということではなく、人生をかけてキリスト教を信仰する人がいる事実に納得したということである。その理由は礼拝を受けたときに得られる一体感である。つまり、周りの人と同じ共同体に属し、同じことをしていることに安心できるのだ。

5.       最後に
本レポートでは、私のキリスト教とのかかわりと、キリスト教に対する評価を考察した。その結果、私はキリスト教を誤解されることもあるが人の人生を支え得るものと評価していることが明らかになった。

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